畏れ多くておばちゃんだなんて呼べませんが、市井に埋もれていた天才「渡辺早苗」さんがひょんな事から発掘され、海外のBLOGで
「Citizen science: who is Sanae Watanabe? 」
とまで取り上げられた例をぜひ紹介したいと思います。
このエピソードに関しては、天才を発掘した張本人である森井悠太先生が執筆されたこちらの文章をお読みいただいた方が、私が説明するよりも100倍面白いですし、100倍臨場感が得られること間違いありませんので、科学の才だけでなく文才もある彼の論説をぜひお楽しみください(注:ナメクジ研究に関する文章であり、トップ画像にドーンとナメクジが登場するので、苦手な方は薄目でリンク先にお飛びください)。
以下、要約と私の感想です。
グローバル社会の現在、外来種の侵入による環境の変化は世界的な問題となっています。森井先生は、外来種の中でも特に、日本に侵入・定着した外来の大型ナメクジの生息域を調査する研究者であり、「外来ナメクジに挑む市民と学者の会」という非営利団体も運営しています。
2014年頃、森井先生は、北海道札幌市を中心に多くの外来ナメクジが侵入・定着しているという情報を手に入れました。特に、体長 15 cm にも及ぶ「マダラコウラナメクジ」が森林で大量発生し、周囲の車道や遊歩道に溢れ出ているというのです。
(トップ画像にナメクジが現れないよう、閲覧注意
畏れ多くておばちゃんだなんて呼べませんが、市井に埋もれていた天才「渡辺早苗」さんがひょんな事から発掘され、海外のBLOGで
「Citizen science: who is Sanae Watanabe? 」
とまで取り上げられた例をぜひ紹介したいと思います。
このエピソードに関しては、天才を発掘した張本人である森井悠太先生が執筆されたこちらの文章をお読みいただいた方が、私が説明するよりも100倍面白いですし、100倍臨場感が得られること間違いありませんので、科学の才だけでなく文才もある彼の論説をぜひお楽しみください(注:ナメクジ研究に関する文章であり、トップ画像にドーンとナメクジが登場するので、苦手な方は薄目でリンク先にお飛びください)。
以下、要約と私の感想です。
グローバル社会の現在、外来種の侵入による環境の変化は世界的な問題となっています。森井先生は、外来種の中でも特に、日本に侵入・定着した外来の大型ナメクジの生息域を調査する研究者であり、「外来ナメクジに挑む市民と学者の会」という非営利団体も運営しています。
2014年頃、森井先生は、北海道札幌市を中心に多くの外来ナメクジが侵入・定着しているという情報を手に入れました。特に、体長 15 cm にも及ぶ「マダラコウラナメクジ」が森林で大量発生し、周囲の車道や遊歩道に溢れ出ているというのです。
(トップ画像にナメクジが現れないよう、閲覧注意画像を貼り付けておきます)
これは由々しき事態…! 詳細な生息調査を行う必要があります。とはいえ、どのように調査すればよいでしょう。たった一人の研究者が広い北海道の山々を渡り歩き、調査することなど不可能です。さまざまな街に住む市民の目撃情報が必要不可欠なのです。このように、研究者だけでなく市民も巻き込んで行う科学を「市民科学(Citizen Science)」と呼びます。
森井先生の生息調査も、基本的に市民からの情報が頼りとなります。そのため、研究の広報と情報提供のお願いを兼ね、博物館やボランティア団体の主催する講演や自然観察に講師として積極的に参加しました。そしてある日、彼は市井の天才である渡辺早苗さんと出会うのです。以下が、その時のやり取りです。
「私、ただの市民なんですけど、円山に年間400回くらい登っていまして。数年前から見たことないナメクジがいるなと思って、毎日、ナメクジの数を記録しているんです。何かに使えますかね?」
「す、すみません。もう一度言っていただけますか?」
詳しく話を聞いてみると、なんと円山(標高225m)の同じ登山ルートを毎朝5時に登り、登山道に現れたマダラコウラナメクジの数を記録し続けているとのことです。文句のつけようのない、完璧なセンサス調査でした。夏は汗水を垂らし、冬は降り積もる雪を掻き分け、雨の日も風の日も、風邪の日だって欠かさず、一人で円山に登り続けている渡辺さんは、是非とも「ただの市民」という自己紹介を改めるべきでしょう。それはもう只者ではない市民と言います。そんな驚愕のデータを、あろうことか2年間分もまるごといただいてしまいました。
もう、すごすぎですよね。
冒頭の「年間400回くらい登っていまして」でまず圧倒されます。1年365日しかないのに。「3打数5安打は当たり前」という全盛期のイチローを彷彿とさせます。その上、誰にお願いされたわけでもないのに「登山道に現れたマダラコウラナメクジの数を記録し続けている」のです。可愛い虫やキレイな花ではなくナメクジに着目するというその独創性。まさに市井の天才です。
その後、森井先生はこのデータをもとに、マダラコウラナメクジの活動を事前に予測する、詳細なナメクジ出現予報モデルを作成することに成功し、この成果は2018年5月、オランダの国際誌「Science of the Total Environment」に掲載されました。そして素晴らしいことに、この論文のLast Authorを渡辺さんが飾ったのです。
森井先生は、冒頭の論説の中で、市民科学についてこう述べています。
市民科学の本懐は、科学的・論理的思考の普及にあると私は考えています。自らの思考に基づいた正当な主張とそれをめぐる健全な議論は、常識や前例に囚われない新たな社会的価値を創出し、多様な人生の在り方を許容するこの上ない力になるでしょう。
私も、まさにその通りだと思います。科学は何も科学者だけのものではありません。私の敬愛する寺田寅彦は、線香花火の中にも
、茶碗の湯の中にも 科学を見出しました。ファラデーによる『ロウソクの科学』も有名ですね。身近にある「少し不思議(SF:Sukoshi Fushigi)」な現象を科学的な視点で根気強く眺めてみることで、誰でも天才になれる可能性はあるんじゃないかな、と私は思うのです。
【参考文献】
脚注
4~5年前に県南部の町で、一級建築士の中高年の女性の家に施工に行った時、
小さい家ながらご自分で施工して建てたと聞き、驚きました。
男でそういう方はたまに聞くのですが、女性で設計施工までやって、別作業の施工に来た自分にも的確な指示をされたので、重ねて驚きました。
元々の母屋はご両親が建てられたそうですが、それから増築された家屋がつぎはぎと言われるのですが、土地の事を考えて作ったと言われるだけの利に適った作りで大したものだと思いました。

天才がこんな身近にいたのかと驚いた経験があります。
彼は私の1つ年上でごく一般的な田舎の家庭の子でした。K君としますね。私は師匠だと思っています。
小学四年の私は勉強の方法が分からず、成績は悪く、ただ昆虫を捕まえて飼育することに長けていた凄く変わっている女の子でした。ある日、算数の数の単位のテストで四捨五入すると0になるような点数を叩き出し、泣きながら家に帰って、シャベルを持って山に向かい、ちぎって家の裏山に埋めたことがあります。
この時点でK君との差は歴然です。K君は、なんでもソツなくこなして、すぐに効率的に行うようになり、その空いた時間を友達に教えるために使います。スポーツ、芸術、言語、習字、勉強、喋り。全てがうまいので、天才だとよく言われていたのです。優しいのと人を上手くまとめる力はずば抜けていました。弱点は異性と喋る時ぎこちなくなって終始無言を貫くようなところと時々寝癖がついたまま学校に来ることくらい。(普通に生活するだけでモテてました。K君は相当困っていましたが)
私はほぼ初対面のK君に算数を教えてくださいと頼みました。(かなり迷惑だったと思います)すると、私と目の高さを揃えて「勉強の方法は分かる?」といったのです。私が「何が何だかさっぱりだ」と伝えると勉強方法から足し算引き算、ほぼ全て教えてくれました。
ノートの取り方から教わったあと私が「ご両親がそうやって教えたの?」と尋ねると
天才がこんな身近にいたのかと驚いた経験があります。
彼は私の1つ年上でごく一般的な田舎の家庭の子でした。K君としますね。私は師匠だと思っています。
小学四年の私は勉強の方法が分からず、成績は悪く、ただ昆虫を捕まえて飼育することに長けていた凄く変わっている女の子でした。ある日、算数の数の単位のテストで四捨五入すると0になるような点数を叩き出し、泣きながら家に帰って、シャベルを持って山に向かい、ちぎって家の裏山に埋めたことがあります。
