よりどころを「自」ではなく「他」に持つ国民性だから、だと思います。
日本人はゼロリスク思考で、自分なりの論理や選択をし、それを否定されるのを、極端に恐れる傾向があると思います。上司や親の言うことを大人しく聞く人が多いことからも分かるかと思います。
そうなると、自分の好きな服の傾向やフォローするブランドに関しても、「自」ではなく「他」、つまり、フォロワーの多いものを選ぶ傾向があります。逆に海外では、フォロワーの数ではなく、自分に合った形や素材やサイズ感やシルエットなどで選ぶ傾向が強いです。
これが、日本人が言う「ブランド志向」にあたるかと思います。
また、別の話として、キャバクラや愛人文化の強さから、リセールバリューの高いプレゼントを女性側が好む場合も多い、ということも関係していると思います。
近年の日本のビジネス課題にも直結する話であり、個人的には大変にバカバカしい、変えるべき志向性だと思っています。
バブルの名残ではないでしょうか。
なぜなら、50代以降の人にブランド好きが多い傾向があるからです。そして、その世代は華々しい百貨店でのブランド展開や雑誌の特集などを経験しているはずです。これは年代が下がってくると、前世代よりもブランドものに対する思い入れはやや薄まっていきます。
また、日本には不思議な文化もあり、一点豪華主義やプチセレブなど、ちょっと手の届きにくいものを購入することがあります。ですが、日常的に身近なものではないので、品質を見極めることはしないようです。
そこで、ブランド名なのです。名前とブランドイメージが信頼に置き換えられているのだと思います。また、一般的に日本人は流行にも敏感なので、ブランドが打ち出す広告や戦略に乗りやすい動向もあるように思います。経営陣でも「しかけます!」という人がいますが、多分、仕掛けられてます。なので、大勢の人が同時に同じものを買い求めるのではないでしょうか。とくに狙われているのは、購買意欲の高いF1層と呼ばれる働く女性たちです。
長い時間をかけて、買い物をする場が百貨店から路面店、アウトレットからインターネットへ変わってきています。インターネットで検索する場合、ブランド名で探す方が楽なのもあると思います。
もちろん、品質がいいものを求める人は、値段相応のものを買っているだけだと思います。
ブランドとは信用。ブランド買っとけば間違いないって言う思考。多くのシチュエーションではそれは正解。金があればリスクを冒す必要など無い。
日本人は比較的裕福な国だと思う。誰もリスクを冒したく無いし、それは金で回避できる。
金持ちの日本人はブランド思考なんじゃ無いかな。
日本人に限らず、金持ちはブランド好きが多いんじゃ無い?
何が良い物か悪い物か学ばなくても金出してブランド買っとけば大体正解。
ブランド好きは学ぶ時間を金で買う。
ブランドは信頼性を表しているものだと思います。つまり、そのブランド=安心して購入できるということではないでしょうか? 定番のブランドを購入しておけば安心という所でしょう。
ただ、ブランドの製品は品質がよい分高価になります。まぁ、安い製品にもブランドはありますが、基本は通常の製品より高価です。特にアパレル系の製品などは高級ブランドがあります。これらを持っていることが、高級品が買える=ステータスになっています。昔、かまいたちの濱家さんが、ロゴの入っていない(もしくは小さい)ブランドの服は買わないと言われていましたが、まさにブランドがステータスになっていると言えるでしょう。欧米では母から譲り受ける等の長く使い続けるものですが、日本では割と若い人もブランド品を持っています。単純にそれを持つことでマウントが取れることが目的なのだと思います。いわゆる、質が良いから買うではなく、ステータスが得られるから買うというところでしょうか?
前に、テレビで「子供にシャネルを着せているのは、品質の良いものをわかってもらいたいから」言われている方がいらっしゃいました。個人的には他の親にマウントを取るためのような気がしますが、素直に捉えると、シャネルのものは何でも最高の品質だと思っていらっしゃるのでしょう。シャネルの子供服と西松屋の子供服にどれほどの差があるのかは知りませんが、ろくに品質を調べもせずに行っているのだ
ブランドは信頼性を表しているものだと思います。つまり、そのブランド=安心して購入できるということではないでしょうか? 定番のブランドを購入しておけば安心という所でしょう。
ただ、ブランドの製品は品質がよい分高価になります。まぁ、安い製品にもブランドはありますが、基本は通常の製品より高価です。特にアパレル系の製品などは高級ブランドがあります。これらを持っていることが、高級品が買える=ステータスになっています。昔、かまいたちの濱家さんが、ロゴの入っていない(もしくは小さい)ブランドの服は買わないと言われていましたが、まさにブランドがステータスになっていると言えるでしょう。欧米では母から譲り受ける等の長く使い続けるものですが、日本では割と若い人もブランド品を持っています。単純にそれを持つことでマウントが取れることが目的なのだと思います。いわゆる、質が良いから買うではなく、ステータスが得られるから買うというところでしょうか?
