大好きなテーマです(笑)
英語の I love you. のようになぜ日本では気軽に「愛してる」と言えないのか。ごもっともだと思います。ここでポイントなのは、「気軽に言えない」という部分だと思います。頑張れば言えないことはないけど、ぎこちないし自然ではないということですね。
その理由のひとつには、英語は誰が何をするのかに重点を置き、日本語はどんな状態かに重点を置くという前提が影響していると思います。日本語では、『今日、給食に魚がでた(状態)』や『富士山が見えた(状態)』と、行動主は必要ありませんが、英語だとI had fish for lunch. I saw Mt.Fuji.と必ず行動主がいて、その人が何をしたのかが欠かせません。
英語のI love you.は確かに愛の告白だけではなく日常のあらゆる場面で使われますが、もしこれが愛の告白の場面であれば、日本語だと自然なのは『(私はあなたを)好きです』だと思います。
この、『好き(である)』ということばは、日本人は人やものに対して抵抗なく使います。なぜならこれは、好きである状態をいっているので、前述した日本語の前提にあっています。
もうひとつの理由として。。
私は言語認知を専門にしていますが、私が立てる仮説の背景には言語脳科学があります。言語脳科学の分野で分かっているのは、使う言語により、脳内の言語処理方法が違うということです。日本人はかなり左脳偏重であることが分かっています。
日本人は虫の声や波の音を左脳で処理するために「虫の声」と表現するというのは結構知られている例かもしれません。ちなみに英語ネイティブは虫の鳴き声を右脳で処理するので、単なる雑音にしか聞こえないわけですね。(私が愛してやまないのは「祇園精舎の鐘の声」です。これは、'The sound of the bell of Gion-shoja と英訳されることが多いのですが、The voice of the bellとは絶対になりません。太古から日本人は鐘の音を「声」として聴いていたというところにやたら感動してしまいます(笑))
ことばの処理においては、日本人は左脳優位で言語を処理し、英語は右脳を一旦経由して左脳で言語処理をする、ということが実験で分かっています。言語を処理する言語野は人間誰しも左脳に位置しています。(ご興味ある方は角田忠信医師の著書をお勧めします!)
本題に戻ります(笑)なぜこの前置きをしたかというと、右脳には自他分離をつかさどる機能が存在するそうです。よって英語は自他分離、つまり「私とあなた」をいつも文章に登場させないと意味を成しません。
一方日本人は自他分離機能を経由しないで言語処理をしますので「私とあなた」という主語と目的語を言わず、むしろ敢えて混合させているかのようです。旅行から帰って来た人に「楽しかった?」と聞きますが、あなたが楽しんだのか、旅行が楽しかったのかを明示はしません。
英語は自他分離する言語であり、日本語は自他融合する言語であるといえると思います。自他融合する日本語は「私とあなたは同じことを考えてるはずだ」「私が言わなくてもあなたは分かっているはずだ」という性格が顕著になってきて当然ですし、自他分離する英語は、「私は私、あなたはあなたで異なる存在だから、言葉を使わなければ考えていることは分からない」という性格を持つようになります。
『愛する』というのは「私が何かをする」という積極的なアクションになるために、行動主(主語)を言わなくても、「私とあなた」を分離する気配があります。だから、日本人の脳は気軽に『愛する』という言葉をつかえないのだと思います。
(この辺りで、なぜ日本の政治家の話に説得力と吸引力がないのか。。に気づかれた方がいたら嬉しいです。そう、彼らは往々にして「ある」ことしか語っておらず、「誰が何をするのか」を語れない訳ですよね)
私は、 I love you. は自他分離の最たる形だと思っています。I と youをスパッとど真ん中で分断しているのが love。私とあなたは違うもの、それを分けるものはloveであるといったところでしょうか。これが言語認知的に見たI love you.ではないか、というのが私の持論です(^^;
日本人が「愛している」と言わない(正確には、『言えない』)のは、この2つの理由からだと私は思っています。I miss you.も日本人は言えませんね。一説には、万葉集の時代から「愛」よりも「恋」という言葉が先に使われていたから、ということも聞いたことがありますが、人に面と向かって「あなたに恋してます」とも言いませんね(^^;