真面目に答えると、結構な分量になります。
ヨーロッパの言語は、ラテン系(ロマンス語派)・ゲルマン系・スラブ系という3つの系統がメインで、これらが訛ってみたり、相互に影響してみたりということで成立してきました。世界史の資料集などでよく見る図が、以下のようなものです。
ラテン系のもとになったラテン語は、イタリアのローマ周辺の「ラティウム地方」の言葉が、ローマ帝国の公用語となって広まっていったものです。
ラテン語による「主の祈り」
Pater noster, qui es in caelis;
sanctificetur nomen tuum;
adveniat regnum tuum;
fiat voluntas tua,
sicut in caelo et in terra.
Panem nostrum cotidianum da nobis hodie;
et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;
et ne nos inducas in tentationem;
sed libera nos a malo. Amen.
ゲルマン系のもとになった「ゲルマン祖語」は、北ドイツで紀元前5世紀に誕生したと言われていますが、文献が全くないので復元によって考察されています。できるだけ古い記録によるゲルマン語として、「古英語」と「古ノルド語(北欧語)」を示します。
古英語による「主の祈り」(1000年頃、þは無声のth、ðは有声のthにあたる)
Fæder ūre, þū þe eart on heofonum;
Sīe þīn nama gehālgod,tō becume þīn rīce,
gewurþe þīn willa,
on eorðan swā swā on heofonum.
Urne gedæghwamlican hlāf sele ūs tōdæg,
and forgif ūs ūre gyltas,
swā swā wē forgifaþ ūrum gyltendum,
and ne gelǣd þū ūs on costnunge,
ac ālȳs ūs of yfele, sōþlīce.
古ノルド語による「主の祈り」(1000年頃?þは無声のth、ðは有声のthにあたる)
Faþer vár es ert í himenríki, verði nafn þitt hæilagt
Til kome ríke þitt, værði vili þin
sva a iarðu sem í himnum.
Gef oss í dag brauð vort dagligt
Ok fyr gefþu oss synþer órar,
sem vér fyr gefom þeim er viþ oss hafa misgert
Leiðd oss eigi í freistni, heldr leys þv oss frá öllu illu.
スラブ系言語の祖語は、wikiによると紀元前10世紀ころに誕生し、紀元後1世紀くらいまであまり姿を変えずに来たということですが、記録に残っているのは「古代教会スラブ語(9~11世紀)」です。古代教会スラブ語はスラブ祖語の特徴をよく残しており、わずかな修正でスラブ祖語として研究に使えるそうです。
古代教会スラブ語による「主の祈り」(9世紀頃?キリル文字表記)
Оч͠е нашь ижє ѥси на н͠бсєхъ . да с͠титьсѧ имѧ
твоѥ да придєть ц͠рствиѥ твоѥ · да бѫдєть воля
твоя · яка на н͠бси и на земли хлѣбъ нашь насѫщьиыи ·
даждь намъ дьньсь · и остави намъ · длъгы
нашѧ · яко и мы оставляємъ длъжникомъ нашимъ
и нє въвєди насъ въ напасть · иъ избави ны отъ
нєприязни аминь
同じ印欧語族と言っても、それぞれの祖語が成立した時点でこのくらい違います。同じ語派の中ではそれぞれの言葉はかなり似ていますが、語派が違うと仮に隣の国でも言葉が全く異なるものになるのは、ここまでをご覧になるとよくわかるでしょう。フランス語とドイツ語、ドイツ語とポーランド語は隣国同志と言えど、深いところから全く違います。
そして、これらが広がる以前、西ヨーロッパにはケルト語が広がっていたと推察されます。ケルト語も当然、広い範囲に広がると場所によってかなり異なるものとなっていたはずです。ケルト祖語の再建は完了しておらず、お見せすることはできませんし、現在残っているケルト語(アイルランド語・ウェールズ語・コーンウォール語・スコットランドゲール語・ブルトン語など)が「本当にもともと同じ言語だったの?」と思うくらい相互に差が大きいですが、こうした多様なケルト語を話していた人々がそれぞれにラテン語を修得して行ったら、やはり訛りの原因になるだろうということは想像できるでしょう。ケルト系の例として、アイルランド語とブルトン語(フランス・ブルターニュ半島の言葉)を示します。
アイルランド語による「主の祈り」
Ár nAthair, atá ar neamh: go naofar d'ainm.
Go dtaga do ríocht.
Go ndéantar do thoil ar talamh
mar a dhéantar ar neamh.
Ár n-arán laethúil tabhair dúinn inniu,
agus maith dúinn ár bhfiacha,
mar a mhaithimid dár bhféichiúnaithe féin.
Agus ná lig sinn i gcathú,
ach saor sinn ó olc.Áiméan.
ブルトン語による「主の祈り」
Hon Tad, c'hwi hag a zo en Neñv,
ra vo santelaet hoc'h ano;
ra zeuio ho rouantelezh,
ra vo graet ho youl war,
an douar evel en neñv.
Roit dimp hizio bara hor bevañs,
distaolit dimp hon dleoù
evel m' hor bo ivez distaolet d' hon dleourion.
Ha n' hon lezit ket da vont gant an temptadur,
met hon dieubit eus an droug.Amen.