前に、テレビで「子供にシャネルを着せているのは、品質の良いものをわかってもらいたいから」言われている方がいらっしゃいました。個人的には他の親にマウントを取るためのような気がしますが、素直に捉えると、シャネルのものは何でも最高の品質だと思っていらっしゃるのでしょう。シャネルの子供服と西松屋の子供服にどれほどの差があるのかは知りませんが、ろくに品質を調べもせずに行っているのだと思います。つまり、東大生は100%かしこいとか、テレビは嘘をつかないとか、大企業の社長は全てやり手とか、実際の中身も見ずにそれが当たり前だと考えているのでしょう。
たとえば、家電などは日本のブランドとして確率していました。日本の家電ブランドは90年代くらいまで確固たる地域を築いていました。ところが今はどうでしょう? 海外の人は日本人より比較する目を持っており、品質で選ぶ部分が多いことに加え、インターネットの普及で様々な情報が瞬時に広まる時代になり、日本製品の競争力はことごとく削がれていき、見る影もなくなってしまいました。
個人的にはブランドは一つの指標であり、本当にいいものを見分ける目が必要だと思います。
ブランド品を持つのには、様々な理由があると思います。
1.そのブランド品を買うだけの経済力がある
自ら稼ぎがあり、それなりに人前に出る生活をされている方は、少なからず一品や数品お持ちになられていると思います。身嗜みや好みによって異なりますが、長く使用できる良いもの持つ傾向にあると思います。
2.ハイブランドを買ってもらえる程のステータスがある
ご自身が愛されている結果として、沢山のブランド品を要求される方がいます。それを身に付けている事こそステータス。私はこれだけの金額たち、男たちに愛されている、という誇示。ですが、私の経験上、割と少数派なのかもしれません。
3.親類からのプレゼント
高校入学・大学受験合格・成人式・入社などのタイミングで、ご家庭によっては、大事な子供にブランド品を持たせたりします。1に記載したお考えを親族が持っている場合、子供にブランド品を与えるご家庭が多いかと思いました。子供にはホンモノを、良く長く使えるモノをと、お祝いでプレゼントするケースです。私は、高校入学の時に祖母にプレゼントしてもらったCOACHの時計を、社会人10年目にしてずっと使用しています。やはり長く使用してると馴染みます。
4.ブランドオタク
経済を回してくれる我が国最強の人種、オタク。
そんなオタクがブランド業界にも存在します。上記の理由から足を踏み入れた方が、いつの間にか様々な理由でハイブランドにハマり、主に
ブランド品を持つのには、様々な理由があると思います。
1.そのブランド品を買うだけの経済力がある
自ら稼ぎがあり、それなりに人前に出る生活をされている方は、少なからず一品や数品お持ちになられていると思います。身嗜みや好みによって異なりますが、長く使用できる良いもの持つ傾向にあると思います。
2.ハイブランドを買ってもらえる程のステータスがある
ご自身が愛されている結果として、沢山のブランド品を要求される方がいます。それを身に付けている事こそステータス。私はこれだけの金額たち、男たちに愛されている、という誇示。ですが、私の経験上、割と少数派なのかもしれません。
3.親類からのプレゼント
高校入学・大学受験合格・成人式・入社などのタイミングで、ご家庭によっては、大事な子供にブランド品を持たせたりします。1に記載したお考えを親族が持っている場合、子供にブランド品を与えるご家庭が多いかと思いました。子供にはホンモノを、良く長く使えるモノをと、お祝いでプレゼントするケースです。私は、高校入学の時に祖母にプレゼントしてもらったCOACHの時計を、社会人10年目にしてずっと使用しています。やはり長く使用してると馴染みます。
4.ブランドオタク
経済を回してくれる我が国最強の人種、オタク。
そんなオタクがブランド業界にも存在します。上記の理由から足を踏み入れた方が、いつの間にか様々な理由でハイブランドにハマり、主に1つのブランドを集中的に収集する方がいます。
友人はCHANELの香水をやたら購入する人でした。鞄や服は5千円程度のモノなのに、香水だけは必ずCHANEL。他の香水、他のCHANELの品には全く興味がないようで、ヴィンテージの香水にまで手を出して、沼から抜け出せずにいました。
テレビなどで、よくバーキンにハマられてる方がいますよね…。経済力もさることながら、収集する熱意に脱帽します。見つけたとしても買えない・お金はあるけど見つからない、が殆どの筈なので…
きっと他にも沢山の理由がありそうですが、私と周囲の人間のブランド(物品)思考でした。
理由はハッキリとは分かりませんが往々にしてアジア人は皆んな主にヨーロッパのブランド品が好き見たいですね。自分達と違う文化に憧れるんでしょうか。
やはりブランド物の持つ安心感が大きいのだと思う。最近では中華粗悪品が幅を利かせ、安かろう悪かろうが増えたのと、バブル期の栄光からか、特に高齢者はブランド志向、日本製への憧れが強いです。
本物志向なら最近は若者から安くて良いものを探すような感じになりつつあります。ファッションや化粧品はブランド志向にどうしてもなってしまいますが、100均の製品がもてはやされ、ファッションでも服とかは、しまむらやワークマンなどうまく着こなしていますよ。
だから徐々に日本にも本物志向が増えてるのかと思う。
しまむらやワークマンもブランドと言われれば、反論出来ませんが、大量発注してコストを下げて良いものとなると、ブランド化するのも仕方がないと思う。
中華製品にも価格に見合った良いものがありますが、それを探すのが大変です。よってコスパが良いものを厳選して売るようにすれば良いのですが、それがブランド化してしまうのですよ。
産地ブランドにこだわるわけではないですね。
国産なら安心、国産ならハズレはない、国産なら美味いと思っているだけですね。
熊本産あさりの偽装の問題は、会見までして被害者ぶってた熊本県魚連がグルだって事ですかね。
どこかの一企業の偽装ではなく熊本県魚連全体の偽装って話です。全国の荷受け大手商社、仲卸、スーパー量販店、全てが騙されていたわけです。
ニュースになった後も、スーパーへ納品している仲卸たちは、「当社のは産地証明も出てますから大丈夫ですと」
でも結局それもアウト。
要は、熊本県魚連が出している産地証明そのものが偽装だったと笑
て事でトレーサビリティするはずの発行元がやってた訳です。でこれ知ってただろってのが山口県。アサリの輸入元が山口県だからw
まーこの一件は事が大きすぎて、メディアも犯人探し出来ないw 熊本県魚連全体が潰れちゃうから?
