確かに日本は良い国だと言えるでしょう。
夜中にコンビニやスーパーに行っても大概無事に帰ってこられますし、電車は定刻通りに来てスリや強盗の心配もほとんどない。あらゆるところが清潔で、欲しいものは大体買えますし、人が死ぬようなデモも無ければ銃弾が飛び交うような地域もありません。
しかしわたしたち日本人はあまりにも恵まれているが故に、想定外の事象に対して弱すぎるのだと思います。飼い慣らされてしまっているといういい方もできるかと思います。
会社をクビになったり経営に失敗した程度で重度のうつ病になってしまったり、自殺してしまったりする人もいます。人間関係のトラブル程度でPTSDや社会不安障害になる人もいます。受験に失敗しただけで死ぬ人もいます。日本人は、いとも簡単に絶望します。
精神的なものだけではありません。さまざまなところで科学的根拠も出されつつありますが、清潔すぎる環境は、細菌などの病原体に対する抵抗力を弱め、歩く必要のない生活に慣れて仕舞えば足腰は弱くなります。人生で困難がなければ頭もそれほど使わなくて済むので脳も弱くなっていきます。
こうして導かれた「生命としての弱さ」が、逆境に弱い人間を育てていると言えるでしょう。
南米、東南アジア、アフリカに生まれたわたしの友人たちはとても強いです。困難に挫けません。ヨーロッパ各国出身の友人達は先進国育ちですが、それでも日本人よりも強いと感じるのは何故なのだろうかと考えてみましたが、母国を捨てて日本に来るような人たちを相手にしていることに思い至りました。
これは日本だけでなく文明全体が抱えているものなのかもしれませんが、日本は「想定されると社会に認められたこと」に対して社会全体で互助していく流れを作ることは得意ですが、マイノリティに対する助け合いの意識は弱いと感じます。
また日本では宗教に対する歪んだ捉え方が強いように思います。宗教というと、非科学的なものを信じているとか、特定の団体に依存しているとかいうレッテルを貼られやすいです。そうではなく、世の中には人間が理解できないようなことがほとんどで、それに対する畏敬の念を信心とする方がとても少なく、論理的に説明がつかないものは否定されることが多いと感じます。
そのような特殊な息苦しさとともに、島国であるからこそ存在する長い間培われた特殊なルールが多く、その息苦しさもあるかと思います。例えば目上に対する尊敬というものは自然発生的に起きなければ本当に尊敬しているとは言えません。だからこそ、目上とはどんな存在なのか、尊敬とは何かについて深く考え、知る必要があります。ところが世の中では、心から尊敬しているかしていないかは置いてきぼりで敬語だとか忖度だとかが横行しているように思うのです。
息苦しくありませんか。私はそれが息苦しく感じながら日本にいます。
日本には素晴らしいところもたくさんありますが、特に日本を出て国外の文化に深く触れたことがない方には、本当の日本の良さはなかなか理解できないと思うのです。それは、わたしたち人間が個人として、他者と接しなければ自分の良いところが理解できないのと同じだと思います。
どんなにお金があっても、どんなに恵まれた環境にあっても、人は絶望したら死にます。