この時点でK君との差は歴然です。K君は、なんでもソツなくこなして、すぐに効率的に行うようになり、その空いた時間を友達に教えるために使います。スポーツ、芸術、言語、習字、勉強、喋り。全てがうまいので、天才だとよく言われていたのです。優しいのと人を上手くまとめる力はずば抜けていました。弱点は異性と喋る時ぎこちなくなって終始無言を貫くようなところと時々寝癖がついたまま学校に来ることくらい。(普通に生活するだけでモテてました。K君は相当困っていましたが)
私はほぼ初対面のK君に算数を教えてくださいと頼みました。(かなり迷惑だったと思います)すると、私と目の高さを揃えて「勉強の方法は分かる?」といったのです。私が「何が何だかさっぱりだ」と伝えると勉強方法から足し算引き算、ほぼ全て教えてくれました。
ノートの取り方から教わったあと私が「ご両親がそうやって教えたの?」と尋ねると、自分で失敗しながら学んだと言うのです。その言葉通りご両親は決して教育熱心なタイプではなかったです。それから私の昆虫の話を面白いと言って聞いてくれ、私が当時飼っていたイモリたちの話から発展させて、K君は生物基礎くらいまでを教えてくれました。
百科事典が何冊か頭に入っているような人で、電子辞書みたいに即座に検索して教えてくれます。円周率がなぜ3.14なのかという(面倒くさい!と思うようなことにも)ユーモアを交えて教えてくれました。ノーベル賞の過去の受賞を噛み砕いて解説してくれたり、文系科目は言語の由来から教えてくれたり、あとは深海生物と細胞の話は永遠としました。一番盛り上がったのは、抗老化医学の分野の研究の話でした。(内容は発展的でしたが時々話の中で私に質問をしたり当ててごらんと言うので私は楽しくてたまりませんでした)そしてこの関係がK君が、世界的なトップ大学に入るまで続きました。
専門分野は違いますが、今も互いに別の場所で勉強を続けています。K君は明治の医者の伝記を読み自分もそうありたいと勉強を始めた非常に真っ直ぐな人でもありました。話し上手、褒め上手、教え方は誰よりも上手いです。人の分からないところを汲み取ることが異常にうまかったです。
K君は天才だと思います。だって、テストを土に還したことのある私の教育を一からしてくれたのですから。
天才の定義は、人により異なるのでしょうが、QUORAの回答を読んで、あまりに天才のレベルを低く考えているのに驚きました。
小生は、極く普通の人間ですが、IQは175です。もう約60年前ですが、旧文部省の全国一斉学力検査で全国第1位、模擬試験では、東京都全体で大抵第1位、稀に2位3位で、偏差値というものが使われ始めた頃でしたが、大抵90前後でした。
最近は、メンサという高IQクラブが有り、その会員達を天才又は准天才と考えている人が多いことにも驚きました。
人口の2パーセントの存在確率が条件とのことですが、現在の世界人口を推定80億人とすると、メンサ会員資格者は、現在、日本の人口より多い1億6000万人、日本では260万人、お隣の中国では、2600万人もいることになります。
小生の天才の定義も漠然として曖昧ですが、高IQだけでなく、人類に役立つ画期的な業績を挙げた方々が天才のイメージです。
レオナルド・ダヴィンチやニュートン、ガウス、アインシュタイン、最近では、サイバネティックスのウィーナー先生、シャノン先生、ノイマン先生、ファインマン先生達ですね!
人類全体で、数名いるか、ゼロ名のイメージです。
小生は、米国MIT、英国ケンブリッジ大学、仏国エコールポリテクニーク、韓国Kyung-Hee Universityという各国のトップスクールの世界有数の教授達と、長年、共同研究を行い、国際学会の役員等も数
天才の定義は、人により異なるのでしょうが、QUORAの回答を読んで、あまりに天才のレベルを低く考えているのに驚きました。
小生は、極く普通の人間ですが、IQは175です。もう約60年前ですが、旧文部省の全国一斉学力検査で全国第1位、模擬試験では、東京都全体で大抵第1位、稀に2位3位で、偏差値というものが使われ始めた頃でしたが、大抵90前後でした。
最近は、メンサという高IQクラブが有り、その会員達を天才又は准天才と考えている人が多いことにも驚きました。
人口の2パーセントの存在確率が条件とのことですが、現在の世界人口を推定80億人とすると、メンサ会員資格者は、現在、日本の人口より多い1億6000万人、日本では260万人、お隣の中国では、2600万人もいることになります。
小生の天才の定義も漠然として曖昧ですが、高IQだけでなく、人類に役立つ画期的な業績を挙げた方々が天才のイメージです。
レオナルド・ダヴィンチやニュートン、ガウス、アインシュタイン、最近では、サイバネティックスのウィーナー先生、シャノン先生、ノイマン先生、ファインマン先生達ですね!
人類全体で、数名いるか、ゼロ名のイメージです。
小生は、米国MIT、英国ケンブリッジ大学、仏国エコールポリテクニーク、韓国Kyung-Hee Universityという各国のトップスクールの世界有数の教授達と、長年、共同研究を行い、国際学会の役員等も数10件行い、過去15年間、ほぼ毎月、国際学会の招待講演等も有り、海外出張してきました。
ノーベル賞受賞者にも20数名、その分野では、世界のトップと呼ばれる研究者達にも多数、お会いしましたが、現在まで、残念ながら、一人も、天才と思える方々にお会いしたことがありません。
一度だけ、30数年前、MIT留学時に、天才と噂される若手研究者と、高温超伝導プロジェクトミーティングで出会い、その頭脳明晰さに、感心した事はあります。
従来のノーベル賞受賞の超伝導理論では説明出来ない、初の高温超伝導物質が発見され、まだ誰もそのことを知らずに、ボストンでMaterials Research Society(MRS) が開催された際に、世界で最初にその存在を再確認し、高温超伝導ブームの火付け役になった、MIT出身で、元科学技術振興機構(JST)理事長、元東京都市大学学長、東大名誉教授の故北澤宏一先生が、ボストン空港から、直接、世界のマテリアルの大権威の小生の指導教授のProf.Tullerを訪ねて来ました。
Prof.Tullerが外出中であった為に、隣室の小生が応対したのですが、沈着冷静な北澤先生が興奮して、「高温超伝導は本物です!再確認したから間違い無い!従来の理論が崩れ去りました!大至急、Tuller先生に伝えてください!」と言って、ホテルに向かわれました。
小生が戻られたTuller先生に伝えると、MIT中、即座に世界中が大騒ぎになりました。
当時は、北澤先生始め、日本勢の研究が最初に先行したので、小生は日本の各学会研究機関の研究状況速報をMIT始め欧米研究者たちに翻訳して伝え、またMITを始めとする米国の研究状況速報を日本に送っていました。
その関係で、親しくさせて頂いていた、通路を隔てた小生の向かいの教授室にいらっしゃり、Prof.Tullerと仲の良い、全米ナンバーワンの女性研究者で、Physical Society会長、全米科学財団理事長、大統領科学技術顧問、米国国家メダル受賞、MITの 非常に少ない特別名誉のInstutute Professorのドレッセルハウス先生始め、ノーベル賞授賞者達含む、ズラリと世界最高頭脳と呼ばれる教授達が揃った、世界でも滅多にないミーティングに参加させて頂きました。
天才と噂されていた彼は、いささか態度が大きく、大先生達が揃ったミーティングに約30分から40分近く、遅れてやってきました。
既にノーベル賞受賞の先生方や理論研究者が、高温超伝導の新理論の検討を開始していて、黒板一杯に、数式や検討後の数式が、書き加えられ、ジャングルのように、書き殴られていました。
その為、極めて難解な数式と修正の数式が加わっているので、最初から参加していないと、只でさえ、なかなか理解困難と思われました。
しかし、彼は、40分近く遅れて入室してくるなり、黒板を、ほんの一暼、時間にして、約1秒程度、瞬間的に観ただけで、「 この理論モデルには大きな欠点がある! しかも、途中の数式から間違っており、間違ったモデルを誘導している!」と言い放ち、黒板に向かうと、途中の数式の間違いを指摘し、あっという間に別のモデルを導出しました。
小生だけで無く、ノーベル賞授賞者達含む全員が、驚いていました!
