※2024.9.28 瓢箪から駒が出た!4年前の回答が正夢に。
この回答は極めて簡単です。
しかしその人は、安倍晋三氏にとっては、極めて厳しい決断です。
その補佐にするのは誰か?
石破茂氏です。
「幾朗さん、あなた気は確かですか?」と言いたいでしょう。
まあまあ、その理由をお聞き下さい。政界に疎い人にも分かるように説明します。
このコロナ禍という国難に、アベノマスクからアベノリスクとまで言われるようになった現在、総理大臣の存在自体が国難となってしまっていますので、ここは真面目に政策を含めて「国民感情を逆撫でせず現実解を言っても国民から反発されない人」を選ぶ必要があります。おちゃらけで補佐を選ぶようなことは、私には出来ません。
そういう意味で、ガチで押す人が石破氏です。ここでは
・なぜ安倍首相は石破氏を受け入れないのか
・なぜ石破氏が補佐として最良の選択なのか
この二つで示していきます。
まず なぜ石破氏を安倍氏が受け入れ難いのか です。
安倍晋三氏は自民党にあって、石破氏を完全に叩きまくって勝ち続けてきました。
国民の人気は石破氏の方が高いのに(世論調査による)。しかし自民党は絶対に石破氏は総裁に選ばせません。そこには理由があるのですが、それは後述します。
安倍晋三氏が石破氏を補佐に据える位の懐の深さを見せれば、安倍氏も政界での末節を汚さずに済むでしょう。
安倍晋三氏の父、安部晋太郎氏は総理目前にして亡くなりました。その弔い合戦で晋太郎氏、森元首相(岸信介に世話になっている)、小泉元首相のラインから安倍家御曹司を死守せよの令が出され、異例の大人事が起こりました。
2003年、小泉首相二より安倍晋三氏を自民党幹事長にするサプライズ人事の際に、安倍晋三氏は自身の言葉で「係長がいきなり社長になった途方も無い事」と表現しています。
それはそうでしょう。大臣経験もないのに、自民党幹事長と言えば党内トップ、実質的な党の支配者になるのです。安倍氏はその重責ゆえ自分を成り上がりの中身無しと認めているのです。小泉氏の異例中の異例人事は、晋三氏の「名家の血筋」を利用したのでしょう。後に小泉氏は、安倍晋三氏を自分の次の首相に「指名」しています。
これ程までに全く実績が無いまま首相に上り詰めた人はいません。政策提案もありません。既に失敗に終わった「アベノミクス3本の矢」も貰い物です。なぜそれが言えるのか。
安倍氏の唯一の業績と言えるのは、彼がライフワークと言う北朝鮮拉致問題です。この北朝鮮拉致問題で彼は小泉首相の電撃訪朝の時に副官房長官(主は福田氏)で、安倍氏は強硬発言を繰り返して一躍名を上げ人気者になりました。その後この北朝鮮拉致問題はどうなったか?首相になって何をやったか?実績は何か?全くの空っぽです。
5人の拉致被害者を北朝鮮に返さず、北朝鮮は反発し、日朝平壌宣言を事実上反故にして、核兵器開発のための地下実験を開始しました。「北のミサイルマン」、その後の事は皆さんがよくご存じのことです。
つまりこの首相は、どう贔屓目に見ても何の実績も無しなのです。
裏の業績と言えるのは、公務員が忖度すると彼らが出世できるシステムを構築したことでしょう。俗に言う安倍マイレージシステムです。首相の為に「ヤバい案件」を忖度すると将来が約束される。人事が全ての公務員は、命に掛けて首相を忖度して天下り先を確保します。
もうひとつの陰の業績は、中身が空っぽな首相こそ使い易い、という政界内だけで通用する「可能性」を証明したことです(政界であり世間ではありません)。
彼を担ぎ続ければ「安倍一強」に象徴される「何でも数で強行突破できる免罪符」を保持し続けられます。彼が戦後最長の政権期間を更新続ける理由がここにあります。これは「彼を意のままに操って日本をコントロールしたい輩」には極めて好都合です。会社ではノープランな指示待ちロボット的な人ほど使い易いですから、誰が考えても「お神輿は軽い方がいい」と理解できます。
なぜそれほどまでに安倍晋三氏は「担ぎ易い神輿」なのでしょう。その理由も簡単です。二つの理由を記しましょう。
- 自民党きってのサラブレッド
- 学歴が低く地頭が無い
安倍晋三氏は政界のサラブレッドです。安倍家は岸信介元首相から三代続く名家で、3人の首相を輩出し、麻生太郎氏と親戚です。その麻生氏は天皇家と親戚筋です。これだけ見ても安倍晋三氏をリーダーに担ぐ値する「箔」を持っています。担ぐ側に大義名分を与えます。政治家の世界ではメンツが何よりも幅を利かせるのです。それは「その人を担ぐ人たちの箔」を輝かせるからです。
名家にあって、残念ながら頭が悪い。(おっと失礼)
身内は全て東大卒、東大大学院卒の中にあって、安倍晋三氏だけは政界では三流大学出身です。つまり劣性遺伝三代目なのです。ゆえに近くに東大卒を置くことを嫌います。お兄さんは東大大学院卒ですが、政界を嫌って実業に進みました。晋三氏はおじいちゃん子で、祖父の岸信介氏が60年安保で吊るし上げを食らうのを見て育ち、その汚名をそそぐ決心をしました。ゆえに憲法改正に命を懸けているのです。