さて、話戻しまして、産地ブランドにこだわると言うよりも、中国ブランドへの信頼のなさから来る国産信仰てのがあります。それは中国で採れた食糧への不信ではなく、中国の加工工場への信頼の無さからくるものです。
ちなみにそれは中国人も同じで、上海しかり、香港しかり、中国人富裕層は皆、日本産、とりわけ北海道産への信頼が日本人以上に熱い。これは完全にブランド信仰です。
肉と違って魚介という天然資源においては(養殖は別)商品自体の旨さは日本産が美味いという理論は当然成り立ちませんよね
産地ブランドにこだわるわけではないですね。
国産なら安心、国産ならハズレはない、国産なら美味いと思っているだけですね。
熊本産あさりの偽装の問題は、会見までして被害者ぶってた熊本県魚連がグルだって事ですかね。
どこかの一企業の偽装ではなく熊本県魚連全体の偽装って話です。全国の荷受け大手商社、仲卸、スーパー量販店、全てが騙されていたわけです。
ニュースになった後も、スーパーへ納品している仲卸たちは、「当社のは産地証明も出てますから大丈夫ですと」
でも結局それもアウト。
要は、熊本県魚連が出している産地証明そのものが偽装だったと笑
て事でトレーサビリティするはずの発行元がやってた訳です。でこれ知ってただろってのが山口県。アサリの輸入元が山口県だからw
まーこの一件は事が大きすぎて、メディアも犯人探し出来ないw 熊本県魚連全体が潰れちゃうから?
さて、話戻しまして、産地ブランドにこだわると言うよりも、中国ブランドへの信頼のなさから来る国産信仰てのがあります。それは中国で採れた食糧への不信ではなく、中国の加工工場への信頼の無さからくるものです。
ちなみにそれは中国人も同じで、上海しかり、香港しかり、中国人富裕層は皆、日本産、とりわけ北海道産への信頼が日本人以上に熱い。これは完全にブランド信仰です。
肉と違って魚介という天然資源においては(養殖は別)商品自体の旨さは日本産が美味いという理論は当然成り立ちませんよね。
例えば、京都の西京焼で有名な銀鱈西京漬けなんてのは、良い銀鱈は基本北米産です。
東京をはじめとした超高級寿司屋でもマレですが、ハモが一番美味しいく、値段も高いのは、四国や愛知やら兵庫やらの国産ではなく、韓国産です。国産の1.5-2倍はしますよね。
今や幻になってくのか?と言われている、北海道産紅鮭はロシア産の2倍以上になり小売価格は一切れ2000円を超えてきます。が一切れ500円ほどのロシア産と漁場は同じ場所です。
船が帰る場所が北海道なのかロシアなのかの話。
勿論日本人は加工が丁寧だからなど等の理由もありますが、魚自体は漁場でとれたものwそして近年高い理由は、ロシアがロシア産の輸出を絞っていること、ロシア領海での漁獲制限をかけた事。これで相場が上がったまで。
そんなこんなであげればキリがないほど、食品に関してはいろんな良し悪しや真実があり、そんなことまで消費者は知らないし知ろうともしないし、という事からも、国産=ハズレはないという確率論からの選択的妥協をしているまでかと思います。
日本と欧州の文化の違いです。
欧州は洋服文化の歴史があり価値を自分の目で確認し大切に使用し
宝石や時計、コートやワンピースでも孫子の代まで伝えています。
流行り廃りに流されません。
ブランドの名前に拘らず無く良いものは良いでバランスを取ります。
ハイブランドの本物は貴族階層か成金で無い裕福な人たちで無いと持ちません。
日本人は長く使用した経験が少ないためマスゴミの評判を信じて自分の目を育成していません。
HermèsもLOEWEも王室御用達です。
背伸びして一品豪華主義だとバランスが取れず貧相になる事を商業主義のマスゴミは伝えません。
厳選された皮を丁寧な技術で鞣し一針ずつ心を込めた馬具を仕立てたものが
需要が減少したため上流階級のお客様の為にバッグを造ることにしたそうです。
フォーブルノサントノレのHermès本店で工房を見学させていただきミニケリーのクロコを30万円で頂きました。
マドリッドのLOEWE本店は英語かスペイン語でないと対応してくれませんでした。
CHANELは女性の地位確立を考えてメンズ仕立てを女性服に取り入れて女性の動きやすさと美しさを表現しています。
フランス語で挨拶してから英語で会話しました。
譲っていただいたケリーはステッチを赤にしていただきました。
日本と欧州の文化の違いです。
欧州は洋服文化の歴史があり価値を自分の目で確認し大切に使用し
宝石や時計、コートやワンピースでも孫子の代まで伝えています。
流行り廃りに流されません。
ブランドの名前に拘らず無く良いものは良いでバランスを取ります。
ハイブランドの本物は貴族階層か成金で無い裕福な人たちで無いと持ちません。
日本人は長く使用した経験が少ないためマスゴミの評判を信じて自分の目を育成していません。
HermèsもLOEWEも王室御用達です。
背伸びして一品豪華主義だとバランスが取れず貧相になる事を商業主義のマスゴミは伝えません。
厳選された皮を丁寧な技術で鞣し一針ずつ心を込めた馬具を仕立てたものが
需要が減少したため上流階級のお客様の為にバッグを造ることにしたそうです。
フォーブルノサントノレのHermès本店で工房を見学させていただきミニケリーのクロコを30万円で頂きました。
マドリッドのLOEWE本店は英語かスペイン語でないと対応してくれませんでした。
CHANELは女性の地位確立を考えてメンズ仕立てを女性服に取り入れて女性の動きやすさと美しさを表現しています。
フランス語で挨拶してから英語で会話しました。
譲っていただいたケリーはステッチを赤にしていただきました。