一瞬、小生も、「天才という噂も本当かもしれない!」と思いました。
所謂、鳥肌モノの経験でした。
しかし、小生の天才定義は、頭の回転の速さや、単なる問題解決能力では無く、人類に貢献できる知的創造性を発露した、画期的な業績です。
彼は、その後、全く埋もれてしまったので、天才では無く、現在まで、残念ながら、小生は、一人も実際に天才にお会いしたことがございません。

多くのギフテッドプログラムにある子供たちです。アメリカなどではかなり昔からありますが、そのまま大人になっても天才と言われるケースはかなりかなり稀です。
ある程度のレベルの天才(2、3年早く大学を卒業したレベル)だとchild prodigyなんて呼ばれていて、これは学者や成功者と呼ばれるような大企業の創始者にも一定数います。しかしギフテッドに選ばれていろいろチヤホヤされている人の成功例はそこまで高くないと思います。事実ノーベル賞なんかでも普通に秀才くらい(有名大学から博士号など)の人が殆どでギフテッドレベルの例えば20歳前後で博士号を取ったような人が何かの分野で大活躍しているのはあまり見たことがあひません。母数が少ないのは事実でしょうが、あまりに子供時代に天才ともてはやされたような人はそこまで見かけません。唯一思い当たるのはテレンスタオくらいです。
とはいえギフテッドに選ばれている子供たちには何の非もありませんから別に気にする必要はありませんが、メディアの過剰で誇大な宣伝は可哀想です。本人も勘違いするでしょうし、何より後から大きな挫折を経験するだろうからです。本来、天才として紹介するのは10歳そこらでなく博士号を優秀な論文を書いて取得した30手前の人の方が誇張なしに伝えられるはずなんですがね。
私がいつも思うのはみんな2次関数のグラフを思い描すのが好きなんです。t(年齢)が10歳でこんな
多くのギフテッドプログラムにある子供たちです。アメリカなどではかなり昔からありますが、そのまま大人になっても天才と言われるケースはかなりかなり稀です。
ある程度のレベルの天才(2、3年早く大学を卒業したレベル)だとchild prodigyなんて呼ばれていて、これは学者や成功者と呼ばれるような大企業の創始者にも一定数います。しかしギフテッドに選ばれていろいろチヤホヤされている人の成功例はそこまで高くないと思います。事実ノーベル賞なんかでも普通に秀才くらい(有名大学から博士号など)の人が殆どでギフテッドレベルの例えば20歳前後で博士号を取ったような人が何かの分野で大活躍しているのはあまり見たことがあひません。母数が少ないのは事実でしょうが、あまりに子供時代に天才ともてはやされたような人はそこまで見かけません。唯一思い当たるのはテレンスタオくらいです。
とはいえギフテッドに選ばれている子供たちには何の非もありませんから別に気にする必要はありませんが、メディアの過剰で誇大な宣伝は可哀想です。本人も勘違いするでしょうし、何より後から大きな挫折を経験するだろうからです。本来、天才として紹介するのは10歳そこらでなく博士号を優秀な論文を書いて取得した30手前の人の方が誇張なしに伝えられるはずなんですがね。
私がいつも思うのはみんな2次関数のグラフを思い描すのが好きなんです。t(年齢)が10歳でこんなことが出来るのなら20歳では〇〇のように。ところがこれが対数のグラフだと分かるんです。最初は調子がいいんですが、変数tに15、18を入れたあたりから「あれ。何か調子が悪いぞ。」となります。そこでtに20を入れたあたりで完全に周りの子達とグラフの形が違うことに気付いてtに25を入れたあたりで完全に抜かされていたり並ばれていたりします。
私のグラフは今のところめちゃくちゃ緩やかな一次関数だと思います。100歳になる頃には天才と呼ばれるかもしれません笑
ロシアの生み出した最大の物理学者として知られているランダウが、物理学者の能力を等級に分けて分類しております。ランダウによるとこの等級は対数目盛であり、1等級違うと、その能力は10倍違うそうです。そして、その基準は、
第1級:ノーベル賞受賞者のクラスで言うと、その受賞者の中でもトップレベルに属し、人類に全く新しい世界を開示して見せた連中である。ニュートン、プランク、ボーア、ハイゼンベルグ、シュレーディンガー、マックスウェル、ディラックなど、その数は少数である。
第2級:ほとんどのノーベル賞受賞者と、それに匹敵する寄与はしたが運悪くノーベル賞を受賞できなかった連中。その数はまだ比較的少数と言える。
第3級:その時代の指導者的な研究者たちで、多くの場合、その分野の学会などで役職についている連中である。しかし、研究一筋で、役職などに興味のない連中もいる。このクラスの連中は世界中にいくらでもいる。このクラスまでは、その分野で役に立つ論文を書いている。
第4級:このクラスの連中は役に立つ論文は書いていないが、害になる論文も書いていない。物理学者の中の圧倒的大多数がこのクラスに入る。
第5級:このクラスの連中は本来物理学者になるべきではなかった人たちで、害になる論文しか書いていない。ただし、その数は比較的少数である。
そして、この等級で一人だけ0.5級がいる。それは、アインシュタインだ。そして、ランダウは自
ロシアの生み出した最大の物理学者として知られているランダウが、物理学者の能力を等級に分けて分類しております。ランダウによるとこの等級は対数目盛であり、1等級違うと、その能力は10倍違うそうです。そして、その基準は、
第1級:ノーベル賞受賞者のクラスで言うと、その受賞者の中でもトップレベルに属し、人類に全く新しい世界を開示して見せた連中である。ニュートン、プランク、ボーア、ハイゼンベルグ、シュレーディンガー、マックスウェル、ディラックなど、その数は少数である。
第2級:ほとんどのノーベル賞受賞者と、それに匹敵する寄与はしたが運悪くノーベル賞を受賞できなかった連中。その数はまだ比較的少数と言える。
第3級:その時代の指導者的な研究者たちで、多くの場合、その分野の学会などで役職についている連中である。しかし、研究一筋で、役職などに興味のない連中もいる。このクラスの連中は世界中にいくらでもいる。このクラスまでは、その分野で役に立つ論文を書いている。
第4級:このクラスの連中は役に立つ論文は書いていないが、害になる論文も書いていない。物理学者の中の圧倒的大多数がこのクラスに入る。
第5級:このクラスの連中は本来物理学者になるべきではなかった人たちで、害になる論文しか書いていない。ただし、その数は比較的少数である。
そして、この等級で一人だけ0.5級がいる。それは、アインシュタインだ。そして、ランダウは自分自身は2.5級あたりだと謙遜して言っていたそうです。
超一流大学で業績を上げ、学会役員など時代の寵児となっている人でも、ほとんどは第3級であり、その能力は第1級の人と比べると1/100しかないとランダウは言っているわけです。
