問1 Aさん宅には子供が2人いることが分かっています。Aさん宅に行った時、女の子が一人出てきて挨拶しました。もう一人の子供が男の子である確率を求めなさい。
①男男、②女女、③女男、④男女の4つのパターンで4分の1ずつであり、女の子が出てきた時点で、①がなくなるので、条件付き確率として3分の2になるような気もします。
問2 しかし、「Aさん宅は子供を2人作ることが決まっています。一人目が女の子だった場合、2人目が男の子である確率を求めなさい。」
これは、どう考えても独立事象のような気がするので、答えは2分の1だと思います。
知恵袋とかでも質問して、分かったつもりになったこともありましたが、やはり腑に落ちません。
全く性質の違う話として、雨の降る確率が10%とか20%の場合はもちろん、40%ぐらいまでのとき、私は傘を持って行きませんが、困った記憶が全くありません。これも腑に落ちない話です。
「めったに起こらないことが、いつも起きている」. . . これは多くの人が不思議に思うことだと思います。不思議に思ったときこそ、理解を深める良い機会なので、丁寧に考えてみましょう。
さて、納得のいく説明になるか全く自信がありませんが . . .
質問者さんの例をもう少しだけ単純化します。0から9までの数字がでたらめにでるサイコロのようなものがあったとします。それを十回振って出てくる10桁の数字を考えます。
例えば"1234567890" という並びが出てくる確率は [math]1/10^{10}[/math] で、すごく確率の低いことです。めったに起こらない。
さて、実際にその「サイコロ」を10回振ったら、"1423103621" という並びが出たとします。この並びが出てくる確率もやはり [math]1/10^{10}[/math] で、やはりめったに起こらないことです。
どんな10桁の数字が出てきたとしても同じです。一回一回は、それぞれ、めったに起こらないことなのです。
こう考えると、「めったに起こらないことが、いつも起きている」という一見矛盾した答えが出てきます。これが質問者さんが「変だ」と思っていることでしょう?
矛盾に見える原因は、「めったに起こらない」「いつも起きている」の意味にあります。
ひとつの考え方は . . . サイコロを振る前には、"1111111111" が出る世界も、"1234567890" が出る世界も、"14231036
「めったに起こらないことが、いつも起きている」. . . これは多くの人が不思議に思うことだと思います。不思議に思ったときこそ、理解を深める良い機会なので、丁寧に考えてみましょう。
さて、納得のいく説明になるか全く自信がありませんが . . .
質問者さんの例をもう少しだけ単純化します。0から9までの数字がでたらめにでるサイコロのようなものがあったとします。それを十回振って出てくる10桁の数字を考えます。
例えば"1234567890" という並びが出てくる確率は [math]1/10^{10}[/math] で、すごく確率の低いことです。めったに起こらない。
さて、実際にその「サイコロ」を10回振ったら、"1423103621" という並びが出たとします。この並びが出てくる確率もやはり [math]1/10^{10}[/math] で、やはりめったに起こらないことです。
どんな10桁の数字が出てきたとしても同じです。一回一回は、それぞれ、めったに起こらないことなのです。
こう考えると、「めったに起こらないことが、いつも起きている」という一見矛盾した答えが出てきます。これが質問者さんが「変だ」と思っていることでしょう?
矛盾に見える原因は、「めったに起こらない」「いつも起きている」の意味にあります。
ひとつの考え方は . . . サイコロを振る前には、"1111111111" が出る世界も、"1234567890" が出る世界も、"1423103621" が出る世界も、 . . . 全て「同等にあり得た」んですよね? 実際は、その「めったに起こらないこと」のどれかひとつが必ず起こる。
- "1423103621" が出る確率は低い = めったに起こらない。
- どれかひとつが起こる = 確実に起こる。
そういうわけで、世界というのは「めったに起こらないことのどれかひとつが起こる」の連鎖で出来ている。そう言うほかありません。(「多世界解釈」と言っても良いでしょう。枝分かれし続ける並行世界がたくさんあるなかで、自分はそのひとつしか辿ることはできない。)
その考えを適用して「めったに起こらないことが、いつも起きている」という矛盾に見える文を改良しましょう →「ひとつひとつはめったに起こらないことであるが、そのうちどれかひとつが起こるのは確実である」
これは、確率の [math]1/10^{10} + 1/10^{10} + \cdots + 1/10^{10} = 1[/math] という数式に対応する日本語です。左辺は「どれかが起こる確率」です。それが1になるので、「『どれかが起こる』ということ」は常に起きる。
以上は、多世界解釈とでもいうべき、ひとつの説明です。もう一つは、人間の認知の不完全さを基礎に据えるものです。
上では0から9までの数字がでたらめに出るサイコロを考えました。
実は、そのサイコロは精巧な機械仕掛けで(計算機プログラムでも構いません)、その中の仕組みを完全に知っている人には、次にどの目が出るかが分かるとしましょう。
あるいは、0から9までの数字が同じ確率ででたらめに書かれている長い長い乱数表が既にあって、その最初から一桁づつ読み取っていくのが「サイコロ」の中の仕組みだと思ってもいいです。
次にどの数字が出てくるのか完全に予め決まっているので、例えば、10回振って "1423103621" が出たとしたらそれは、「出るべくして出た」のです。「めったに起こらないこと」ではありません。
しかし、サイコロの仕組を知らない人には、次にどの目が出るか分からない。したがって、10回振って出てくる数字が何になるのか分からない。ですので、「次に出てくる10桁の数字を、あなたが当てることが出来る」のは「めったに起こらないこと」なのです。
この解釈では、「言い当てることが出来るかどうか」だけが確率の対象なのであって、現象自体は確率的に起きているのではないのです。
実際の世界はどっちなのかは難しい問題で、僕には完全には答えられません。
ただ、確率を応用するときには、どちらの解釈でも結果に影響はありません。というのは、内部に仕組みがあったとしても、その仕組を知らない以上、現象だけを見ている限り、二つのどちらかは区別が付かないので、人間には影響がない。
正直モンティ・ホール問題はまだ理解できていませんし、大当たり確率100分の1のパチンコが頻繁に300ハマるのも納得いきません。それが正しいということを知識として知るのと「言葉」でなく「心」で理解するのは違いますね。
私は物理の研究者ですので、結構深刻な話です。そして、研究者のその分野に対する直感は大抵当たりますが、当たらなかったときに、その研究分野が大きく進歩するのです。だから、直感が外れるときの確率は大変小さいです。
研究のテーマは当然ですが、まだ誰も解らないことをやるのです。自分のアンテナをめぐらして、どんな問題なら出来そうで、かつ、その答えが出てきたら面白そうだ、あるいは有意義そうだという問題を探します。そして、その問題が見つかったときには、決して闇雲にやるのではなくて、自分の経験で培ってきた直感を使って、その答えがここにありそうだと見当をつけて研究が始まります。
そして、熟練を積んだ経験者の直感は大抵当たります。でも、その直感が正しかったと確認するには膨大な計算やデーター集めが必要ですので時間がかかります。そして、指導教官は大学院生や若手の研究者にその問題を与えて、教官の直感を正当化すべく、頑張ってもらいます。そのようにして、若手研究者は訓練されます。今まで論文をある程度書いてきた先生なら、それでほとんどの場合、先生の直感が当たって、その若手研究者は論文が書けます。
ところが、先生だって神様じゃない。たまにその直感が外れることがあります。その場合、若手の研究者は失望して先生に報告したりします。ところが、実は先生の方としては、その直感が外れると喜ぶのです。
なぜなら、ある程度の経験を積んだ研究者
私は物理の研究者ですので、結構深刻な話です。そして、研究者のその分野に対する直感は大抵当たりますが、当たらなかったときに、その研究分野が大きく進歩するのです。だから、直感が外れるときの確率は大変小さいです。
研究のテーマは当然ですが、まだ誰も解らないことをやるのです。自分のアンテナをめぐらして、どんな問題なら出来そうで、かつ、その答えが出てきたら面白そうだ、あるいは有意義そうだという問題を探します。そして、その問題が見つかったときには、決して闇雲にやるのではなくて、自分の経験で培ってきた直感を使って、その答えがここにありそうだと見当をつけて研究が始まります。