Request Received
大きくブランドロゴが入った服やバッグを好む理由に「不安である」「自信が無い」事が根底にあるという考え方 つまり心理面での様々な不安を物理的に解消するためと言うのが 心理学的な答えらしいです。
ブランドロゴが入った服を着る人 自信のない自分に自信を付けたいからではないでしょか。またブランドロゴ入り服を好きなのは日本人だけでは無く、アジア人全般に言えることですね 。
Request Received
大きくブランドロゴが入った服やバッグを好む理由に「不安である」「自信が無い」事が根底にあるという考え方 つまり心理面での様々な不安を物理的に解消するためと言うのが 心理学的な答えらしいです。
ブランドロゴが入った服を着る人 自信のない自分に自信を付けたいからではないでしょか。またブランドロゴ入り服を好きなのは日本人だけでは無く、アジア人全般に言えることですね 。
いわゆる目利きが難しくて、良いものを自分で選ぶ力が不足気味なので、自他共に評価が高く、無難なブランド品を選ぶのかと思います。
日本は歴史のあるものに価値を感じる人が多いです。歴史的建造物や、それこそ長く続く皇室など。ブランド品には歴史があり、ブランド品の歴史とは実績です。長く続いてきた実績を信頼して好むと言う一面もあるのかな、と思っています。
実は、人類皆が可愛いは好きです。
なぜなら可愛いの感情の根源は、幼児や児童を可愛いと感じる庇護欲を含む生物的な反応だからです。また子供の頃に慣れ親しんだ可愛いモノも、大人になったからと言って感覚が失われるものではないです。
しかし、西洋社会では大人になると、赤ちゃん以外の可愛いをモノを、可愛いと言葉に出すことは子供っぽく恥ずかしという社会的規範があります。日本でも男性が可愛いモノ好きを公言すると、恥ずかしいという意識を持つ層はいます。特に高年齢層は、古い価値観もあり、そのような態度を取ります。
実際、マンガやアニメは子供の読むもの見るものという思想があります。しかし、日本ではオタク層と呼ばれる層だけでなく、マンガやアニメに親しんできた50才以下の多くの日本人が、マンガやアニメと一緒に可愛いモノを受け入れる社会になってきました。
そこから日本人は「かわいい」が好きという認識が生まれても不思議ではないです。
しかし、西洋においても、日本のマンガやアニメが浸透し、市場として受けれられるようになると同時に、日本のコンテンツであれば西洋的な社会的規範である「かわいい」へのタブーも気にしない層が出てきました。
今では、日本の可愛い文化は、Kawaiiとして西洋のPOPカルチャーに受け入れられています。マンガやアニメ以外の例を1つ上げるなら、きゃりーぱみゅぱみゅだと思います。
今ではKawaiiカルチャーは日
実は、人類皆が可愛いは好きです。
なぜなら可愛いの感情の根源は、幼児や児童を可愛いと感じる庇護欲を含む生物的な反応だからです。また子供の頃に慣れ親しんだ可愛いモノも、大人になったからと言って感覚が失われるものではないです。
しかし、西洋社会では大人になると、赤ちゃん以外の可愛いをモノを、可愛いと言葉に出すことは子供っぽく恥ずかしという社会的規範があります。日本でも男性が可愛いモノ好きを公言すると、恥ずかしいという意識を持つ層はいます。特に高年齢層は、古い価値観もあり、そのような態度を取ります。
実際、マンガやアニメは子供の読むもの見るものという思想があります。しかし、日本ではオタク層と呼ばれる層だけでなく、マンガやアニメに親しんできた50才以下の多くの日本人が、マンガやアニメと一緒に可愛いモノを受け入れる社会になってきました。
そこから日本人は「かわいい」が好きという認識が生まれても不思議ではないです。
しかし、西洋においても、日本のマンガやアニメが浸透し、市場として受けれられるようになると同時に、日本のコンテンツであれば西洋的な社会的規範である「かわいい」へのタブーも気にしない層が出てきました。
今では、日本の可愛い文化は、Kawaiiとして西洋のPOPカルチャーに受け入れられています。マンガやアニメ以外の例を1つ上げるなら、きゃりーぱみゅぱみゅだと思います。
今ではKawaiiカルチャーは日本人だけでなく、世界のPOPカルチャーになっており、世界にも「かわいい」が好きな人は増えてきています。
全くの私見ですが、日本人は可愛いものが好きなんですよ。
江戸時代の旅人の持ち物を一度検索してみてくださいな。日本は馬車が発達しなかったほど湿地帯に囲まれた土地に、各種書籍が発達するほどの好奇心溢れた住人に溢れた国土です。
背に背負って幾里も超え、大河川を渡り、山坂峠道を登る旅人の小道具のなんと精緻なこと細やかなこと美しいこと。その一品一品に神が宿り魂が込められた感がします。
重たいものなど却下です。そこから小さいこと可愛い事は善き事、とコッコロに焼き付けられたんではないかなあと。そしてそのための一品一品に込められた心遣いを尊重する気風につながっている気がするのです。
Quoraユーザー さんの列挙くださった
選択時の時短、信頼性の保証、ステータス顕示+ロイヤルティ(ファン育成)
がブランドの主な機能を網羅してくださっています。これを踏まえて
なぜ日本人は
と立てられた問いを検討するとき、 里中 理央 (Rio Satonaka) さんの回答なさるのと同じく、私も「日本人は」「ブランド志向」だ、と必ずしも言えなかろうと考えます。
ではブランドとは?という議論については
こちらの回答をご覧いただくことをお勧めいたします。
一番最初に頭に浮かんだのはこのブランドのこのパーカーなんですけど、アメリカのブランドですね。