私はこの等級で第1級に分類されると見なされるノーベル賞受賞者の方を身近に見てきた幸運があります。ベルギーの物理化学者イリヤ・プリゴジン教授です。私から見て第2級に属すると思える著名な物理学者の方も、プリゴジン教授を別格な寄与をした人と評価し、その方の寄与の重要性は時代とともに、より深く認識されてくるようになり、時代を超えて評価されるであろうと私に個人的に話して下さいました。
プリゴジン教授がある著名なノーベル賞受賞者やMITのコンピュータ・サイエンスで著名な業績を上げられた方や英国の首相経験者からなるある学際的な講演会の催しに参加した時に、メディアの要請で、プリゴジン教授とコンピューター・サイエンスの方の二人だけを対象とした記者会見が開かれました。私もその場におりました。ある記者が、
「先生方の研究を続ける動機や原動力は何か」
との質問が出ました。まずコンピューター・サイエンスの方が答えて曰く、
「研究はジグゾーパズルを完成させようとしているような面白さがある。初めのうちは断片を見ても全体の形が見えてこないが、だんだん先に進むうちに全体像が見えてくる楽しみは得も言われぬものだ。この楽しみが私の動機と原動力になっている」
でした。そして次にプリゴジン教授が答えて曰く、
「私の研究の動機と原動力は不満である。皆はこれで解っている、何が問題なんだと言っているが、私にはどうしても納得が行かないのだ。その焦燥感をなんとかしたいというのが私が研究を続けている原動力となっている」
私は直感的に、この二人の回答は子供と大人の違いぐらいある違いだと思いました。意地悪の言い方をすると前者の方の答えは、
「私って頭が良いんだよね。だって、こんな複雑なジグゾーパズルをこんなに早く解けちゃうもんね」
と言っているようにも聞こえました。また、別な見方をすると、前者の方は現在与えられたルールの中で如何に有用で優れた解を見つけることができるかに恍惚としている。それに対して、後者の方は、
「ちょっと待った、そのルールで良いのか」
という全く別な次元の問題に研究生命を捧げているということが出来ます。
すでに与えられているルールでは、多かれ少なかれその与えられた世界のあり方のゴールが前もって見えている。そして誰がそのゴールに一番乗りするかを争っている。あるいは、その人の寄与によって、その分野の問題が解決してしまい、最早その後継者にはその問題の解決ではなくて、その解決されたものを如何に上手に応用して見せるかという話になってしまう。したがって、創造的な営みに恍惚としている研究者から見ると、未解決な問題の解決という一番美味しい部分はすでに終わってしまっている。まあ、一件落着ということで、残りの研究者から仕事を奪ったような寄与であり、その研究者の家族も路頭に迷うわけです。
一方新しいルールそのものの提出は、今まで誰も見たことがなかった新しい世界を開示して見せることである。したがって、その人の寄与はある既知の未解決な問題を最終的に解決したというような寄与ではない。その反対に、今まで誰も気が付かなかった問題がいくらでもあることを示したことになる。だから、その寄与に続く後継者たちの前には未開な荒野がいくらでも広がり、研究者として最も恍惚とできる未解決な問題の解決という創造的な営みに参加できるようにしてくれている。だから、残りの研究者の仕事が増え、その家族も路頭に迷わないで済むようにしてくれたわけです。
私が、プリゴジン教授を天才だと思ったもう一つの側面は、教授の周りに集まってくる若者は、プリゴジン教授の側にいる限り、皆、自分は天才ではないかと思うようになるからです。そして、もっと面白いのは、プリゴジン教授から離れて一人になると、皆
「あっ、私ってやはり天才じゃなかったんだ」
って思うようになっているみたいだからです。
プリゴジン教授は世界の要人といくらでも会っており、また、資金もいくらでも潤沢にあり、ご自分で自由に使えたお金を若手研究者の育成に注いでおりました。そして、晩年に体が不自由になって長旅が辛くなってしまうまでは、飛行機の旅はエコノミークラスに徹していました。もちろん豪邸に住むなどには興味がなく、庶民に毛が生えたぐらいの生活をしておられました。
あります。
一人は、その地方独自の漬物作りを極めたおばあちゃん。
一人は、病気で引退した旦那さんの代わりに社長業を継いだおばあちゃん。
一人は、農業を続けてきて、野菜作りを極めたおばあちゃん。
みなさん、それぞれにノウハウというか哲学をお持ちだと思いました。
具体的に書くのは、長文になるし、私自身にも時間がないので、ご容赦を。
それは中田ムメノという人です。生まれながらに超越した高いIQを持ち、主婦として3人の子を育てながら「生命哲学原理論」という独自の脳科学哲学を創始して、著作もあります。以下彼女のアウトラインを知れるURLを張り付けておきます。
私は科学者です。自然科学の偉大な発見てほとんど全てがコロンブスの卵で、発見されてしまうとあまりにも当たり前なことだらけなんですよね。この辺りが人文系の学問とは違っているみたいです。だから自然科学の世界では天才の考えることで普通の人が理解できないってことは無いのですよ。それでも普通の人が理解できないって言っているのは、例えばフランス語が話せない人にはフランスの子供が言っている簡単で当たり前なことでも、何を言っているのか理解できないって言っているだけなのです。フランス語が分かれば実は簡単なんですよね。
その反対に天才でない人の考えることって、凡人には中々理解できないのが普通なのですよ。
11月11日、ウクライナ軍がヘルソン市を含む、ドニエプル川の西岸を奪い返しました。
ヘルソン市は2022年2月より開始した宇露戦争においてロシア軍が占領した唯一の州都、最大の功績を呼ばれていました。僅か40日前にプーチンが「永遠にロシア」と呼んだばかりの都市でした。
通常の軍事的常識では「二兎を追う者は一兎をも得ず」、戦力を本当に勝ち取らなければいけない最大の目標に向けて最大限の戦力を集中し、達成する事。二つの目標を追う事を軍事の初歩を無視した「愚策」とします。
ウクライナ軍ヴァレリー・ザルジニー総司令はあえて「北部戦線」と「南部戦線」の双方で攻勢を行う戦略を構想し、
「ロシア軍の精鋭兵を効果的な戦場から遠ざながら、最大限に有利な状況で殲滅する」
と言う事を実践し、北部戦線での数々の大勝利、南部戦線で「ヘルソン奪回」と言う大勝利を得て「二兎」を追い落として見せました。
(ヘルソン解放を祝うウクライナ市民)
今回の話は6月まで巻き戻します。当時、ロシア軍は多大の犠牲を払って「リシチャンスク」と言う大都市を攻め落とし、まだ「スラピャンスク」「バフムート」と「ムィコラーイウ」へ向けての攻勢を行っていましたが、余力を大方使い果たし、軍が疲弊した状態になっていて、攻勢が勢いを失っていました。
この時、実はウクライナ軍はそれなりに余力を残して反撃の機会を伺っていました。
- セベロドネツク・リシチャンスクの血みど