安倍氏は学歴を振り返って、さすがにまずいと思ったのでしょう。アメリカに留学しますが、残念ながら遊学になって、何も残りませんでした。当初、彼の本「美しい国へ」にその遊学を経歴に載せていましたが、後に消しています。ご自身のHPの経歴からも消しました。さすがに恥ずかしくなったのでしょう。
安倍晋三氏の地頭の悪さは国会答弁を見ていれば誰もが分かります。台本、つまり原稿を読むだけで、それが無い時に失敗します。そうです、原稿には書かれていな不規則発言をやらかすのです。思い出したくもない、首相としての品位の欠片も無い言葉の数々です。公の場としては日本で最高の国会で何度失敗しても止めません、止められません。(これはもう精神疾患、発達障害)
安倍晋三のヤジ・不規則発言まとめ(最新)!これが支持率低下の原因か? - MASAの政治・経済ニュース雑記帳
安倍氏は何度もそれで失敗し、何度も謝罪しているのも関わらず、この「脊椎反応」は止まりません。つい先日も「アベマスク」で朝日新聞を裏付けもなく名指しで恥をかきました。原稿に無いことをやらせてはいけない人なのです。それは裏で糸を引く今井尚哉氏や佐伯耕三氏(スピーチライターで今井氏の子分です:いずれも経産省出身)も良く分っているはず。しかし、勝手に口が動いてしまう、抑えが効かない性分は止められません。脊椎反応です。
さて、なぜ石破氏なのか。
残念ながら岸田氏は芽が無くなり、小泉進次郎氏は早過ぎ、河野太郎氏は敵が多過ぎ、石原伸晃氏は論外、二階氏は悪役顔で選べず、と消去法で石破氏なのですが、以下がその理由です。
安倍氏の欠点は論議が苦手な事です。自分が正しいと思うと耳を貸そうとしない。人の意見を聴けない。それは父、安部晋太郎氏からも叱責されています。
対して、石破氏は煮え湯を飲まされ続けたがゆえに、
『人の意見を聴きます。』
安倍氏のような不規則発言(首相がこれじゃ恥ずかしいですね)はしません。石破氏は論議がうまいとは言わないが、「自分の言葉」で丁寧に話します。石破氏の話の中には、この人の人柄と人格が感じられます。安倍氏が単なる文字の羅列にしか聞こえないスピーカーの様なのとは対照的です。
また、安倍氏の最大のアキレス腱である潰瘍性大腸炎などの健康的不安もありません。安倍氏は第一次安倍内閣で「ぽんぽん痛い」と首相の座から自ら降りる大失態を犯しました。彼のお腹が痛くなった原因は、2007年7月の参院選で自民党が大敗し、ねじれ国会になったことで「数で押し切る」が通用しなくなったストレスです。選挙後の首相所信表明演説で3行読み飛ばし、二日後に自ら退陣しました。
2012年の自民党総裁選で安倍氏が勝った時も、石破氏は地方で安倍氏の2倍の票を獲得していました。その後は決選投票となり、自民党国会議員の票で覆されたのですから、どのような「意志」が自民党国会議員の間に働いたのかは容易に推し量ることが出来ます。余談ですがこの時、小泉進次郎氏は安倍氏に入れず、石破氏に投票しています。
石破氏が自民党長老に嫌われる理由は、脱党後の出戻りであることでしょう。「一度外に出やがった野郎を首相にしてたまるか」という啖呵が聞こえてきそうです。
「政敵」をも呑み込む度量を見せるのなら、安倍晋三氏も立つ瀬があるでしょう。そうでなければ「沈みゆく泥船」から逃げ出す人々を、私たちは呆気に取られて数えることになります。
最悪の事態は、再びこの国難首相が「ぽんぽん痛い」と言い出して退陣することでしょう。そうなると、麻生太郎副首相兼財務相が首相臨時代理となり、「首相がヤクザ」になってしまいます。もうこれは悪夢と言って良いでしょう。それだけは何としても阻止する世論があって欲しいと私は思います。
こちらも併せてお読みください。納得が得られるでしょう。
なぜ 安倍晋三氏は これほど長く首相を続けられるのでしょうか?
追記:この回答のあとにこの記事が出てきました。
「官僚の言いなり」な安倍首相を見捨てる、自公実力者たちの実名 - まぐまぐニュース!
内容が同様で麻生代理首相を悪夢と表し、更に「首相はいつ辞めるのか?」と辞任時期踏み込んで、それぞれの場合を説明しています。
私は安倍首相辞任は望みません。「ぽんぽん痛い」で逃げるのは許しません。
それよりも最後まで任期を全うし、行き恥を晒し、自らの行いで汚名をそそぐ決意を持って欲しいと思います。そのうえで、いま最良の選択は、補佐する人がこの「軽い神輿」の晋三氏が使って国民を良い方向に導くというシナリオです。それが最長政権期間をやった首相の、人間としてのケジメだと思います。のちに「戦後史上最長政権の国賊首相」と歴史に刻まれて彼が死の床で後悔しないように、という私からの心からの手向けです。