そして、熟練を積んだ経験者の直感は大抵当たります。でも、その直感が正しかったと確認するには膨大な計算やデーター集めが必要ですので時間がかかります。そして、指導教官は大学院生や若手の研究者にその問題を与えて、教官の直感を正当化すべく、頑張ってもらいます。そのようにして、若手研究者は訓練されます。今まで論文をある程度書いてきた先生なら、それでほとんどの場合、先生の直感が当たって、その若手研究者は論文が書けます。
ところが、先生だって神様じゃない。たまにその直感が外れることがあります。その場合、若手の研究者は失望して先生に報告したりします。ところが、実は先生の方としては、その直感が外れると喜ぶのです。
なぜなら、ある程度の経験を積んだ研究者なら、未知の問題に取り掛かるときに出してくる直感が皆似たようなものだからです。ですから、その直感が当たった場合には、他の研究者たちも、そりゃそうなるだろうってんで、論文の査読審査が比較的に簡単に通ります。ところが、その直感が間違っていたとわかったら、それは、世間の経験を積んだ研究者たちも同じように間違っていたということを発見したことになるからです。ですから、まれに直感が外れたときには、直感が当たった時よりももっと優れた論文が書けるのです。
実際に、直感が外れて想定外な結果が出たことを報告する論文を書くと複数の査読者の間で意見が分かれ、一方は重要な論文だと評価し、他方はこんなこと起こるはずがないとして、論文の掲載に消極的な意見が出るのが普通です。ですから、すんなりと論文が通った仕事はあまり重要な仕事ではないのが普通です。そして、意見が分かれた場合には、私なぞ、こりゃ良い仕事をしたなと喜びます。そして、そのような論文はその分野の専門家たちに一石を投じたことになり、その後喧々諤々な議論が始まり、新しい研究分野が開けて行くのです。
ですから、研究者の直感は大抵当たりますが、当たらなかったときに、その研究分野が大きく進歩するのです。
そして、経験を積んだ研究者なら問題が与えられていれば、その答えを直感的に出せ、そしてその後の膨大な計算や実験などによりそれが大抵の場合あたりますので、問題を解くことは努力は入りますが、比較的易しいのです。それよりも人の意表をつくような全く想定外な問題を見つけて来るのが遥かに難しいのです。実際、研究者の間では、適切な問題が見つかってしまえば、それは9割ほど完成したも同じだと言われています。そして、例えば私の専門分野である理論物理学の分野では、優れた研究者とは、難しい問題を解決する人よりも、皆の直感が外れてしまうような意表を突いた問題を見つけてくる人の方が高く評価されています。
ベルトランの逆説は今でも腑に落ちてなくて、色々考えています。
仮説検定論ですね。天下りに棄却域を5%と決めたり、信頼水準を95%とするというような話です。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~pasadena/blog3probability/pdf/shinraidoimi.pdf
日本で行われている麻雀には多くの場合一翻縛りという前提があります。上がる状態になるためには、なにか1つ役が必要です。この役には「ドラ」が含まれません。ドラは1つあるごとに一翻追加になりますが、一翻縛りの時に数える役としては数えられないことになっています。
赤ありルールは、数牌のある牌を常時ドラとして扱うルールです。大抵の場合は五筒、五索など、5に関係する牌の一部が常時ドラとして扱われることになっていますが、これは元々関西で行われていた「ブー麻雀」という麻雀で1970年大阪万博の時にマークになぞらえて五筒の一部(4個中2個が主流だったようです)を赤くし、これを役の1つに数えたことがきっかけだと考えられています。
ただ、これを通常の麻雀に持ってくるときには、役として数えることはほぼなくなっています。
この赤牌は、通常牌のそれと入れ替えることによって導入されます。ですから、色はともかく、麻雀牌の数的な構成は全く代わりません。赤牌には赤五筒や赤五索だけでなく、場所(雀荘)によっては3や7がらみ、さらにインフレして2絡みがはいっていることすらありますし、入れ替える枚数も4枚中1枚どころか数枚入る可能性もありますので、"赤ありルール"の際にはそれがどれくらい入っているのか、さらにはそのせいで追加のローカル役が出来ていないかチェックする必要があります。
長くなりましたが、天和は、親だけに許された役で、配
日本で行われている麻雀には多くの場合一翻縛りという前提があります。上がる状態になるためには、なにか1つ役が必要です。この役には「ドラ」が含まれません。ドラは1つあるごとに一翻追加になりますが、一翻縛りの時に数える役としては数えられないことになっています。
赤ありルールは、数牌のある牌を常時ドラとして扱うルールです。大抵の場合は五筒、五索など、5に関係する牌の一部が常時ドラとして扱われることになっていますが、これは元々関西で行われていた「ブー麻雀」という麻雀で1970年大阪万博の時にマークになぞらえて五筒の一部(4個中2個が主流だったようです)を赤くし、これを役の1つに数えたことがきっかけだと考えられています。
ただ、これを通常の麻雀に持ってくるときには、役として数えることはほぼなくなっています。
この赤牌は、通常牌のそれと入れ替えることによって導入されます。ですから、色はともかく、麻雀牌の数的な構成は全く代わりません。赤牌には赤五筒や赤五索だけでなく、場所(雀荘)によっては3や7がらみ、さらにインフレして2絡みがはいっていることすらありますし、入れ替える枚数も4枚中1枚どころか数枚入る可能性もありますので、"赤ありルール"の際にはそれがどれくらい入っているのか、さらにはそのせいで追加のローカル役が出来ていないかチェックする必要があります。
長くなりましたが、天和は、親だけに許された役で、配牌時に上がれる形で牌が揃っていることが唯一の条件です。通常は3枚の刻子順子4組と対子1組での上がりになりますが、対子7組のいわゆる七対子や国士無双などの特殊な形式での上がりでも対象になります。前述した一翻縛りは、実はこの配形を一度も鳴いて作っていないので門前清自摸和が前提として成り立っているので、必ずあるのです。つまり、赤ありルールを採用しようがしまいが、もしくはさらにローカルルールで赤ドラに役として一翻つけようが、上がる確率には全く影響しないのですね。
天和で上がる確率は33万分の1と言われています。計算方法についてはこのブログに詳しいです。
天和の確率は約0.0003%(約33万0530分の1)であることが分かりました!
かつて少年サンデーで連載されていた漫画「少年雀鬼 東」では、ローカル役「東北新幹線」で、
萬子のうち1枚を索子(確か六索だった気がする)に入れ替えて上がり「グリーン車ですよ」と言い張っていましたが、こういう風な通常の並びではない役が増えれば、もう少し、本当に少しだけ天和の確率も上がるかもしれないですね。まあ、この漫画の主人公・東は天和で上がる確率がやけに高いし、そもそも東をカンすれば必ず役満で上がれるという必殺技、もとい必勝技を持っているのですが。
つい先日、この質問を観た時に「そ~言えば、昔、旅行中にフィラデルフィアの宿に泊まった際に偶然出会った日本人に、それから1か月以上経った後、そこから2,500㎞も離れたコロラド州のデンバーのバス停で偶然ばったり再会(お互い旅行中)」という経験をした事があったので、その事を書こうかと思って取っておいたのですが...
まさかそれ以上の「偶然」にたった今、遭遇してしまったので、その事を誰かに聞いてほしくて、ここで回答する事にしました。
その「偶然」はなんと、このQuoraで起こってしまいました。
…とあるご質問に対しJ氏が回答をなされます。
このJ氏の回答に対し私がコメントするのですが、それに対し今度はY氏がコメントを残されます。
…とまぁ、ここまでは、ごくごく普通の流れです。
しかし、その後、そのコメント欄で昔話(?)が始まり、その流れで、私の過去アルバムが紹介されるわけですが、なんと、私が撮影していた写真の1枚に「そのY氏が写り込んでいたいた」事が発覚。場所は海外、そして16万人も参加していたイベントでの一瞬の出来事です。
そして、その写真と写り込んだ「Y氏」
実はこの写真は2017年にラスベガス近郊にあるネリス空軍基地で行われたエアショーで撮影した物なのですが、この年は久しぶりに私の仕事が休みだったので観に行く事にしました。
この写真を撮った時、私は写真に写っている戦闘機(F-35)が離陸する事を
つい先日、この質問を観た時に「そ~言えば、昔、旅行中にフィラデルフィアの宿に泊まった際に偶然出会った日本人に、それから1か月以上経った後、そこから2,500㎞も離れたコロラド州のデンバーのバス停で偶然ばったり再会(お互い旅行中)」という経験をした事があったので、その事を書こうかと思って取っておいたのですが...