脚注
11月11日、ウクライナ軍がヘルソン市を含む、ドニエプル川の西岸を奪い返しました。
ヘルソン市は2022年2月より開始した宇露戦争においてロシア軍が占領した唯一の州都、最大の功績を呼ばれていました。僅か40日前にプーチンが「永遠にロシア」と呼んだばかりの都市でした。
通常の軍事的常識では「二兎を追う者は一兎をも得ず」、戦力を本当に勝ち取らなければいけない最大の目標に向けて最大限の戦力を集中し、達成する事。二つの目標を追う事を軍事の初歩を無視した「愚策」とします。
ウクライナ軍ヴァレリー・ザルジニー総司令はあえて「北部戦線」と「南部戦線」の双方で攻勢を行う戦略を構想し、
「ロシア軍の精鋭兵を効果的な戦場から遠ざながら、最大限に有利な状況で殲滅する」
と言う事を実践し、北部戦線での数々の大勝利、南部戦線で「ヘルソン奪回」と言う大勝利を得て「二兎」を追い落として見せました。
(ヘルソン解放を祝うウクライナ市民)
今回の話は6月まで巻き戻します。当時、ロシア軍は多大の犠牲を払って「リシチャンスク」と言う大都市を攻め落とし、まだ「スラピャンスク」「バフムート」と「ムィコラーイウ」へ向けての攻勢を行っていましたが、余力を大方使い果たし、軍が疲弊した状態になっていて、攻勢が勢いを失っていました。
この時、実はウクライナ軍はそれなりに余力を残して反撃の機会を伺っていました。
- セベロドネツク・リシチャンスクの血みどろの市街戦・消耗戦はウクライナ軍は主に「国家防衛隊」や「義勇兵」の2次戦力を投じ、正規兵を温存していました。
- 対し、ロシア軍が精鋭部隊を攻勢に投じ、多くの部隊が多大の損耗を受け、戦闘能力を失っていたり、半減していました。なお、ロシア軍には大量の兵を高い水準に訓練する能力が無く、エリート部隊が兵士を失うと何年間も同程度の兵士を用意できない状態にあり、明らかに戦力が劣化していました。
それでも、ロシア軍の総合的な戦力は6月末の時点では「ロシア軍の総合戦力はウクライナ軍よりやや上」とほとんどのアナリストに評価されていて、現在も事実だったと考えられています。 - ウクライナ軍は3月より8万以上の兵の正規兵の訓練を開始し、ザルジニー総司令の考える「最低限の訓練」である6か月の訓練プログラムを9月より終え、高水準の新部隊が9月になれば到着し始める事を見こしていました。
- ロシア軍はその様な訓練は開始しておらず、大規模な訓練を行う能力も無い事をウクライナ軍は知っていました。
- 6月23日、ドイツでの訓練を終えて、ウクライナ軍の最初のHIMARS砲兵部隊がウクライナに到着しました。従来の重榴弾砲の30~40kmの射程距離を遥かに超える70kmの射程距離、95%の命中率と言う精密ミサイルを放てる最新兵器であり、ウクライナ軍の戦闘力を大きく向上させる事が期待された。
しかし、当初は8基のみであり、ミサイルも1発2千万円前後の高額(155mm砲弾の100倍近く)かなりの弾薬の制限が存在する武器でもあった。
なお、政治的な理由にもより、ウクライナ軍の次の攻勢が成功である事は必須と言える「崖っぷちの状態」と言えました。
と言うのは、6月当時、多くの西側でウクライナ支援に消極的な政治家等から「ウクライナ軍は消極的であり、守ってロシアに被害を与える事が出来ても、大規模な攻勢を行うのは無理。支援を送り続けてもブラックホールに資源を落とし込む様な物で、永遠にウクライナは勝利をしない」と言う意見がありました。
ウクライナ軍が攻勢を開始し、敗北したら「それ見た事か」とウクライナの軍事支援を無駄と批判し、打ち切ってウクライナにロシアに敗北を認めさせる声が高まる事は必至と言えました。
なので、ザルジニー総司令は「失敗が絶対に許されない」状況にあり、この次の攻勢でウクライナの命運が決まると言って過言でも無いと言えました。
この状況において、ザルジニー総司令の選択は
「北部戦線でも南部戦線でも攻勢を行い、北ではイジューム、リマン、スバトボも頂き、南ではヘルソンを奪回する」
と言う「二兎」を追う強欲な作戦を考案しました。
まず、ザルジニー総司令の作戦の最大の肝は「ロシア軍に精鋭部隊を北部から南部戦線に移動させる」でした。正面からロシア軍の精鋭部隊とぶつかっていては「精鋭部隊vs精鋭部隊」の6月末の状況ではウクライナに分が悪い、少なくとも圧勝できる保証は無いと考えたはずです。
「絶対に勝たねばならない攻勢」において、ウクライナ軍は精鋭部隊をロシア軍の最弱部隊にぶつけるのが最善なのは、まあ当たり前と言えます。
当時、ロシア軍は北部戦線では補給処の「イジューム」「リマン」を基盤に2方面から「スラピャンスク」を攻め続けていました。この地域では明らかに意識がスラピャンスクに向けられていて、ハルキウ付近は優先順位が明らかに低い地域でした。
ザルジニー総司令の作戦考案は「ロシア軍のエリート部隊がこのエリアから去ったら、スラピャンスクを攻めている軍の背後を取れるのではないか?」と言う内容でした。
そこで、ザルジニー総司令は「ヘルソンへの攻勢を1か月以上公言する」と言う作戦を使いました。ウクライナ軍司令部も、ゼレンスキー大統領も「次はヘルソン!」と言い続けていて、これに完全にロシア軍は騙されました。
ロシア軍は北部戦線から多くのエリート部隊を引き抜き、南部戦線に送りました。特に優先順位の低かった「ハルキウ付近」は弱体化されていき、微小な守りしかありませんでした。
9月初頭にウクライナ軍は多くの精鋭部隊を投じて奇襲を開始し、イジュームの背後から攻め入りました。
見事な奇襲作戦、電撃作戦のお手本の様な背後奇襲でした。
北部戦線ではロシア軍以上の戦力を持つウクライナ軍はその優位を活かし、着々と攻勢を続け、リマンを包囲殲滅し、
現在は補給の要所であるスバトボに4kmまで迫っています。北部戦線で得た「戦力の優位」を存分に活かせたと言えます。
ここで多くの方は「でも、北部戦線から南部戦線に精鋭兵を送らせたら、ウクライナ軍が南部戦線では勝てなくなるはずでは?」
と言う疑問を持つ方が多いと思います。私も9月末には「ウクライナ軍は南部戦線ではロシア軍の精鋭を釘付けにする役目」であると考えていて、南部戦線は「囮」だと思っていました。
ここがザリジニー総司令の天才ぶり、本当の恐ろしさです。ザリジニー総司令は南部戦線に精鋭部隊を送らせたのは「ただ北部戦線からいなくならせる」事が目的では無く「ウクライナ軍が殲滅させるのに最適な場所」であるからでした。
ザリジニー総司令は「南部戦線でロシア軍の精鋭をぶっ潰す」事を本気で考えていて、実践して見せました。
何故そんなことが可能かと言うと、二つの要素があります。
- ウクライナ軍は9月よりどんどん新兵部隊が訓練を完了して届き、1万以上と言う効果的な親戦力を得て、その後どんどん増え続ける。ロシア軍は動員令を発したとしても、訓練の無い。つまり、ウクライナ軍は9月初頭に精鋭部隊を北部戦線のほとんど集中しても、9月~10月にかけて南部戦線を新兵で補強する事が可能。