「日本人は~」ってことは、あんまり言えないんじゃないでしょうか。
個人的には「レーシングドライバーでもあるまいし、なんで企業の宣伝せなアカンねん!」って気持ちがありますけどね。
でもよく考えると、ユニクロのT-シャツの企業ロゴは好きですね。
一番最初に頭に浮かんだのはこのブランドのこのパーカーなんですけど、アメリカのブランドですね。
「日本人は~」ってことは、あんまり言えないんじゃないでしょうか。
個人的には「レーシングドライバーでもあるまいし、なんで企業の宣伝せなアカンねん!」って気持ちがありますけどね。
でもよく考えると、ユニクロのT-シャツの企業ロゴは好きですね。
まあ、アメリカ人がピックアップトラックの後ろにデカデカと社名のロゴを書いているのと同じなんじゃないかしら。かっこいいですからね。どこの国でも形こそ違へ同じなんでしょうね。
まあ、アメリカ人がピックアップトラックの後ろにデカデカと社名のロゴを書いているのと同じなんじゃないかしら。かっこいいですからね。どこの国でも形こそ違へ同じなんでしょうね。
ブランドの本来は、お酒なり肉なり、油なり、品質の保証が無いと色々問題が在る品々で、焼印/刻印等で販売元なり製造元なり組合が品質を保証した物でそれ自体は多くの国で発生した物です。
日本でも座等は本来は品質保証の意味合いも在った時期も在るのですが、戦国の終わりの頃には品質保証の意味合いより、既得権の代名詞になって居たりと、この辺りも面白い物ですが。
お酒等、醸造したり精製した物は、品質保証が無い物は危なくて買えません、自分で個人醸造等もしますので当然見分け方等や危ない物も在る程度把握して居ますが、基本、個人醸造のお酒なんて信用出来る所の方の以外のは手を出さない方が無難です。
チーズ等だって、食べれるカビは良いですが、食べれないカビでは命がけで大変ですし、ぱっと見で素人はわかりませんから、カビだらけのチーズを買う理由はブランドの保証が在るからです。
お酒等のブランドはこの為、歴史が古く、古代エジプトではファラオや神殿の管理するビールやワイン等の信用が在り、品質を担保してましたし。品質保証の在るお酒自体が貨幣としての価値も在りました。
肉等も、焼印等入ってる肉は、適切な処理、羊頭狗肉で無い事を保証したり、病気持ちの動物の肉で無い事を保証したので、本来の役割は品質保証です。そして、品質保証(焼印)が在るハムやチーズは、貨幣や担保としての価値が在ったのです。
イタリア等、著名ブランドのチーズ(特にパルメザ
ブランドの本来は、お酒なり肉なり、油なり、品質の保証が無いと色々問題が在る品々で、焼印/刻印等で販売元なり製造元なり組合が品質を保証した物でそれ自体は多くの国で発生した物です。
日本でも座等は本来は品質保証の意味合いも在った時期も在るのですが、戦国の終わりの頃には品質保証の意味合いより、既得権の代名詞になって居たりと、この辺りも面白い物ですが。
お酒等、醸造したり精製した物は、品質保証が無い物は危なくて買えません、自分で個人醸造等もしますので当然見分け方等や危ない物も在る程度把握して居ますが、基本、個人醸造のお酒なんて信用出来る所の方の以外のは手を出さない方が無難です。
チーズ等だって、食べれるカビは良いですが、食べれないカビでは命がけで大変ですし、ぱっと見で素人はわかりませんから、カビだらけのチーズを買う理由はブランドの保証が在るからです。
お酒等のブランドはこの為、歴史が古く、古代エジプトではファラオや神殿の管理するビールやワイン等の信用が在り、品質を担保してましたし。品質保証の在るお酒自体が貨幣としての価値も在りました。
肉等も、焼印等入ってる肉は、適切な処理、羊頭狗肉で無い事を保証したり、病気持ちの動物の肉で無い事を保証したので、本来の役割は品質保証です。そして、品質保証(焼印)が在るハムやチーズは、貨幣や担保としての価値が在ったのです。
イタリア等、著名ブランドのチーズ(特にパルメザンチーズ等)は今でも銀行で担保としての価値が在ったりします。この様に、ブランドは大事だったのです。
現在は、ブランドは一定の品質保証が在る程度の意味であり、それらのブランドへの信用は一種の刷り込み効果が在る為、例えば一番刷り込みが有効なタイミングをターゲットした広告活動を企業は展開します。
所謂長期視野で行うイメージ広告の大半は、この刷り込み効果を期待したもので、それによりブランドへの信用を高め、購買時の選択をしやすい様にして居ます。この手の刷り込みは、短期的な広告で〇〇は現在幾らでお得です系の広告よりも、ずっと長期的に影響が在るので、一定規模の商いを行う場合や、顧客のブランド信用が第一の商品を扱う場合は、特に有効だとされます。飲料水、食品、薬品、化粧品等、直接的に影響の在る物の場合、例え商いが小さくてもブランド戦略は欠かせません。面白い事に〇〇な現在幾ら!系の広告は長期的にはマイナス効果が在るとされます。これは値段の刷り込みが世間のインフレ等お構いなしに、割高感を長期的には形成するからで、長期的なブランド戦略ではマイナス効果が高くなります。
また、ブランド戦略の良い所は、離れた顧客が再び回帰する事を期待出来る事で、これが会社等倒産してもブランドの権利が切り売りされる理由で在ったりします。〇〇と言うブランドの刷り込みが在ると、倒産して、数年〜数十年経ってから復刻させた場合、懐しいと回帰して来る客がおり、資産としてのブランド刷り込みの力の強さを裏付けたりする物だったりします。
レア物の定義がわかりませんが、当時コーチを買っていた層は、トリーバーチやマイケルコースを購入するようになったのでしょう。現在はコーチのような総柄のシグネチャーの人気は下火になったと思います。