まさかそれ以上の「偶然」にたった今、遭遇してしまったので、その事を誰かに聞いてほしくて、ここで回答する事にしました。
その「偶然」はなんと、このQuoraで起こってしまいました。
…とあるご質問に対しJ氏が回答をなされます。
このJ氏の回答に対し私がコメントするのですが、それに対し今度はY氏がコメントを残されます。
…とまぁ、ここまでは、ごくごく普通の流れです。
しかし、その後、そのコメント欄で昔話(?)が始まり、その流れで、私の過去アルバムが紹介されるわけですが、なんと、私が撮影していた写真の1枚に「そのY氏が写り込んでいたいた」事が発覚。場所は海外、そして16万人も参加していたイベントでの一瞬の出来事です。
そして、その写真と写り込んだ「Y氏」
実はこの写真は2017年にラスベガス近郊にあるネリス空軍基地で行われたエアショーで撮影した物なのですが、この年は久しぶりに私の仕事が休みだったので観に行く事にしました。
この写真を撮った時、私は写真に写っている戦闘機(F-35)が離陸する事を知らず、場内を歩き回っていました。離陸する事が解っていたら柵ギリギリまで行って待ち構えていたハズです。
その為、戦闘機がエンジンを鳴り響かせて離陸に入った瞬間に私が居たのは滑走路脇ではありませんでした。慌てて離陸する戦闘機を撮影したのが上の一枚です。ですから、通常なら「戦闘機だけが撮影される」ハズの写真に大勢のギャラリーが写り込んでいます。
こういう(ギャラリーが写り込む)事は滅多にないのですが、まさか、その写り込んだ20名程度のギャラリーのそれもど真ん中に「Y氏」が単体で写り込んでいたとは…この会場には他に10万人近い人がいたんですよ!
因みにこちらがその時のアルバムです。
そして、こちらが問題のQuora上での質問と回答です。(話の展開はJokawa Takayoshi氏の回答内のコメント欄で展開されています)
いやぁ、それにしても、Quora上でこんな偶然があるんだと思って、ちょっと鳥肌が立ちましたよ。
確率0は「あり得ない」という意味ではないことでしょうか。
まあ、腑に落ちない、とは言いませんが。
10%の確率で当たるということは90%の確率で外れる、ということですよね。
90%の確率で「外れ続ける」のはどんな確率でしょうか。
10回連続で外れ続ける確率を求めて見ましょう。
1回目 外れる確率 90%
2回目も続けて外れる確率 90% * 90%
3回目も続けて外れる確率 90% * 90% * 90%
4回目も続けて外れる確率 90% * 90% * 90% * 90%
…
10回も続けて外れる確率 90%*90%*90*…90% (90%を10回掛ける)
[math](90\%)^{10}=34.87\%[/math]
なんと3割以上の人が10%の確率を10回連続して外していることになります。逆に言えば、6割強の人が10%の確率を10回引いて少なくとも1回は当てていることになります。あれれ、半分チョイしかいないんですね、10%を10回で当てられる人は。
10%の確率は10回引いて必ず1回が当たることを保証していません。何回引こうが、10%の確率でしか当たらないのです。
この質問で言われている「重要なとき」というのは、人生にそう何回もあるわけではないイベントにおいては、ということですね。
別に試行回数が少なくても、役に立てる考え方は可能です。たとえば、「仏滅の日に結婚式をしたカップルが3年以内に離婚する確率は15%だが、大安の日に結婚したカップルは、0.5%である。」という統計的事実があったとしたらどうでしょう?もちろん、これは嘘っぱちですが、仮にこのような事実があったとすれば、あなたは仏滅の日に結婚式はしない選択をするのではないでしょうか?入試の時だって、「模試でC判定が出ている場合、合格の可能性は3%」という統計的事実があれば、受験先を選び直すのではないですか?もちろん本当にそうなるのか、そうでないのかはやってみなければわかりません。でも、少なくとも行動を決定する際の参考にはなりますよね。これ以上の、何の役に立ってほしいんでしょう?
確率・統計に意味がないと考えるのは、確率・統計に多くを期待しすぎていて、その正しい使い方をご存じないからだと思います。確率に100%はないですし、たとえ小さい確率でもその事象が起こらないとは、誰にも言えない、というのは当然のことです。確率・統計は、予言者の事ではありません。何かが起こる前に、それが起こるかどうかを示してくれるようなものではないですので、まずはそれを理解されることですね。それを理解したうえで、行動の参考や
この質問で言われている「重要なとき」というのは、人生にそう何回もあるわけではないイベントにおいては、ということですね。
別に試行回数が少なくても、役に立てる考え方は可能です。たとえば、「仏滅の日に結婚式をしたカップルが3年以内に離婚する確率は15%だが、大安の日に結婚したカップルは、0.5%である。」という統計的事実があったとしたらどうでしょう?もちろん、これは嘘っぱちですが、仮にこのような事実があったとすれば、あなたは仏滅の日に結婚式はしない選択をするのではないでしょうか?入試の時だって、「模試でC判定が出ている場合、合格の可能性は3%」という統計的事実があれば、受験先を選び直すのではないですか?もちろん本当にそうなるのか、そうでないのかはやってみなければわかりません。でも、少なくとも行動を決定する際の参考にはなりますよね。これ以上の、何の役に立ってほしいんでしょう?