10月初頭にはロシア軍を上回る戦力を蓄える事ができる考案。 - ヘルソン市はロシア軍にとって最悪の地形であり、古より布陣の初歩的な間違えとされる「河を背にした布陣」である事。
この河を背に布陣した事により、ザルジニー総司令は「ロシア軍の精鋭部隊に勝てる」と考えた様です。
つまり、南部戦線とはロシア軍がみずから「最悪の地形」を戦場に選んだため、精鋭部隊がいくら展開されても、その力を発揮できずに勝てる場所であるとザルジニー総司令は計算した様です。
奇襲を可能とするために北部戦線から精鋭部隊を移動させるだけでなく、その精鋭部隊が能力を発揮できない場所に送らせたのがこの作戦の戦略の恐ろしさです。
何故「河を背に布陣してはならない」と言われるかと言うと、
- 補給が遮断されやすい
- 側面を攻められた場合、河を敵に逆利用され、止めにくい
- 負けた場合退却が難しい
等の理由が挙げられます。ウクライナ軍はこれらを全て利用してロシア軍の精鋭部隊に勝利しました。
補給の遮断
当初、HIMARSがウクライナに送られた時、多くのアナリストはウクライナ軍は「ロシア軍砲兵部隊を倒すのに使う」と予測しました。確かにそのような使い方もウクライナ軍はしていますが、圧倒的に優先順位は「補給能力劣化」に向けられました。
ロシア軍は河を背にした為、補給は2つの橋が非常に重要でした。ヘルソン市とノヴァ・カホフカ市にある二つの橋をロシア軍は利用して南部戦線を補給していました。
これらは前線から60km以上後方にあり、通常なら危険地帯にあるわけではないのですが、HIMARSの規格外の遠距離精密攻撃には射程内だった事をザルジニー総司令は目をつけました。
HIMARSは両方の橋を何度も攻撃し、トラックでは使用不可能にしました。
その後、ロシア軍は船で河を渡す事を必要としました。なお、ウクライナ軍は何度も何度もロシア軍の船着き場をHIMARSで攻撃して補給を困難としました。さらに、ドローン探索機やウクライナ・レジスタンス(私服ゲリラ・市民工作員)の協力も得てロシア軍の砲弾庫の場所を判明していき、優先的にHIMARS攻撃で爆破して徹底的にロシア軍の「補給能力」の劣化を図りました。
砲弾の誘爆によるヘルソンでの巨大爆発は7月~10月にかけて非常に頻繁にある光景になりました。
これらの攻撃により、ロシア軍は必要な「3分の1」の物資しか南部戦線に送れていなく、なお砲弾の在庫も削られていきました。
この長い「補給能力攻撃期間」(7月~10月初頭)には非常に巧なザルジニー総司令の戦略が伺えます。
6月末よりHIMARSがウクライナに到着していらい、優先的に南部戦線に回されているのは明確でした。北部戦線の攻勢にも数基が送られましたが、特に北部戦線の攻勢が始まる前の7月初頭~9月初頭にはHIMARS攻撃と言うと「ヘルソン」と言えるほどに「ウクライナ軍はHIMARSをヘルソンで使っている」と言う印象が強かったです。
これは「ウクライナ軍がヘルソンをもっとも重要視している」と思わせる効果がありました。
最新・最強兵器を主にここで使ってるのだから、ウクライナ軍はここで攻めるに違いないと言う考えが生まれ、ウクライナ軍の精鋭部隊もここにあると錯覚させました。実はウクライナ軍は北部戦線に精鋭部隊を展開していたのですが、ザルジニー総司令「南部戦線で大規模なロシア軍攻勢は無い」と自信があった様なので、おそらく2級戦力+HIMARSと言う展開であったはずです。
なので、「HIMARSによる補給遮断」は「北部戦線から精鋭部隊を遅らせる」効果と「実際の長期的な補給ベースの南部攻勢の準備期間」の双方の役割を果たす作戦だったと思います。
また、10月8日にクリミア大橋の爆破で大幅に南部戦線への補給能力を劣化させる効果が指摘されています。
河を利用した側面攻撃
9月~10月初頭にかけてウクライナ軍が次々と新兵部隊に強化されていき、ロシア軍の補給能力も劣化した事もあり、ウクライナ軍は南部戦線で本格的な攻勢をついに開始しました。
10月1日~4日にかけて、50kmも進み、大きく右翼を後退させました。
この攻勢の最大の主力部隊は第一機甲師団でした。第一機甲師団はウクライナ軍のエリート部隊であり、キーウ防衛線(2月~4月)で多大の被害を受け、戦闘不能に近い状態に陥った部隊でしたが、多くの半年の訓練を終えた新兵に補強され、この時点で久しぶりの戦闘に投じられました。
新兵は目覚ましい活躍を見せて、従来の正規兵と遜色を見せず、見事にロシア軍防衛線を突破し、50kmも数日で攻め進む活躍を見せました。
第一機甲師団は左が「河」に守られている為、後ろに回り込まれる事を心配せずに前進出来た事は大きかった。
その後、ウクライナ軍はロシア軍と一進一退の攻防で砲撃戦を主体のした戦闘に引き込み、さらに砲弾消費を加速させていった。戦況はここで1か月ほど膠着し、ウクライナ軍は相変わらずにHIMARSによる補給線攻撃を続けていた。
ロシア軍が重砲兵部隊やエリート部隊を南部戦線から引き返していると言う報告がありましたが、噂なのか、事実かわかりませんでした。
全く動いていない戦況に見えたが、変化は突如11月9日に来ました。ロシア防衛省がヘルソンからの撤退を命じました。
僅か48時間以内にウクライナ軍はロシア軍の1次・2次防衛線を突破してヘルソン市内に突入しました。
ロシア軍の戦意は崩壊し、ウクライナ軍の後続部隊はほとんどパレード状態でヘルソン市に入りました。
Liberation 🙏🇺🇦🥰🥰 pic.twitter.com/eGhYQU9sze
— NOELREPORTS 🇪🇺 🇺🇦 (@NOELreports) November 11, 2022
11月10日にはウクライナ軍はヘルソンの解放を宣言し
11月11日にはほぼ戦闘が終了し、ウクライナ軍はヘルソン、およびドニエプル川以北の全ての領地を奪回しました。
ロシア軍は
と言わんばかりに「撤退は宣言した通りに決行され、ロシア軍は被害無く、物資も全て無事に河を渡った」
と主張していますが、それが嘘である事はかなり明確です。
まず、ロシア軍が放棄し、ウクライナ軍は鹵獲した莫大な物資があります。
砲弾庫
装甲車
戦車
ヘリコプター(Mi8)
等が放棄されてウクライナ軍の鹵獲されています。基本的にこの様な物を捨てて逃げる「計画」を考えるバカはいません。明らかに想定外の事態で時間が無くなり、放棄された物資です。
何故こんな事になったかと言うと、私はロシア軍の通信器具の弱さに要因があると考えています。
10月4日の南部戦線攻勢の時にロシア軍の通信器具の弱さを指摘しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ロシア軍は非常に限られた予算を通信器具にしか使われていなく、空挺部隊や機甲師団の様なエリート兵士でさえ市販の民間人用無線で通信を行っている事が開戦時から指摘されていました。