理由としては、コーチのシグネチャーのような柄はルイヴィトンのモノグラムほどの訴求力はなく、総柄を買ったので次は無地やワンポイントロゴのバッグを買ってしまいがちです。それならばコーチで買う必要もなく上記で挙げたようなブランドのカバンを買うでしょう。コーチが推し進めてきたアウトレットモールへの進出も以前は競合とされるミドルクラスやハイブランドがあまりなかったので多くのシェアが得られたのですが、現在はトップクラスのブランドから多く取り揃えられる大規模なアウトレットモールが全国各地に点在するようになりました。コーチ以外の選択肢が増えたと言うことです。これらの背景には百貨店の減速やファストファッションの流行やSNSの活用によるハイブランドの民主化が考えられると思いますが、本題からズレまくり少し長くなってしまうのでそのような質問があった際に回答することにします。
また、現在のロゴイズムのようなシンプルな形状やデザインにロゴを入れるなどのトレンドとコーチのデザインがマッチしないと言うトレンドに対する不一致も選ばれない原因となっていると思います。
結果としてブランド品に飽きたわけではなく、局所的なブランドへの人気の
レア物の定義がわかりませんが、当時コーチを買っていた層は、トリーバーチやマイケルコースを購入するようになったのでしょう。現在はコーチのような総柄のシグネチャーの人気は下火になったと思います。
理由としては、コーチのシグネチャーのような柄はルイヴィトンのモノグラムほどの訴求力はなく、総柄を買ったので次は無地やワンポイントロゴのバッグを買ってしまいがちです。それならばコーチで買う必要もなく上記で挙げたようなブランドのカバンを買うでしょう。コーチが推し進めてきたアウトレットモールへの進出も以前は競合とされるミドルクラスやハイブランドがあまりなかったので多くのシェアが得られたのですが、現在はトップクラスのブランドから多く取り揃えられる大規模なアウトレットモールが全国各地に点在するようになりました。コーチ以外の選択肢が増えたと言うことです。これらの背景には百貨店の減速やファストファッションの流行やSNSの活用によるハイブランドの民主化が考えられると思いますが、本題からズレまくり少し長くなってしまうのでそのような質問があった際に回答することにします。
また、現在のロゴイズムのようなシンプルな形状やデザインにロゴを入れるなどのトレンドとコーチのデザインがマッチしないと言うトレンドに対する不一致も選ばれない原因となっていると思います。
結果としてブランド品に飽きたわけではなく、局所的なブランドへの人気の集中と競合ブランドへの顧客の流出、トレンドに対して取り入れ辛いと言う理由からコーチが避けられているのでしょう。しかし、リバイバルブームの中でオールドコーチのようなシンプルなデザインは再度盛り上がっていくと考えます。
より確実により確かな物が欲しいという日本人が多いのは確かだと思います
ブランドと言っても装飾品から日用品までそれぞれに分野でブランドというのはあると思います
必ず拘りの分野があり、それは日本人に限らず誰しも心の中に持っていると思います
そういう意味では日本人という限定に限らず何処の世界の誰であっても好きな傾向にあると言えると思います
わかりやすいのは、シュプリームかもしれません。
21aw
基本的にsupremeのロゴは入っています。
今でも、コラボ物はプレ値で取引きされます。
まずは、欲しいと思う人は別にそのブランドを宣伝してるつもりはありません。
ロゴを含めたグラフィックが、カッコいいから欲しいんですね。
キムタクはよく着てますよね。今も彼が着たものは値段が跳ね上がります。
ただここだけの話、作りはチープです。
何故、ブランドはロゴものを出すかと言われれば、それがアジアで売れるからです。
アジア人は非常に身体的特徴が薄いので、キャッチーなロゴが差別化という意味においても好きだという話もありますが、それが全ての答えかとも思いにくいですね。
supremeロゴがないsupremeは、きっと売れませんw
同じようにNIKEのスウオッシュマークがないスニーカーは、作らないですよね?
ロゴがデザインの一部であり、最重要だからです。
また、ブランド側もロゴものがブランドの担保価値になりたいとも思っているはずです。
一つ、核を作れば展開しやすいですしね。
ただ、ブランド服に関して言えば、わかりやすいロゴが入っていないのもたくさんありますよ。
私が所有しているコートにしても、スラックスにしても内側にブランドタグはついているだけです。
単純に身が引き締まるし、ラインが好きなのでよく身につけます。
昔、読んだ記事で、キョンキョン(大ファンです!)が、今はブランド
わかりやすいのは、シュプリームかもしれません。
21aw
基本的にsupremeのロゴは入っています。
今でも、コラボ物はプレ値で取引きされます。
まずは、欲しいと思う人は別にそのブランドを宣伝してるつもりはありません。
ロゴを含めたグラフィックが、カッコいいから欲しいんですね。
キムタクはよく着てますよね。今も彼が着たものは値段が跳ね上がります。
ただここだけの話、作りはチープです。
何故、ブランドはロゴものを出すかと言われれば、それがアジアで売れるからです。
アジア人は非常に身体的特徴が薄いので、キャッチーなロゴが差別化という意味においても好きだという話もありますが、それが全ての答えかとも思いにくいですね。
supremeロゴがないsupremeは、きっと売れませんw
同じようにNIKEのスウオッシュマークがないスニーカーは、作らないですよね?
