
質問者様へ
まず初めに「匿名」で回答することお詫びします。私が息子と死のうとしたことがあることを私の家族には知られたくないから・・ゴメンね。
ーーー 回答です ーーー
もし私があなたの父親だったら・・
今すぐあなたを、わが娘を、ただただ胸に抱きしめたい。
私の息子は難病を持って生まれました。それでも2〜3歳まではふつうの男の子としてすくすく育っていたのですが、それからカラダとココロの成長が少しづつコースアウトしてきたり迷ったり遅くなってきたりして、とうとう「ふつうの家庭」は夢となりました。
この時にも息子の将来を不憫に思い、ふと「心中」を意識して準備をしたことが幾度かありました。
しかし、度重なるてんかん発作に緊急搬送、命を守る徹底抗戦ラインぎりぎりの脳外科手術も5回・・だったかな。これらの難事では深い淵を覗き見るような不安とともにですねぇ、不思議なことに、救急119番へ電話をかけたり、手術の合意書?にサインをしたり、入院の準備をしたりする過程には、親として息子のためにと全力を尽くすことで得られる「充実感」のようなものがあるんです。
難病の子どもを支える家族の美談?
いいえ。
とんでもない、私が父親としてやってきたことは恥ずかしきことの山積みです。息子の成長とともに少しづつ重くなる病変とともに、ふつうの子には当たり前にできることができなくなってきました。
父(私)は「どうにかしなければ」と、キャッチボールや九九などの訓練に必死になっていたのですがその結果は・・ 何をやっても何度やってもうまくできない息子につい声が大きくなったり、なんでできない? どうして分からん? もうええわ・・なんて言い放ったり。
今にして分かりますが人間として機能不全に陥りつつあったのは父(私)だったんですね。
そんな日々が続けば良からぬことになるのは必至です。 息子はふだんおとなしい性格なのですが、時に心が決壊して当たり散らし暴れることがありました。そうなればもう取っ組み合いの大げんかとなり、つかみあい殴り返して、息も切れぎれ力まかせに抑え込んでいるときに思うことはいつも・・
「なんで こんなことをしているのか?」
救わなければならない、守るべき命を殴っている父(私)。
力で抑え込んでいても父としての力なき私。怒りに情けなさに辛さに、なぜか寂しさまでが渦巻き、壊れ尽きたダメな父親の心に浮かぶ気持ちは「もうこの子と一緒に死のう」。 そんなことを幾度か繰り返したまたある日のこと・・また大ゲンカの時のことです。
息子も成人してましたから身長も体重ももう軽くあしらえる訳にはいきません!私も全力戦です。
それでも荒れる息子を怒りに任せて「このヤロー!」と、いつものようにどうにか抑え込んでいた時のこと。 そのとき、どういう心の作用なのか、 ふと自分に、息子ではなく私自身に、「哀れ」とも「憐れ」とも判じにくい何かを感じたのです。そしてなぜか涙が溢れてきて・・
・・と胸がギュッとなり
とっさに手や頭を抑え込んでいた腕をほどいて暴れる息子を抱きしめました。そのとき手足が自由になった息子に2,3回 殴られ蹴られましたが、かまわず抱き続けていると、暴れていた息子が抱く腕の中で柔らかくなっていくのがわかりました。
この日、とっさに息子を抱いたとき、
救われたのは父である私自身ではなかったか?と思うのですが、どうなんでしょうね。
あれ以来、私は本来の父親としての機能が再起動したのか、息子のことが愛おしく感じられてきました。 だから・・かな? あなたの質問を読んだとき、叶うならばあなたのところに駆けつけて抱きしめい衝動に揺さぶられました。
おかあさん。
もしも、どうしようもない衝動に駆られた時には、どうか思いっきり抱いてあげてください。抱いたまま深く呼吸をして、自分の心臓の音を聞いてください。
さぁ、 " 私たち " は、同じ道を歩くものとして・・
いつもともにあり。