全く暗号化されていない通話や、簡単な口頭の暗号を使用している場合が多く、ウクライナ軍が防衛体制の時に敵兵の攻める方向や目的を知る事に利用されました。
ウクライナ軍は当然の様に暗号化された軍用無線を使用しています。
今度はウクライナ軍はそのロシア軍の弱点を防御では無く、攻撃的に使いました。
まず、民間人用の通信には簡単に第3者が介入できます。そこで、ウクライナ軍は前線のロシア軍の通信周波数を記録していき、各自に向けて一斉にロシア語ネイティブの兵士を使って偽の報告や命令を送り、混乱をさせました。直後に妨害電波を出し、無線を使用不可能としました。(軍用無線はジャムする事は技術的に難しいが、民間用の無線は簡単です)。
多くのロシア兵は「ウクライナ軍が戦線を突破し、背後から回り込んでくる、すぐに撤退せよ、包囲殲滅の危機にある」みたいな命令を受けたと推測されています。
そして、妨害電波が発せられた事で無線は「ザーーザーーー」と通信不能になり、直後に正面からウクライナ軍の機甲師団の戦車部隊が向かってきました。
多くのロシア軍の部隊は孤立したと感じ、取り囲まれる寸前かと恐怖し、上官との連絡する事も指示を仰ぐ事もできず、持ち場を放棄して退却する部隊が多発しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1か月後、この体制はロシア軍は改善できていません。むしろ、多くの徴収兵部隊はソ連時代の通信距離が短い・故障していたりする無線機や妨害電波の影響を受けやすい市販の無線、無いし全く無線を与えられていない部隊が多くある事が指摘されています。
これは「パニック」が非常に起きやすい条件が揃っています。
想像してください。ほとんど訓練を受けていない徴収兵ばかりの部隊にいて、他の部隊が退却を始め、道を通っていく。その部隊は「ここを守れ」と命令を受けていて、司令官は守り通す意図であったとしても、司令官と連絡する方法を持たない。
例え攻撃されていなくても、多くの徴収兵部隊は「ひょっとして我々は忘れられていて、退却するはずなのでは?ウクライナ軍が迫っていて、今にも取り囲まれるのでは?」と言う恐怖に駆られます。
すると。計画では「順次撤退」のはずが、「守れ」と命令された後方部隊まで退却に加わってしまい、「制御された順次撤退」が「無制御状態の雪崩の様な退却」の変じていきます
さらに、ロシア軍の退却の惨状を物語るデータがあります。
ロシア軍は歩兵をヘルソンから撤退させる為に臨時に小さな船橋をアントノフスキー橋の下の砲弾からの死角に設置しました。トラックや戦車等が渡る事は不可能ですが、徒歩で人なら何とか渡れました。
10日深夜~11日にかけてここをロシア軍歩兵の多くが撤退したと思われますが。
Retreating Russian soldiers at the barge bridge next to the Antonivsky bridge. pic.twitter.com/lXSSRr9h7F
— NOELREPORTS 🇪🇺 🇺🇦 (@NOELreports) November 11, 2022
10日の夜にウクライナ軍は正にこの地点に向けて重砲撃を夜中行っていた事が分かっています。
Antonivskyi bridge under fire, constantly actually for the last hours. Continously artillery pounding. pic.twitter.com/rfGRd7HSK2
— NOELREPORTS 🇪🇺 🇺🇦 (@NOELreports) November 10, 2022
この影響を物がるデータとは、これです。ロシア兵の「知られている携帯番号」のGPSデータを見た物です。当然、ロシア兵の数百人に一人しか知られていないので、恐らく赤点一つは「数百人分のロシア兵」と考えて間違えないと思われます。
なお、ロシア兵の携帯は戦場に向かう時に防水措置をして、水浸しになってもしばらくは大丈夫だそうです。
なぜ、多くの赤い点がドニエプル川のど真ん中にあり、下流に流れているかは説明不要かと思います。
Latest scan of Russian cell phones#BREAKING #news #Ukraine #Russia #Putin #EU #NATO #Kyiv #Lviv #Mariupol #Donbas #Kharkiv #Kherson #Odessa #Kupyansk #izmir #Balakleya #Donetsk #Izyum #Moscow pic.twitter.com/3G1mYEO16h
— Aure Free Press (@_Free_Press) November 11, 2022
なお、かなりの数のロシア兵が取り残されたと考えられています。
ヘルソンで戦っていたロシア兵が他の兵士たちが上官に「私服に着替えてどこでも良いから逃げろ」と命令されたと激怒している動画がテレグラムでバズっています。
ウクライナ軍は残されたロシア兵に降伏する様に呼びかけていて、市民も私服のロシア兵の判別に協力すると言う声が上がっています。どの程度の数のロシア兵が私服で逃亡中か分かっていませんが、数百、数千はいると主張されています。
ともあれ、ウクライナ軍は比較的に微小な被害、懸念された血みどろの市街戦を戦う事無くロシア軍の完全撤退とヘルソン市の解放を成し遂げました。
勝因は明らかに「兵站」とその妨害を可能としてHIMARSです。
ここにザルジニー総司令の戦略の天才ぶりが明らかと言えますが、ウクライナ軍は主に「遠距離からHIMARSの優位を活かしてロシア軍の兵站を破壊する」と言う戦術をこの戦場の主な攻撃方法としました。遠距離から撃ってはすぐに逃げるHIMARSにロシア軍は対応できず、ほとんど「前線の兵」の本格的な戦闘を必要とせずに着々と効果をあげられました。
7月初頭~10月まで、ウクライナ軍は精製部隊を北部戦線に投じても効果的な攻撃を南部戦線で繰り返せた。
10月1日より、着々と新兵が到着した事で戦力が強化され、本格的な攻勢に出てロシア軍の危機感を上げ、砲弾の急速消費を必要とする消耗戦に引き込みました。
1か月の攻防が過ぎた頃にはロシア軍の砲弾の残弾数が危険な部分まで劣化していたのでしょう。ロシア軍は撤退を強いられ、多くの物資を放棄して逃げるパニックを触発し、2022年宇露戦争において最大規模の敗北を喫しました。
精鋭部隊が不在であった北部戦線とは違い、ロシア軍の精鋭部隊の総力を挙げ、プーチン大統領のプライドをかけた戦いにおいて、完全にザルジニー総司令の手中で踊らされ、退却させられた形です。
私としては想像もつかなかった計略でした。本気で「こいつ天才かよ!」と思わされます。
もしこの様な歴史回答に興味のある方には私は自分の歴史回答だけを集めたスペースを運営しています。興味があったらフォローを検討していただけたらありがたいです!