確率・統計に意味がないと考えるのは、確率・統計に多くを期待しすぎていて、その正しい使い方をご存じないからだと思います。確率に100%はないですし、たとえ小さい確率でもその事象が起こらないとは、誰にも言えない、というのは当然のことです。確率・統計は、予言者の事ではありません。何かが起こる前に、それが起こるかどうかを示してくれるようなものではないですので、まずはそれを理解されることですね。それを理解したうえで、行動の参考や指針にすることを覚えれば、もう少し、人生は生きやすいものになるかもしれませんし、ならないかもしれません。
そもそも、生起確率が計算可能である事象の方が、世の中では珍しいですからね。そういう意味で確率・統計は、役に立たないのではなくて、活躍できる場があまりにも少ない、というべきかもしれません。
何かの事象を確率として考えるためには「同程度に確からしい」という前提が必要になります。例えばひらがなを46文字として、1000文字のひらがなの羅列は46^{1000}のパターン(1663桁)があります。適当にひらがなを並べてそれが特定のひらがなの配列になる確率はほぼ0です。これはすべての配列は同じ確率で生み出される(同程度に確からしい)という仮定があるからです。
しかしあなたが特定の配列を意識して作ることとこの確率は何の関係もありません。確率を考える対象としての配列は、あなたが都合よく並べて作った配列ではないからです。
確率論はギャンブルの賭け金をめぐって誕生したと言われています。例えばギャンブルが途中で中止になってしまった時、それまでに集まった賭け金をどう配分するかは重大な問題です。その場合中止にならなかったときギャンブルはどう推移するか、客観的に判断しないといけません。一つ一つの起こり得る場合をすべて調べ、それぞれの起こる確率を考える必要があります。自分が勝つ場合だけを取り上げ、だから賭け金をよこせというのは通りませんね。質問者さんの「適当な配列を何回でもいえる」というのは「自分が勝つ場合は何回でも起こり得る」というようなものだと思います。
大変重要なことに気が付きましたね。
そもそも、「同様な確らしさ」っていうけど、それが確からしいか確からしくないかは人によって皆判断が違います。また、「同様」と言っても、何と何が同様なのかの判断も人によって違うはずです。ですから、「同様な確らしさ」を根拠に論理体系を作り上げるその根幹には人それぞれの主観が入り込んでいる。それなのに、確率論が、人それぞれの主観に基づかずに客観的に論理が組み立てられるって、自明なことではありませんね。ところが、数学の教科書を読むと、確率という概念を定義して、それに公理論的な構造を入れて客観的な論理体系を構築している。そして、その体系を使って自然界の事象を論じると、それなりに合理的な予測が可能になっているという、自明でない経験を人類はして来ました。
こんな、主観的な事柄に基づいた概念が、客観的な事象を合理的に説明できるって、何か不思議ですね。なぜ、確率という主観的な概念で、この宇宙の事象を合理的に客観的に説明できるのか。それには、何か深淵な物理的な根拠があるはずです。だから、その深淵な根拠を探ることは、物理学の重要な課題の一つになっています。その分野を真剣に論じている研究分野が、カオスの力学と統計力学です。そして、現在でもその根拠に関して、活発な研究が進められております。
要するに、数学的に確率論なるものが無矛盾に構築できたとしても、それで確率論がわかるようにな
大変重要なことに気が付きましたね。
そもそも、「同様な確らしさ」っていうけど、それが確からしいか確からしくないかは人によって皆判断が違います。また、「同様」と言っても、何と何が同様なのかの判断も人によって違うはずです。ですから、「同様な確らしさ」を根拠に論理体系を作り上げるその根幹には人それぞれの主観が入り込んでいる。それなのに、確率論が、人それぞれの主観に基づかずに客観的に論理が組み立てられるって、自明なことではありませんね。ところが、数学の教科書を読むと、確率という概念を定義して、それに公理論的な構造を入れて客観的な論理体系を構築している。そして、その体系を使って自然界の事象を論じると、それなりに合理的な予測が可能になっているという、自明でない経験を人類はして来ました。
こんな、主観的な事柄に基づいた概念が、客観的な事象を合理的に説明できるって、何か不思議ですね。なぜ、確率という主観的な概念で、この宇宙の事象を合理的に客観的に説明できるのか。それには、何か深淵な物理的な根拠があるはずです。だから、その深淵な根拠を探ることは、物理学の重要な課題の一つになっています。その分野を真剣に論じている研究分野が、カオスの力学と統計力学です。そして、現在でもその根拠に関して、活発な研究が進められております。
要するに、数学的に確率論なるものが無矛盾に構築できたとしても、それで確率論がわかるようになったわけではないのです。なぜ、確率論がこの宇宙の事象を論じるのに有効な方法であるのかがわからないと、確率論がわかるようになったとは言えないのです。
昔うちのエンジニアがお客様から、この部分は100%の精度を担保願いたいと言われていて、困っていました。機械に絶対ってないんですよ。駆動する限りは壊れます。
なので二重化しました。同じ機構を2つ持っておいて片方が壊れた時に片方がバックアップで作動するようにしたのです。これでほぼ100%です。
すると 「二重化が壊れたらどうするんだ?」という注文が来ました。200%を確保せよと言うのです。
あのー、二重化ってですね…というところから説明を開始したのですが、二重化が確実に動くようにしたいと仰います。
みんなで、えーってなりましたね。いろいろ議論した挙句に半年後に三重化することになりました(笑)
コストは馬鹿みたいに上がりましたが、 それで良いそうです。なので、三重化することで200%は担保したわけですが、その故障率の期待値計算を延々とやらされる同僚を見ていて、可哀想になりました。
確率を誤解する人はいつでもそうですが,考え方が間違っているのです.確率が苦手な原因を特定し,低減する様に努力しましょう.ここでは,その助けをします.
苦手を低減する為に,まずは,前提を確認しておきましょう.
第一に,
- 間違いは誰にでもある
と言う事と,
- 「二度と同じ過ちを繰り返さない」と言うのは偽善に過ぎない
と言う事の2つです.特に後者は「学習」において重要です.
簡単に言えば,「何度も同じ間違いを繰り返すので,何度も学習を繰り返さなければならない」と言う至極当たり前の事です.繰り返し学習とか,反復練習とか呼ばれています.
それでも,正しい原因究明が重要なのは,
- 正しい原因究明によってのみ,正しい改善を行う(ここでは,質問者の確率への苦手意識を緩和する)事が出来るから
です.よって
- 正しい原因究明(この様な誤りが生じる原因の正しい認識)しよう
と言う「姿勢」が大切です.
余談ですが,私の傘置き忘れについて,書いておきましょう.
私は今でも傘を置き忘れます.「安物を使うから大切にせず忘れるのだ」と原因を推察し,それなら「高い物なら大切にするであろう」と予測して,高い物を買いましたが,それさえも何度も置き忘れました.原因を見誤っていたのです.原因を見誤ると,対策も見誤ると言う典型例です.至極当然の事でもありますね.
なお,現在は「折り畳み傘」にしています.そして傘を畳む時は,ポリ袋に入れて鞄にしまう」事にしました
確率を誤解する人はいつでもそうですが,考え方が間違っているのです.確率が苦手な原因を特定し,低減する様に努力しましょう.ここでは,その助けをします.
苦手を低減する為に,まずは,前提を確認しておきましょう.
第一に,
- 間違いは誰にでもある
と言う事と,
- 「二度と同じ過ちを繰り返さない」と言うのは偽善に過ぎない
と言う事の2つです.特に後者は「学習」において重要です.
簡単に言えば,「何度も同じ間違いを繰り返すので,何度も学習を繰り返さなければならない」と言う至極当たり前の事です.繰り返し学習とか,反復練習とか呼ばれています.
それでも,正しい原因究明が重要なのは,
- 正しい原因究明によってのみ,正しい改善を行う(ここでは,質問者の確率への苦手意識を緩和する)事が出来るから
です.よって
- 正しい原因究明(この様な誤りが生じる原因の正しい認識)しよう
と言う「姿勢」が大切です.
余談ですが,私の傘置き忘れについて,書いておきましょう.
私は今でも傘を置き忘れます.「安物を使うから大切にせず忘れるのだ」と原因を推察し,それなら「高い物なら大切にするであろう」と予測して,高い物を買いましたが,それさえも何度も置き忘れました.原因を見誤っていたのです.原因を見誤ると,対策も見誤ると言う典型例です.至極当然の事でもありますね.
なお,現在は「折り畳み傘」にしています.そして傘を畳む時は,ポリ袋に入れて鞄にしまう」事にしました.それでも,鞄にしまい忘れて,置き忘れた事もありますが,置き忘れる事は激減しました.正しい対策である証拠ですね.
第二に確認しておくべき事は,
- 思考は言語にしなければ,思考とは言えない
あるいは,
- 自分の考えの言語化
です.「言語化」には種類があって,
- 頭の中での言語化
- 声で言語化する
- 書記で言語化する
言語にしないうちは,「考えているとは言えない」ですよね.質問者も,また「僕が今から適当なひらがなの羅列を1000桁言う確率はすごく低いはずです.・・・」と言語化していますね.
「言語と思考力は一体」と良く言われますし,その場合,「言語としては母国語が重要」と言われます.
例えば「ものの『あわれ/哀れ』は外国人に理解しづらい」などと言われます.しかし,これは誤りです.外国人が日本に来て事の夕焼けを見た時,「これを日本では『哀れ』と言うのです」と教えれば理解出来る外国人は沢山いますし,同様の事を日本人にしても理解出来ない日本人は沢山います.
この例における「母国語神話は誤り」と導出する事も,正しい思考の一種ですね.後で分かる様に,大切なのは「正しく考える事」=「正しい言葉を使う事」なのです.
まずは,以上の様な,「言語化」を強く認識して下さい.
さて,ここからが原因究明ですが,自分が言語化した文を精査するだけです.
質問者の答えが「確率」と矛盾するのですから,質問者の言葉の何処かに間違いがあるはずです.しかも質問者は「確率はすごく低いはず」と言っているのですから,質問者が「確率」に関する学力が全く無いと言う訳でもありません.逆に言えば,質問者程度の「確率」に関する学力があれば,矛盾の解決も容易と言う事です.
実は,全く学力のない人は,「疑問」「矛盾」も感じません.当然ですね.
