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差別って、単にひどいことを言われるとか嫌がらせされるっていうことじゃないんですよ。

言い返したとするでしょ。それで緊張が高まってどっちかが手を出して喧嘩になったとするでしょ。警察が呼ばれる。で、差別側は軽い注意で放免、被差別側は暴力行為で留置場にお泊まり、とかね。

差別の「本体」は、差別用語を言う人じゃなくて、そういうことを容認する社会の方にあるんです。差別をしても許されるから、調子こいたやつが差別する。あまりにあからさまな行為には眉をひそめる傍観者も、「でも言われる方にも原因はあるよな」って言ったり、内心それはおかしいと思っていても攻撃されるのが怖いから黙る。そして社会は差別行為を容認し続ける。そういう構造が、差別の本体なんです。

もちろん、自分が差別されたからって自分より弱い立場の人間を差別していいってことにはならないですよ。けれども差別の構造っていうのは、社会の常識、慣習、規範のレベルにまで染み込んでいるので、差別される側にならないとその特定の差別が見えないことが多いのです。アジア人を差別する黒人は、自分が白人から受ける差別は不正義だけれど、自分がアジア人に接する態度はそれが「普通」だと思っているかもしれない。あるいは相手にはそう扱われてしかるべき「理由」があると思っているかもしれない。

もしあなたが、「自分に落ち度が無ければ、行政組織なり、世間なりが自分の言うことを聞いてくれるはずだから堂々と反撃すればいい」と思っているとしたら、あなたは差別側にいる可能性が高いです。あなたが差別する、と言っているんじゃないですよ。ただ、「差別したとしても許容されるグループ」に属しているということです。被差別側の人は、社会が味方してくれないことを知っているから。

なので、誰もが差別者になり得ます。気がつかないわけですから。ただ、自分の行為を指摘された時に冷静に振り返って、自分が社会の構造に搦め捕られていなかったかを考え、そうであれば改めて行く、ということはできるでしょう。

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