脚注
高校の時の夏休みに長野の伯母の所に泊まりに行ったんですけど、その日はたまたま伯母の孫二人(伯母夫婦の娘さんの子供で1歳ちょっとくらいの女の子の双子)もその家で預かっていて、どちらか片方に薬を飲ませるように頼まれていたみたいだったけど、「見分けがつかなくてどっちがどっちか分からない」 と仕事中の娘さんに電話していました。
そしたら 「お尻に名前が書いてある」 と言われたらしく、脱がせてみたら (ゆ人う) みたいにマジックで書かれていて、ほっこりしつつも 「面白いけどこれは意外と思い付かないかも?」 と感心したのを覚えています。
…って伝わるかな? ( 人 ) がお尻を表しています。
ネット上ですが、数名出会いました。ネットスラングで言う「野生の天才」です。
曲を聞いただけで、楽譜なしにピアノで弾いてしまうイケメン男子。しかも素敵なアレンジを決める。
喋りが超一流。脳内の頭のキレは絶品。そんじょそこらの芸人じゃあ歯が立たな、イケメンの青年。あの兄ちゃん。めっちゃおもろい(`・ω・´)
極上のJazzを歌う素敵なお姉さん。あのお姉さんの歌う曲と一緒に酒を飲むと極上の時間が楽しめした。名曲を歌いこなしてたヽ(`・ω・´)ノ
弾き語りが得意で、美声をもち、自分の楽曲を自ら編集・作曲する音楽を愛する青年。メジャー曲も抜群にうまい。だが、彼のオリジナルソングは今まで聞いた男性ボーカルの中と聴き比べても負けていない。今はピアノに夢中。ありゃあ大成するんじゃないかな(=‘x‘=)
雰囲気と感情を墨書に表す素敵なお姉さん。書道の技術もさることながら、一つ一つの文字に、感情をのせ、それを文字として表す。あの動きのある文字はすげえ。文字に雰囲気や感情を載せれるものなんだなと感動しました。
自らライブを主催し、歌声で人を感動させる素敵な女性。そのライブに行ったら出会いが生まれ、ファン同士で何組ものカップル・結婚者がでるという祝いのお姉さん。今はクラウドファンディングで集めた資金で自分の雑貨店を経営中。
これらの方々は、自らの天才を自覚してなかったですね。どれも称賛に値する才能でした。 感動する人物
ネット上ですが、数名出会いました。ネットスラングで言う「野生の天才」です。
曲を聞いただけで、楽譜なしにピアノで弾いてしまうイケメン男子。しかも素敵なアレンジを決める。
喋りが超一流。脳内の頭のキレは絶品。そんじょそこらの芸人じゃあ歯が立たな、イケメンの青年。あの兄ちゃん。めっちゃおもろい(`・ω・´)
極上のJazzを歌う素敵なお姉さん。あのお姉さんの歌う曲と一緒に酒を飲むと極上の時間が楽しめした。名曲を歌いこなしてたヽ(`・ω・´)ノ
弾き語りが得意で、美声をもち、自分の楽曲を自ら編集・作曲する音楽を愛する青年。メジャー曲も抜群にうまい。だが、彼のオリジナルソングは今まで聞いた男性ボーカルの中と聴き比べても負けていない。今はピアノに夢中。ありゃあ大成するんじゃないかな(=‘x‘=)
雰囲気と感情を墨書に表す素敵なお姉さん。書道の技術もさることながら、一つ一つの文字に、感情をのせ、それを文字として表す。あの動きのある文字はすげえ。文字に雰囲気や感情を載せれるものなんだなと感動しました。
自らライブを主催し、歌声で人を感動させる素敵な女性。そのライブに行ったら出会いが生まれ、ファン同士で何組ものカップル・結婚者がでるという祝いのお姉さん。今はクラウドファンディングで集めた資金で自分の雑貨店を経営中。
これらの方々は、自らの天才を自覚してなかったですね。どれも称賛に値する才能でした。 感動する人物を見るのってごっつい楽しい。
ヽ(`・ω・´)ノ
ユーチューブショートにあったお話です
ある学校で下校時間は3時なのに、もう4時になっていました。
生徒たちは帰りたくて仕方がありません。
その時先生が言いました。
「先生の質問に答えられたら帰っていいですよ」と
するとその時誰かが黒板に消しゴムを投げました。
先生は激怒し「この消しゴムを投げたのは誰ですか」と聞きました。
ある生徒が手を上げ。
「先生僕です」と言い
「さようなら」と帰っていきました。
こんなお話です。
いや、天才かよwww
友達自慢です。高一の同級生で夏休みの自由研究で何やら内閣総理大臣賞を取っちゃった奴がいます。数学と音楽での受賞。
自分は、自由研究なんてあったの?内閣総理大臣賞って何?と言うレベル。
ところでウチの学校ではクラス対抗球技大会の種目に百人一首なる種目が紛れ込んでいて、誰もやりたがらないこの競技をこいつは押し付けられていたようです。流石に嫌気が差したらしく大会三日前にその任を放り投げクラス中、怒号が飛び交う様相でしたが、代役を買って出たのは私。
自分は、大会なんてあったの?百人一首って何?と言うレベルでした。
勿論、不様に1回戦敗けでした。
そいつ?東大の先生になってるのを文藝春秋で見ました。
陳腐ですがジョン・フォン・ノイマンですねぇ。
量子力学
コンピュータ
AI
ゲーム理論
原子力
はやりすぎです。
彼の仕事を知って以来世のあらゆる「天才」が陳腐になりました。
ガロアとかもすごいけどさぁ、これはやりすぎだって。
直接的な仕事で人類に影響与えすぎ。
現代の主要な問題全部ノイマンが彼の頭の中では解決してて、ほとんどは工学的に追いかけてるだけとすら思える。
マジでノイマンのせいで理論的研究ではここ50年くらいやることない。量子力学はすごいけどそれすら結局ノイマンのケツ拭いてるだけだし。
ノイマンが一人いれば他の全員はやりたくてもやりたくても我慢して涙を飲んでこいつの助手と工学と経済に従事してていいレベル。絶対500年以上先の世界から来た悪魔。
彼が1日この世に復活できて、現代を知り、人類にアドバイスをくれるなら、その代わりに僕は喜んで死にますね。
これは天才的な発想だというものを見てもすぐ忘れてしまうんですが、その中で思い出したのは、フィルム梱包です。
今まで精密機器は梱包するときは発泡スチロールや段ボールなどの緩衝材が欠かせませんでしたが、今は2枚の厚手のフィルム材に挟み込むようにして箱の中で宙に浮くようにする。これで大幅に緩衝材を減らすことに成功しています。これは本当に画期的な発想と思いました。アイデアはカシオのGショックの仕組みに似ているのですが、梱包に応用するというひらめきはなかなかでないものなのかもしれません。
回答のリクエストをいただきまして、まことにありがとうございます。
芝村裕吏さんの書く物語において「空間には"情報密度"の臨界点のようなものがあって、その臨界点を超えて情報密度が高まると、相転移して(世界"内"での情報交換・相互作用ではなく)並行世界"間"の情報交換が行われることになる」という考え方ですね(正確には違いますが、私はこのように解釈している、ということで)。
もう一つは土屋暁さんの書く物語において「並行世界の情報を観測する方法の一つとして、自分の並行存在と自分自身との"同一性に基づく同期"によって、自己情報が並行世界間を"一周"する(並行世界の周期化・AdS空間のようなものですね)ことを利用して、その一周してきた自己情報から並行世界の情報を取り出すことができる」という考え方ですね(正確には違いますが、私はこのように解釈している、ということで)。
よくもまあ、量子力学や量子情報理論からそこまでの発想ができるものだなぁ、「天才やな!」と思いました。文字通り次元が違います・・・。
ある事に関したことだけ、したことはある。ある程度は実現したと思う。
その人のある特質が自分に憑依するようにした。
何も特殊なことではなく、急に何々が上達したとか向上した人は、そのようにして自分の能力を向上させているのだと思います。
哲学者の中で一番の天才は多才アリストテレスなのですが、哲学の発想だけに焦点を当てれば、一番ぶっ飛んでいるのは「事行」です。知る限りではほぼ一発屋みたいな理解ですが、今まで生きてきて一番衝撃的な概念で、コペルニクス的転回を起こしたものでした。
バークレーの大学院生だった時マンデスタム教授はクラスで黒板を何枚も使ってで電子ー電子散乱の計算を目の前で展開してくれました。
A2a
努力なんかが必要な時点で、すでに天才とは程遠いですねw
人間の評価には大別して二つの見方があります。一つは人間の言動を 非人間性の目立ち易い「知性」だけを見て、直ぐに役立つか、判断が早く応対が鋭いか、知能指数で賢愚とするか、など表面的な価値基準の人と、人間には思いやりのある人、スポーツや芸術で感動を与えられる人もいる、と考えれば「知性」の他に 何か天性の持ち味、人間性の「情・感性」の個性の人もいる、と考えるか二つです。夫々多くの人々に感動を及ぼせる人は皆「天才」だと思います。
天才とは天賦の才能、即ち持って生まれた才能のことを言います。努力することで得た能力は天才とは呼べません。