質問者の質問を区切ると,
- 「確率がどうも好きになれません」は不要
- 僕が今から適当なひらがなの羅列を1000桁言う確率はすごく低いはず
- 僕はそれが今できる
- 低い確率のことを何回も行えることになる
所謂,三段論法 ですね.
まず,良く考えずに三段論法を使用すると,偶然を除き,殆ど間違います.
ネット上にある「三段論法」は,質問者を含め,殆ど間違っているので,注意しましょう.つまり,「三段論法」を使用する時は,「思考」の重要性がより大きくなります.
さて,「僕はそれが今できる」は間違っていませんよね.にも拘らず,「結論」が間違っているのですから,間違いが隠れているのは「前提」です.
なお,もし「前提」に間違いがなければ,次は「繋がり」を精査します.「繋がり」が間違っている例もまた沢山あります.
と言う訳で,「僕が今から適当なひらがなの羅列を1000桁言う確率はすごく低いはず」を精査します.
例えば「句」に区切って,
僕が/今から/適当な/ひらがなの/羅列を/1000桁/言う/確率は/すごく/低い/はず
間違いがあるとすれば,「低い」か,「はず」ですね.では,そこを言い換えます(前半部略です).
- 確率は/すごく/高い/はず
- 確率は/すごく/低い/と感じる
当然ですが,「はず」は「のでは?(疑問)」,「はずがない(否定)」などでも置き換えましょう.
もう原因が分かりましたね.
- 「自分は確率が苦手」と言っている質問者が,確率に関して「はず」と断定に近い事を言ってしまった事,
これが,失敗の原因です.
よって,
- 「自分は確率が苦手」なのだから,確率はすごく低いと感じるのだな
と考えなければなりません.
これで分かったと思いますが,念の為に,コメントしておきます.
「苦手」なのに「断定」って,傲慢/主観的/自己中心的じゃないですか?
逆に言えば,「ホニャララが不得意」な人の多くは「ホニャララに対して,傲慢/主観的/自己中心的」なのです.
よって,改善方法は,謙虚/客観です.
謙虚さとは「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずとせよ。是れ知るなり.(為政第二より)」「何でもは知らないわよ.知ってる事だけ(化物語,羽川翼)」です.なお「無知の知(ソクラテス)」はどうでも良いです.考える時,その人は「無知」な訳ではないので.
客観とは「苦手(主観)」を抜きに考える,と言う事です.
これらから,学力不足を補おうと言う学習意欲/向上心が生まれます.
要は,傲慢/主観/自己中心を捨てましょう,と言う事です.
さて,「今から適当なひらがなの羅列を1000桁言う確率」はどれくらいでしょうか?
- 質問者はそれを言おうとしているのだから,「適当なひらがなの羅列を1000桁言う確率」はほぼ100%です.
「ほぼ」が付いているのは,トイレに行きたくなって,親に呼ばれて,つまり,途中で邪魔が入って,更には,途中で挫けて,言えなくなる可能性があるからです.如何なる可能性も,可能性は常に残されています(未来は分からないと言う事です).
よってこれらがなければ,質問者はそれを確実に,100%の確率で言う事が出来ます.もし「言わない」「言う事が出来ない」のであれば,(質問者が言うと言ったのですから)質問者は嘘付きだったと言うだけの事ですね.
こうやって,正解に辿り着いてみると,質問者は次の様に言わなければなりません.
- 例えば僕が今から適当なひらがなの羅列を1000桁言う確率は100%のはずです.僕はそれが今できます。なので100%確率のことを何回も行えることになりませんか?
こう書いてみると,「100%確率のことを何回も行えることになる」のも全く当然の事であり,疑問文になりませんよね?
これが,正しく考える,と言う事です.
(当初の目的であった)確率の苦手意識の低減,に少しは寄与したでしょうか?
前述の様に,一例で,確率が正しく使える様になるはずがありません.今後は,
- 繰り返し学習
- 正しい言語化
- 謙虚と客観
を忘れない様に.
確率変数は,数学内のオブジェクトだと考えると,解釈がおかしなことになってしまうと思います.現実と数学の間にある中間モデルのようなものでのオブジェクトだと考えるのが正しい捉え方だと思います.その意味で,この「関数である」というのが数学での関数の意味だとすると,これは大変に misleading だと思います.数学を知らない人たちにとってはどちらでも同じとも言えるのかもしれませんが.
ただし,確率変数は,コンピュータプログラムでの関数のようなものだ,ということは言えるかもしれません.呼び出すと何らかの値を返してくれるもの,というのが確率変数の実体だし,コンピュータプログラムでの関数も (プログラムコードとしてではなく,その機能として,特にブラックボックスとして捉えているときには) 「呼び出すと何らかの値を返してくれるもの」だからです.
大抵のコンピュータ言語には,呼び出すとなんちゃって疑似乱数を返してくれる関数が用意されていますが,これと確率変数の類似性は大変に高いものになる,と言えるかもしれません.
上で,「数学を知らない人たちにとってはどちらでも同じとも言えるのかもしれませんが」というちょとラフなコメントを書いてしまったのですが,実は,歴史的には,デカルトやライプニッツの時代から,19世紀の中葉くらいまで,一般の人の数学だけでなく,先端研究としての解析学も,「現実と数学の間にある中間モデ
確率変数は,数学内のオブジェクトだと考えると,解釈がおかしなことになってしまうと思います.現実と数学の間にある中間モデルのようなものでのオブジェクトだと考えるのが正しい捉え方だと思います.その意味で,この「関数である」というのが数学での関数の意味だとすると,これは大変に misleading だと思います.数学を知らない人たちにとってはどちらでも同じとも言えるのかもしれませんが.
ただし,確率変数は,コンピュータプログラムでの関数のようなものだ,ということは言えるかもしれません.呼び出すと何らかの値を返してくれるもの,というのが確率変数の実体だし,コンピュータプログラムでの関数も (プログラムコードとしてではなく,その機能として,特にブラックボックスとして捉えているときには) 「呼び出すと何らかの値を返してくれるもの」だからです.
大抵のコンピュータ言語には,呼び出すとなんちゃって疑似乱数を返してくれる関数が用意されていますが,これと確率変数の類似性は大変に高いものになる,と言えるかもしれません.
上で,「数学を知らない人たちにとってはどちらでも同じとも言えるのかもしれませんが」というちょとラフなコメントを書いてしまったのですが,実は,歴史的には,デカルトやライプニッツの時代から,19世紀の中葉くらいまで,一般の人の数学だけでなく,先端研究としての解析学も,「現実と数学の間にある中間モデル」 での学問であり続けたと言えるのではないかと思います.それができたのは,この時期に数学が,一種の (理論) 物理学として発展したし,発展し得た,という状況があったからでしょう.この時代での「関数」は,「呼び出すと何らかの値を返してくれるもの」と考えてもそれほど間違っていなかったかもしれなくて,だから,現代でも18世紀数学を生きている本の著者が「確率変数は関数である」と断言したとしても,それほど不思議はないかもしれません.この発言の面白いところは,「確率変数」の考え方自体は,関数概念の確定した20世紀の産物で,この概念を導入した人は,現代的の意味での関数を知っていた可能性が高いことです.18世紀と20世紀の結婚というのもグロテスクだけれど,ある意味では結構味のあるものとも言えるかもしれません.
事の真相は,しかし,もう少し複雑のようです.確率変数自身は,数学と現実の間にある中間モデルでの対象としても,この確率変数の挙動を記述する(確率変数の統計的挙動の解釈となっている) 数学内の対象〈Ω,𝑋,𝐸,𝓕,𝑃,𝓐〉が確率変数と対になっています (これは,例えば,ニュートン力学で,物体の運動を数学内の対象 𝑓: ℝ→ℝ³ で記述する,というのと似た状況と言えるでしょう).これを確率変数と同一視し,〈Ω,𝑋,𝐸,𝓕,𝑃,𝓐〉を 𝑋 で代表させて, 𝑋 が (数学の意味での) Ω から 𝐸 への関数なので,確率変数は関数だ,と極論する,というのが,実は,この「確率変数関数説」の実態のようです.