ロゴがデザインの一部であり、最重要だからです。
また、ブランド側もロゴものがブランドの担保価値になりたいとも思っているはずです。
一つ、核を作れば展開しやすいですしね。
ただ、ブランド服に関して言えば、わかりやすいロゴが入っていないのもたくさんありますよ。
私が所有しているコートにしても、スラックスにしても内側にブランドタグはついているだけです。
単純に身が引き締まるし、ラインが好きなのでよく身につけます。
昔、読んだ記事で、キョンキョン(大ファンです!)が、今はブランドの力を借りるようにしているの。とありました。
若い時と違って、ある一定の年齢になればブランドの力を借りるのも良い生き方に繋がるのでは?と思いますね。
着飾るという言葉は、人間特有のものです。
充分に着飾って、オリジナルの自分をよりシャープに生かしたいなと思いますが、いかがですか?
ハーバード・ビジネス・スクールのやり方を一言で言うと
「出来るだけ短期間に利潤を最大化し、取れるところから出来るだけ早く取れ」
と言うことのようです。これは日本の伝統的な商売の基本である石門心学の
「正直の徳」
という考え方に基づいて長期的に信頼関係を築いて行くやりかたとは大分違います。石門心学に関しては一番下に挙げた回答を参考にしてください。
そして日本以外の国々ではハーバード学派のやり方を踏襲するようになってきた。
私の友人のインド人の方が、
「日本だけがこのハーバード学派のやり方に与しないで、世界の経済界で丁々発止とやり合って成功してきた。世界中の多くの人が、ハーバード学派に汚染されないでやっている日本の独特のやり方に興味を持ち、そのやり方で生き残って欲しいと考えているのだ」
と、私に言っておりました。
残念ながら、日本の一部の連中はハーバード学派の考え方に汚染されてしまっているようです。でも、世界の多くの人たちの期待に応えて、日本独特の石門心学の理念に基づいた商売が結局長期的に見て生き残りの道である事を、私もこのインド人のように願っています。
まず、日本人だけではないです。
社会の規範から外れた人を追い出そうとするほうが「普通の」社会です。だいたい周囲と同じ宗教でない人とか信じない人は火あぶり・むち打ちが普通ですし、同性愛者は薬物で矯正されたりします。
私は映画が大好きですけど、しばしば「普通でないことはおかしなことではない」というテーマが描かれます。逆に言えば、普通でないのは普通はおかしいとされてるのです。映画「ザ・コンサルタント(The Accountant)」では、自閉症の息子に対して精神科医による「異常=治療すべきもの」の診断を求めます。米国での普通のありえる日常を描いています。
ですので、普通にこだわる理由を論じるなら「日本」を含めるべきではないと思います。
その上で、一般的に普通でないことを認めるには「特別扱いする」ということが必要になります。それは意識の上だけでなく、お金もかかりますし、さまざまなことで面倒をひきおこします。
エレベーターを設計するとき、一番上のボタンは何センチに設定するのが正しいのでしょう。単に背が低くて120cm以上だと届かない人もいますよね。まあ、それはいそうなので低めにしましょう。さて、車いすに乗った人とか、這ってないと動けない人が入ってきて高すぎてボタンが押せない可能性を考えたら、最高で10cmという結論になりかねません。一方で低すぎると使えない人も考えないといけません。お金も含めて非常に面
まず、日本人だけではないです。
社会の規範から外れた人を追い出そうとするほうが「普通の」社会です。だいたい周囲と同じ宗教でない人とか信じない人は火あぶり・むち打ちが普通ですし、同性愛者は薬物で矯正されたりします。
私は映画が大好きですけど、しばしば「普通でないことはおかしなことではない」というテーマが描かれます。逆に言えば、普通でないのは普通はおかしいとされてるのです。映画「ザ・コンサルタント(The Accountant)」では、自閉症の息子に対して精神科医による「異常=治療すべきもの」の診断を求めます。米国での普通のありえる日常を描いています。
ですので、普通にこだわる理由を論じるなら「日本」を含めるべきではないと思います。
その上で、一般的に普通でないことを認めるには「特別扱いする」ということが必要になります。それは意識の上だけでなく、お金もかかりますし、さまざまなことで面倒をひきおこします。
エレベーターを設計するとき、一番上のボタンは何センチに設定するのが正しいのでしょう。単に背が低くて120cm以上だと届かない人もいますよね。まあ、それはいそうなので低めにしましょう。さて、車いすに乗った人とか、這ってないと動けない人が入ってきて高すぎてボタンが押せない可能性を考えたら、最高で10cmという結論になりかねません。一方で低すぎると使えない人も考えないといけません。お金も含めて非常に面倒です。
現在はさまざまなアレルギーに対応するように、いろいろな食品業界の人がお金と手間をかけています。小麦アレルギー、そばアレルギー、卵アレルギー・・症状にもさまざまな差があり死んでしまいかねない場合もあります。でも、それは最近です。数十年前までそれはどうしていたのかといえば・・たぶん、ただ死んでただけです。食べるものが小麦しかなかったらどうしようもないのです。普通でない人に対応するには、社会が豊かでないと対応できないです。
「普通でないといけない」とはある範囲の人でないと長く生き残れなかった時代に、長くは生き残れない人の分まで食糧を作っててはみんなが生き残れないので排除する、ということだったと思います。