こうして広まっていった3つの語派のうち、スラブ語は相互の違いがあまり拡散しておらず、現代でも互いにかなり通じるようです。
ロマンス語系統も相当程度通じるようですが、当初は口語でラテン語が話されていたのが、スペイン語やポルトガル語はアラビア語に、ルーマニア語は周辺のスラブ語に、フランス語は隣のゲルマン語に晒され続け、徐々に別な言語になっていきました。特にフランスはフランク族=ゲルマン人の一派が支配した=ゲルマン語を母語とする人たちの習得した俗ラテン語が広まるという形になり、9世紀にはすでに古フランス語はラテン語からはっきり分離しています。
ゲルマン語系統だと、北欧のアイスランド語・ノルウェー語・スウェーデン語・デンマーク語が近く、相互にかなり理解可能です。そして、デンマーク語はオランダ語やドイツ北部の低地ザクセン語とも近く、ある程度意思疎通はできそうです。いわゆる「ドイツ語」は、第二次子音推移 - Wikipediaを経てだいぶ他のゲルマン語と違った様相の言葉となっています。
英sheep 蘭schapen 諾sau 独Schaf
英ten 蘭tien 諾ti 独zehn
英book 蘭boek 諾bok 独Buch
英day 蘭dag 諾dag 独Tag
というぐらいがヨーロッパの言葉の大体のところです。同じ語派の中では、基本的に言葉はかなり似ていますので、隣国同志で言葉の違いが大きい場合は、語派が違う場合になります。
もし興味がおありでしたら、The Lord's Prayer : Our Fatherなどをご覧いただくと、大変多くの言葉による「主の祈り」を見ることができ、スラブ語起源の言葉同士の差が想像以上に小さいこと、ラテン系言語の微妙なグラデーション、ゲルマン系言語のグラデーション…ドイツ語ー低地ザクセン語ーオランダ語ーデンマーク語なんかを確認できます。
ポーランド語やロシア語でドイツを「二エームツィ」と言いますが、もともとの意味は「話ができない」。ポーランドから見たら、ドイツ以外の方にはスラブ語地帯が広がっていますから、ドイツだけこう呼ぶのもまあ納得です。
が、英語はこうしたヨーロッパの言語の中でも、別格に変わった言語です。英語の成り立ちを見てみます。
①10世紀以前、ブリテン島では先に挙げた古英語や、デーン人が持ち込んだ古ノルド語が話されていました。
②ノルマン・コンクエストの結果、イングランドの支配層はフランス系となり、古フランス語(アングロ・ノルマン語)が持ち込まれます。
アングロ・ノルマン語による「主の祈り」(12世紀)
Li nostre Pere, qui ies es ciels,
saintefiez seit li tuens nums;
avienget li tuns regnes.
Seit faite la tue voluntet, sicum en ciel e en la terre.
Nostre pain cotidian dun a nus oi.
E pardune a nus les noz detes,
eissi cume nus pardunums a noz deturs.
E ne nus mener en temtatiun,
mais delivre nus de mal.
アングロ・ノルマン語の時点で、ラテン語は相当変質しているのがわかりますが、これと古英語・古ノルド語が混交することで生まれたカオスが、中期英語です。
③中期英語の誕生
中期英語による「主の祈り」(1384年。þは無声のth、また当時はvもuと表記)
Oure fadir þat art in heuenes halwid be þi name;
þi reume or kyngdom come to be.
Be þi wille don in herþe as it is doun in heuene.
yeue to us today oure eche dayes bred.
And foryeue to us oure dettis þat is oure synnys as we foryeuen to oure dettouris þat is to men þat han synned in us.
And lede us not into temptacion but delyuere us from euyl.
古英語・古ノルド語・アングロノルマン語が見事にグチャグチャに混ざり合い、綴りもゲルマン・ラテンのどっちつかずになっています。yが「i」と発音する場合と「g」と発音する場合がありそうに見えます。なお、この頃は綴りと発音は一致しており、「フィーヴェ」はfive、「ロート」はroot、「セーク」はseekという形でした。
詳しい原因は分かっていませんが、英語の母音が一斉に舌の位置が高くなる方向に変化し、これ以上高くなれない音は二重母音化しました。
他のヨーロッパ語では、Aにあたる文字は全て「アー」で、それが通常と思いますが、英語に限ってはこの文字を「エイ」と言います。こうした英語のおかしな発音はこの時代に出来上がり、綴りは変わらなかったので、英語は綴りと発音の差が極めて大きい言葉になってしまいました。
結果、英語はこうなりました。
近代英語による「主の祈り」(1611年。また当時はvもuと表記)
Our father which art in heauen,
hallowed be thy name.
Thy kingdom come.
Thy will be done in earth as it is in heauen.
Giue us this day our daily bread.
And forgiue us our debts as we forgiue our debters.
And lead us not into temptation,
but deliuer us from euill.
uとvの混在した綴り以外は、もうわれわれの見慣れた英語です。大母音推移が終わり、発音も現在と同様になりました。が、こうして見れば見るほど、英語はヨーロッパの言語の中でも際立って異質と言わざるを得ません。言ってみたら、ゲルマン系の仲間外れですし、影響を受けたラテン系にもなり切れていません。
ゲルマン系に影響を受けたとはいえ、一応ラテン系の痕跡をしっかり残しているフランス語と、こうした英語が大きく違うのは、語派という意味でも、英語の独自性という意味でも、当然に思われます。