今英語の wikipedia の random function の項目をチェックしてみたところ,この項目では ,〈Ω,𝑋,𝐸,𝓕,𝑃,𝓐〉側の説明に終始している記述になっているため統計的な対象としての確率変数が何なのかよく分からない記述になっていたのですが,この「確率変数は関数」説は,「むしろ関数と言える」というようなぼかしの入った,しかも〈Ω,𝑋,𝐸,𝓕,𝑃,𝓐〉についての言及を含む説明になっていました.これを中途半端に理解した人が「確率変数は関数である」と断言してしまうこともあるかもしれません.
最終的に確率統計の応用での出口で議論されるのは,𝑃(𝑋⁻¹(𝐴)) という形の表現とその値に殆ど限られるし,〈Ω,𝑋,𝐸,𝓕,𝑃,𝓐〉と,呼び出すと値 (event: 数学内での 𝐸 の要素に対応する)を返してくれる実態としての確率変数との関係は,まったく説明されないことも多いので,これは理解しろと,いうのが無理な話かもしれません.告白すると,私も学生の時には理解できませんでしたし,その時の教科書の著者が理解している,とも思えませんでした.
全数調査するのは大変だからです。
統計学で重要な考え方に「スチューデントのt検定」というのがあります。
Student's t-testという名前で発表されたからです。
発見者は統計学者のウィリアム・ゴセットですが、ビール会社の「ギネス」に勤めていて会社から社内で得た情報を社外に発表してはいけないという契約をしていたので、仕方なく「一生徒のTテスト」という名前で発表したからです。
ギネスというと「ギネスブック」の方が有名かも知れませんが、そちらは酒の席で「世界一〇〇なのは□□だ!」という論争に決着をつけるために始めたのです。元は美味しいビール屋です。
ビールというのは酵母で発酵させて作るのですが、その「味」を一定にするのは「生もの」なのでとても大変です。
出来たビールを全て味わえば問題は無いでしょう。
しかし「それでダメ」だったらその樽は「全て廃棄」なわけです。
ビールの発酵樽の数は少なく、そこから取れるサンプルはとても「少量」です。
ゴゼットは「少量のサンプル」から「全体」を「予測する方法」を発見したのです!
1900年ごろのビールは、酵母の数が正確に計測できなかったために、味が不安定だったと言われる。 発酵タンクの数はとても少なかった(小標本であった)にもかかわらず、正規分布をつかって推定していたため、精度が悪かった。 ゴセットはそれまでのデータを調べ上げ、平均からの偏差を不偏標準誤差で割った単純
全数調査するのは大変だからです。
統計学で重要な考え方に「スチューデントのt検定」というのがあります。
Student's t-testという名前で発表されたからです。
発見者は統計学者のウィリアム・ゴセットですが、ビール会社の「ギネス」に勤めていて会社から社内で得た情報を社外に発表してはいけないという契約をしていたので、仕方なく「一生徒のTテスト」という名前で発表したからです。
ギネスというと「ギネスブック」の方が有名かも知れませんが、そちらは酒の席で「世界一〇〇なのは□□だ!」という論争に決着をつけるために始めたのです。元は美味しいビール屋です。
ビールというのは酵母で発酵させて作るのですが、その「味」を一定にするのは「生もの」なのでとても大変です。
出来たビールを全て味わえば問題は無いでしょう。
しかし「それでダメ」だったらその樽は「全て廃棄」なわけです。
ビールの発酵樽の数は少なく、そこから取れるサンプルはとても「少量」です。
ゴゼットは「少量のサンプル」から「全体」を「予測する方法」を発見したのです!
1900年ごろのビールは、酵母の数が正確に計測できなかったために、味が不安定だったと言われる。 発酵タンクの数はとても少なかった(小標本であった)にもかかわらず、正規分布をつかって推定していたため、精度が悪かった。 ゴセットはそれまでのデータを調べ上げ、平均からの偏差を不偏標準誤差で割った単純な値(t値)が、確率分布(t分布)に従うことを発見した。
質問に簡単に答えると「ビールが美味しいか不味いかを調べるには「全部飲んで」味見すれば良い」
しかし「全部飲んだら出荷する製品が無くなる」
だから「少量を確認すること」で「全体の味を確認できる」ことが「統計学の価値(確率を計算する意味)」なんですよ
なぜ確率を計算するのですか?当たるか当たらないかを知ることはできないし、そもそも正しいのかもわからないのに。納得できないです。
「当たるんです」もちろん「どのくらいの確率で当たる」かも計算できます。
であれば「当たった時の確率」×「利益」と「外れた時の確率」×「損失」を計算すれば「どっちを選べば良いか」が判断できるのです。
脚注
もう死語になりつつあるのが
人情
義理
仁義
他にも沢山あると思います。
上の三つももう普通にはないかも知れないなあ、地方の一部都市にしか残っていないかも。
仕方ないですよね。
私を含めて日本人全体が世間のしがらみが嫌で、日本の家族制度が嫌で
逃げて逃げてきた結果なのですから。
子供世代は弱肉強食のスーパードライな世界に生きています涙。
しますよ。
交通事故死みたいな類稀な現象が特定の県で突如多発したり多発してた県で突如収まったりしないのがその証拠です。
サンプル数が多くなると概ねあるべき数に収束していきます。
手元にある高校の教科書によれば,
- 事象[math]A[/math]が起こったときに,事象[math]B[/math]が起こる確率(数研出版)
- [math]A[/math]が起こったことがわかったとして,このとき[math]B[/math]が起こる確率(啓林館)
となっています。そして,その確率[math]P_A(B)[/math]は
[math]P_A(B)=\dfrac{n(A\cap B)}{n(A)}=\dfrac{P(A\cap B)}{P(A)}[/math]
で求める,と書いてあります。具体例も一緒に載ってはいますが,なかなかしっくりきません。
僕が高校で確率を習った当時は,条件付確率が指導内容に含まれておらず,代わりに期待値がありました。なので,条件付確率は大学で初めて習ったのですが,モヤモヤして納得するまでにかなりの時間を要しました。
生徒に説明するときも,「『モヤっとボール』を投げたくなるよね」なんて言いながら教えています。
式からは分かりづらいですが,結局やっていることは日常で行われているごく自然な発想であるといえます。そのことを分かってもらうために,いつも次のような説明をします。
例えば,40人のクラス(男子25人,女子15人)でノートの落とし物があったとします。ノートには名前が書かれておらず,この時点では持ち主候補は40人です。ちょっとノートの中を覗いてみたらどうも男子の字だとなれば,持ち主候補から女子は除かれて男子25人から持ち主を探します。
条件付確率もこれと同じことで,事象[math]A[/math](上の例で言えば,ノートの持ち主が男子である事象)
手元にある高校の教科書によれば,
- 事象[math]A[/math]が起こったときに,事象[math]B[/math]が起こる確率(数研出版)
- [math]A[/math]が起こったことがわかったとして,このとき[math]B[/math]が起こる確率(啓林館)
となっています。そして,その確率[math]P_A(B)[/math]は
[math]P_A(B)=\dfrac{n(A\cap B)}{n(A)}=\dfrac{P(A\cap B)}{P(A)}[/math]
で求める,と書いてあります。具体例も一緒に載ってはいますが,なかなかしっくりきません。
僕が高校で確率を習った当時は,条件付確率が指導内容に含まれておらず,代わりに期待値がありました。なので,条件付確率は大学で初めて習ったのですが,モヤモヤして納得するまでにかなりの時間を要しました。
生徒に説明するときも,「『モヤっとボール』を投げたくなるよね」なんて言いながら教えています。
式からは分かりづらいですが,結局やっていることは日常で行われているごく自然な発想であるといえます。そのことを分かってもらうために,いつも次のような説明をします。
例えば,40人のクラス(男子25人,女子15人)でノートの落とし物があったとします。ノートには名前が書かれておらず,この時点では持ち主候補は40人です。ちょっとノートの中を覗いてみたらどうも男子の字だとなれば,持ち主候補から女子は除かれて男子25人から持ち主を探します。
条件付確率もこれと同じことで,事象[math]A[/math](上の例で言えば,ノートの持ち主が男子である事象)が起こったことがわかれば,すべての場合を分母にする(クラス全員の中から持ち主を探す)必要はなくなり,事象[math]A[/math]が起こる場合を分母にすれば(男子から持ち主を探せば)よいことになります。
何かの決断に役立つのではなく、何かをする際にリスクヘッジをするのに役立ちます。
結婚や就職についても様々な要素がありますが、それぞれについての要素にまつわる確率を確認することによって、良い結果が出やすい行動や悪い結果に繋がりやすい予兆などが推定できるようになります。
それらを参考にして振る舞いを変えることによって、より幸せな未来を作ったという幻想を抱くことができるのです。
何かの決断に役立つのではなく、何かをする際にリスクヘッジをするのに役立ちます。
結婚や就職についても様々な要素がありますが、それぞれについての要素にまつわる確率を確認することによって、良い結果が出やすい行動や悪い結果に繋がりやすい予兆などが推定できるようになります。
それらを参考にして振る舞いを変えることによって、より幸せな未来を作ったという幻想を抱くことができるのです。
あーうん、そうだね。
あーうん、そうだね。
過去に繰り返され、未来も繰り返されるであろう事象なら可能です。
もちろん、何から何まで全く完全に同じ事象は二度と起きません。ある部分だけ切り出したり、どこかで大括りにしたりすることで繰り返しを見出すのは人間です。
その上で確率は計算できるし、人間にとって十分に価値を提供しています。
たとえば、人は高々1回しか死にません。二度と繰り返さない出来事です。しかし死亡原因だけを切り出し、日本人と大括りにすることで確率を計算でき、今後の死因や死者数を予想できます。
なお「007はニ度死ぬ」は日本人が創作したタイトルで、作中で007は死んでません。元は"You only live twice" で「人はニ度だけ生きる」という正反対の意味でした。
過去に繰り返され、未来も繰り返されるであろう事象なら可能です。
もちろん、何から何まで全く完全に同じ事象は二度と起きません。ある部分だけ切り出したり、どこかで大括りにしたりすることで繰り返しを見出すのは人間です。
その上で確率は計算できるし、人間にとって十分に価値を提供しています。
たとえば、人は高々1回しか死にません。二度と繰り返さない出来事です。しかし死亡原因だけを切り出し、日本人と大括りにすることで確率を計算でき、今後の死因や死者数を予想できます。
なお「007はニ度死ぬ」は日本人が創作したタイトルで、作中で007は死んでません。元は"You only live twice" で「人はニ度だけ生きる」という正反対の意味でした。
ギャンブルのタグが付いているので、ギャンブル的な側面となると、
どこかのサイト(URL失念)で読んだんですが、白と黒の玉を同じ数だけ透明な器に入れて、振り回して拡散させても、白黒白黒・・・とはならずに、白が連続しているところ、黒が連続しているところが必ず出てくる。
確率は50%50%だが、ギャンブルとはそのゆらぎを流れと捉えるんだ。
って書いてあり、ああなるほどな。と思いました。
こういう時は先行研究を参照してみましょう。
以下は有名な(?)海外某都市の治安に関する都市伝説より引用(太字回答者)。
軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた
ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた
車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する
宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった
女性の1/3がレイプ経験者。しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から「赤子ほど危ない」
「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた
「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と服を盗まれ下着で戻ってきた
最近流行っている犯罪は「石強盗」 石を手に持って旅行者に殴りかかるから
中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。一度襲われてまた襲われる確率が50%の意味
ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人、うち約20人が外国人旅行者。
ということで、一度確実に発生し、そのあともう一度確実に発生す
こういう時は先行研究を参照してみましょう。
以下は有名な(?)海外某都市の治安に関する都市伝説より引用(太字回答者)。
軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた
ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた
車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する
宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった
女性の1/3がレイプ経験者。しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から「赤子ほど危ない」
「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた
「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と服を盗まれ下着で戻ってきた
最近流行っている犯罪は「石強盗」 石を手に持って旅行者に殴りかかるから
中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。一度襲われてまた襲われる確率が50%の意味
ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人、うち約20人が外国人旅行者。
ということで、一度確実に発生し、そのあともう一度確実に発生する、という定義に一票。
例えば機械モノの商品の場合を考えてみましょうか。
おおよそのデザインが決まったら、設計に入ります。機械モノなので、「必ず動く」ように組立図を書きます。動作は100パーセント「確実」でなければなりません。設計段階で、「動作確率80パーセント」などと言うことは絶対にありません。
次に、組立図を「バラシ」て、部品図を起こします。全部品について書き込みます。この時必要なのが「公差」という数字で、100㎜の長さのモノに対して例えば±0.1㎜と言うように指定します。
この部品図を、加工できる工場などに持って行って加工してもらうわけですが、重要なのは上で書いた公差です。1個1個職人さんが手作りしたりするような場合には、都度職人さんが寸法測定するから良いのですが、型を起こしてプレス加工なんかで作ったりするような場合には、様々な要因で寸法がばらつきます。材料のロットの違いであったり、プレス型の取り付け具合であったり、型の摩耗であったり、作業者の違いだったりですね。
こうしたばらつきによって、ある「確率」で寸法公差から外れた部品ができてしまうことがあります。どんなに上手く工程を作り込んでも、寸法公差に収まるかどうかは、沢山作ると確率の問題になってきます。公差に収まっていればほぼ確実に動く機械を設計しているはずなんですが、ある確率で公差から外れる部品が生まれてしまい、これを使うと動かなかったり最初は動いても少し
例えば機械モノの商品の場合を考えてみましょうか。
おおよそのデザインが決まったら、設計に入ります。機械モノなので、「必ず動く」ように組立図を書きます。動作は100パーセント「確実」でなければなりません。設計段階で、「動作確率80パーセント」などと言うことは絶対にありません。
次に、組立図を「バラシ」て、部品図を起こします。全部品について書き込みます。この時必要なのが「公差」という数字で、100㎜の長さのモノに対して例えば±0.1㎜と言うように指定します。
この部品図を、加工できる工場などに持って行って加工してもらうわけですが、重要なのは上で書いた公差です。1個1個職人さんが手作りしたりするような場合には、都度職人さんが寸法測定するから良いのですが、型を起こしてプレス加工なんかで作ったりするような場合には、様々な要因で寸法がばらつきます。材料のロットの違いであったり、プレス型の取り付け具合であったり、型の摩耗であったり、作業者の違いだったりですね。
こうしたばらつきによって、ある「確率」で寸法公差から外れた部品ができてしまうことがあります。どんなに上手く工程を作り込んでも、寸法公差に収まるかどうかは、沢山作ると確率の問題になってきます。公差に収まっていればほぼ確実に動く機械を設計しているはずなんですが、ある確率で公差から外れる部品が生まれてしまい、これを使うと動かなかったり最初は動いても少し経ったら故障したりすることになってしまうのですね。
上手く工程設計された部品生産においては、設計値が上の図の中央であるとすると、製造された部品の寸法誤差は正規分布に近くなります。部品の公差が3σ以内であれば不良率は0.3パーセントに、6σ以内であれば0.003パーセントとなります。
設計屋さんは大体本当に確実に動くものが欲しいので、公差を厳し目に設定しがちです。対して、生産技術屋さんは、歩留まりがコストに直結することを痛感していますから、緩めの公差を歓迎します。公差をどこまで甘くしてギリギリ動く機械に作り上げられるのか、その場合の耐久性はどうなのかなどなど、新製品の場合には非常に難しい問題となります。
機械設計と製造に関しての答えです。
設計は「確実」性が絶対だが、製造においては「確率」論が必要となる。つまり、どちらも重要である。
まあ、有名どころといえば有名どころなのだけれど。
一つの円と、一つの直線が交わるとき、その交わった点での円と直線の角度(小さい方)が60°以下である確率は?
答え1. 2/3
理由: 円と直線の交点の回りを見ると、この角度が、0–60, 120–240, 300–360°の範囲にあるときに、60°以下になるので、確率は 2/3.
答え2. 1/2
理由: 直線と円の中心との距離が、円の半径の1/2より小さいときに、角度が60°より大きくなるので、確率は 1/2.
答え3. 3/4
理由: 直線と円との二つの交点を結ぶ線分の中点をPとすると、Pが円の中心からの距離が1/2の円の中にいる場合が、角度が60°以上になる場合だから、確率は 半径が1/2 の円との面積の比率 3/4 に等しい。
答え4. 2/3
理由: 直線で切り取られた円の弧長の短い方の長さが、もとの円周の長さの1/3以下の場合が、角度が60°以下になる場合なので、確率は 2/3.
初めてタイ国に訪れました。なぜだか隣ベトナム国へ旅行に行く事になりました。
タイ語知ら無いボクにはいつもの事、目的地も知ら無いままにただ旅に連れて行かれどこに自分は居るのか判ら無いままに旅が終わる事は頻繁に有ります。ひとくくりにタイ旅行で自分の中で済ませます。😂
ベトナム・ハノイ旅行には結婚前の妻と60〜70代女性3名と行きました。初めて訪れるハノイ。古い友達に会う予感が何と無しに感じツレに伝えました。その後、夜行列車に乗って北部山の上の少数民族の村へ行きます。
新年明けた時期でした。気持ちの良い寒風の中である小屋の前に立つと小屋の薄暗い内部からTaro!?と若い女性からの声が聴こえます。
昔の英語名を知る人が夜行列車しか運行手段が無いベトナム北部の山岳地帯に何故いる!?と嬉しさと疑問に思いながら小屋から出てくるのを待つと10年前にシドニーの某工科大学のサイエンスで同じクラスで大変お世話になったインドネシア系女子でした。
お~、まさかの再会が旅先とは。お〜、とても嬉しかったです。
そういえば、その数年後に再訪したタイ国バンコクの朝、何かズッド~ンと落下した音がします。近所の建築中の高層マンションから落下しスタッフ独り死亡とNEWSで後で見ます。
確か落下音がした直後にFB上にレポートしました。すると(40歳で新宿の会社をたたみ)隠居後の定住先を探しに夫婦で世界旅行中のヨッシーさん夫婦が道路挟ん
初めてタイ国に訪れました。なぜだか隣ベトナム国へ旅行に行く事になりました。
タイ語知ら無いボクにはいつもの事、目的地も知ら無いままにただ旅に連れて行かれどこに自分は居るのか判ら無いままに旅が終わる事は頻繁に有ります。ひとくくりにタイ旅行で自分の中で済ませます。😂
ベトナム・ハノイ旅行には結婚前の妻と60〜70代女性3名と行きました。初めて訪れるハノイ。古い友達に会う予感が何と無しに感じツレに伝えました。その後、夜行列車に乗って北部山の上の少数民族の村へ行きます。
新年明けた時期でした。気持ちの良い寒風の中である小屋の前に立つと小屋の薄暗い内部からTaro!?と若い女性からの声が聴こえます。
昔の英語名を知る人が夜行列車しか運行手段が無いベトナム北部の山岳地帯に何故いる!?と嬉しさと疑問に思いながら小屋から出てくるのを待つと10年前にシドニーの某工科大学のサイエンスで同じクラスで大変お世話になったインドネシア系女子でした。
お~、まさかの再会が旅先とは。お〜、とても嬉しかったです。
そういえば、その数年後に再訪したタイ国バンコクの朝、何かズッド~ンと落下した音がします。近所の建築中の高層マンションから落下しスタッフ独り死亡とNEWSで後で見ます。
確か落下音がした直後にFB上にレポートしました。すると(40歳で新宿の会社をたたみ)隠居後の定住先を探しに夫婦で世界旅行中のヨッシーさん夫婦が道路挟んで前に住んで居ました。
5年前にシドニーで同居していました。
物凄い偶然です。夜、ナイトマーケットでビールで乾杯しました。
ヨッシーさんの旅日記
最近知った話です^^
私の両親ですが…、片方が相手の家に結婚を申し込みに行った日に、もう片方が「なかったことにして欲しい」と破談の謝罪をしに行くと言う何とも摩訶不思議な…。
私は子供達に「確率は味見と同じ」と教えてきました。
味噌汁にしろシチューにしろカレーにしろ、作っている過程でほんの一部を抽出して全体の味を想定してますよね?
確率の考え方の結果、このような手法を人類は手に入れたわけです。味見を否定しますか?
確率の概念のおかげでおいしい料理を食べられるんですよ?
きちんと全体をまーぜまぜして、きちんと抽出したら、概ね全体と等価だということがわかるのです。そして研究の結果、その誤差(振れ幅)すら計算で成り立つことがわかってきたのです。
納得できませんかねぇ?
まぁ料理をしないなら納得できないかもだけど。(私は料理しないけど納得してるんだけどwww)
絶対に正しいかどうかはわからない。だからといって鍋全部飲み干しますか?wwww
WindowsのMicrosoft EdgeでCopilotを使ってみましょう。
:
流石ですね。
それもそのはずでGPT-4をベースにしていて無料で使えます。
WindowsのMicrosoft EdgeでCopilotを使ってみましょう。
:
流石ですね。
それもそのはずでGPT-4をベースにしていて無料で使えます。
一定の母数になればします。
最も単純に説明するならば、恐らくですが
「時系列としていつまでも(永遠に=無限に)続く時系列の確率的な振る舞いを説明する上では、有限ではなく無限次元の確率測度の性質を調べると説明がつきやすい」
ということで、その説明となるモデルと言いますか枠組みを「確率過程」と呼ぶ、ということなのだと思われます。上記の定義を見れば分かる通り、これはルベーグ積分を初めとする現代的な測度論的確率論(つまり有限に留まらず無限集合を対象とする数学的な確率論)が整備されたことで議論できるようになったもので
、有名どころでは微細粒子のブラウン運動がまさにそれですね。Wikipedia記事にもあるように、ブラウン運動はウィーナー過程によって説明されることが多いのですが、これ自体がそもそも「連続時間(即ち[math]T = [0, \infty)[/math])」で定義されるもので、19世紀のラプラス以来の素朴で古典的な確率論では有限の試行回数しか考慮してこなかったが故に、議論できなかった領域であるとされるようです。
実は、この質問への回答リクエストをいただいて以来、年単位もの時間に渡って「自分如きの知識で回答を書いて良いものか」と逡巡していたのですが、僕自身のこの問いへの理解を深める目的を兼ねて、意を決して回答を書いてみることにした次第です。
そのために、何を隠そうわざわざ
脚注
最も単純に説明するならば、恐らくですが
「時系列としていつまでも(永遠に=無限に)続く時系列の確率的な振る舞いを説明する上では、有限ではなく無限次元の確率測度の性質を調べると説明がつきやすい」
ということで、その説明となるモデルと言いますか枠組みを「確率過程」と呼ぶ、ということなのだと思われます。上記の定義を見れば分かる通り、これはルベーグ積分を初めとする現代的な測度論的確率論(つまり有限に留まらず無限集合を対象とする数学的な確率論)が整備されたことで議論できるようになったもので
、有名どころでは微細粒子のブラウン運動がまさにそれですね。Wikipedia記事にもあるように、ブラウン運動はウィーナー過程によって説明されることが多いのですが、これ自体がそもそも「連続時間(即ち[math]T = [0, \infty)[/math])」で定義されるもので、19世紀のラプラス以来の素朴で古典的な確率論では有限の試行回数しか考慮してこなかったが故に、議論できなかった領域であるとされるようです。
実は、この質問への回答リクエストをいただいて以来、年単位もの時間に渡って「自分如きの知識で回答を書いて良いものか」と逡巡していたのですが、僕自身のこの問いへの理解を深める目的を兼ねて、意を決して回答を書いてみることにした次第です。
そのために、何を隠そうわざわざこの回答を書くためだけに一冊テキストを買い、確率過程の勉強もしてみたのですが、この回答を書くために必要だったのはその「前史」についての知識だったのだとようやく理解したのでした。結果として素っ気ないこの短い回答になったのですが、裏を返すとゴリゴリ測度論的確率論の話題を書かない限り簡潔にまとめるのは無理な話題だなぁ、と再認識した次第です……。
脚注
大数の法則といわれる奴じゃないですかね。