社会と技術の発展とともに多様性に対応しても誰も困らないし、むしろ需要が足りないのでワガママを言ってほしいくらいになりました。しかし、人々の意識は古いままで「普通にしろ」と思い込んでるから「普通でないことは悪いことではない」「なぜ普通にこだわるのですか」というテーマが出てくるのかと思います。誰もがどこか普通でない部分なんてあるのが普通です。必要もないのに普通に合わせようとするのは窮屈になったのだと思います。
ハイブランドの商品買いませんが、面白そうなので回答させてください。
基本、直営店か正規販売店で正規価格でしか買えないものがハイブランドでそれ以外のブランドはアウトです。どんなに高額な商品でもLVとかG・CC・とか◯ン・◯ホー◯で大人のおもちゃ等と同じ階で売られているようなブランドは全部アウトです。
この辺難しくて、このセーターはセーフです。ただこれを着こなすには全体的な着こなしや着ている本人の雰囲気も関係してくるので、ちゃんと着こなしていなければアウトです。庶民が着ても西松屋で買ったとしか思われません。ハイブランドに見てもらえないですね。
これも◯ン・◯ホー◯で売ってそうですが、これはセーフです。ただ先ほどと同様にそれなりのセンスのある格好で持っていないと偽物にしか見えないです。(多分◯ン・◯ホーテには売っていないと思います)
ところで「ハイブランドのアイテムを身につけてどう思われたいのか」ですが、お金持ちに思われたいならこのようなアイテムは間違いなくその目的を達成させられると思います。そんな目的ならどこで売っていようがあまり関係ないですね。
一方で、ハイブランド品を所有し自分そのものの存在感を高め尊敬を集めたいなら、私が是非ともお勧めしたいのはこんな商品です。
支払いの際にサインを求められ、店のボールペンを拒否して内ポケットからさりげなく出したこの万年筆を使って美しい文字でサインすれば着てい
ハイブランドの商品買いませんが、面白そうなので回答させてください。
基本、直営店か正規販売店で正規価格でしか買えないものがハイブランドでそれ以外のブランドはアウトです。どんなに高額な商品でもLVとかG・CC・とか◯ン・◯ホー◯で大人のおもちゃ等と同じ階で売られているようなブランドは全部アウトです。
この辺難しくて、このセーターはセーフです。ただこれを着こなすには全体的な着こなしや着ている本人の雰囲気も関係してくるので、ちゃんと着こなしていなければアウトです。庶民が着ても西松屋で買ったとしか思われません。ハイブランドに見てもらえないですね。
これも◯ン・◯ホー◯で売ってそうですが、これはセーフです。ただ先ほどと同様にそれなりのセンスのある格好で持っていないと偽物にしか見えないです。(多分◯ン・◯ホーテには売っていないと思います)
ところで「ハイブランドのアイテムを身につけてどう思われたいのか」ですが、お金持ちに思われたいならこのようなアイテムは間違いなくその目的を達成させられると思います。そんな目的ならどこで売っていようがあまり関係ないですね。
一方で、ハイブランド品を所有し自分そのものの存在感を高め尊敬を集めたいなら、私が是非ともお勧めしたいのはこんな商品です。
支払いの際にサインを求められ、店のボールペンを拒否して内ポケットからさりげなく出したこの万年筆を使って美しい文字でサインすれば着ていたスーツがノンブランドの3万円でも30万円以上に見てもらえると思います。これは一生物なのでお得です。
興味深い質問ですね。私は50歳手前なんですが、確かに若いころは欧米志向というか英語がかっこいいとかそういうのがありましたが、近ごろは和室とか着物とかいいなと思いますね。自分に照らし合わせて検証してみたいと思います(笑)。
それで、いきなり結論じみたところから入りますが、「欧米の若者文化が和風の和風の若者文化を駆逐してしまったために、若者が和風の文化を取り入れることが極めて難しくなっている」ところに端を発し、「残っている和風文化が年寄り向けになっている」のではないか、とまず推察しています。
1945年の太平洋戦争終戦以来、欧米、特にアメリカの文化がかっこいいモノの象徴として入ってきました。ハンバーガー・フライドポテト・ポップコーン・コカ・コーラなどの食品からジーンズ・革ジャンなどのファッションからジャズ・ブルース・ロックといった音楽、車や冷蔵庫、レコード・ラジオ・テレビといった工業製品まで、圧倒的なパワーを持って日本の若者を虜にしてきたのです。一方、日本の文化で残ったものは、城や寺社仏閣、着物、盆踊り、和食といったところで「伝統文化」的な扱いとして残ったように感じます。ここに文化の断絶があるのです。
本来、日本にも若者文化があったはずなのですけど、挙げていこうとしても、和太鼓とかお祭りとかそういった類のものしか思いつかないですよね。落語とか歌舞伎とか、若い人ももちろん参画しているわけですが
興味深い質問ですね。私は50歳手前なんですが、確かに若いころは欧米志向というか英語がかっこいいとかそういうのがありましたが、近ごろは和室とか着物とかいいなと思いますね。自分に照らし合わせて検証してみたいと思います(笑)。
それで、いきなり結論じみたところから入りますが、「欧米の若者文化が和風の和風の若者文化を駆逐してしまったために、若者が和風の文化を取り入れることが極めて難しくなっている」ところに端を発し、「残っている和風文化が年寄り向けになっている」のではないか、とまず推察しています。
1945年の太平洋戦争終戦以来、欧米、特にアメリカの文化がかっこいいモノの象徴として入ってきました。ハンバーガー・フライドポテト・ポップコーン・コカ・コーラなどの食品からジーンズ・革ジャンなどのファッションからジャズ・ブルース・ロックといった音楽、車や冷蔵庫、レコード・ラジオ・テレビといった工業製品まで、圧倒的なパワーを持って日本の若者を虜にしてきたのです。一方、日本の文化で残ったものは、城や寺社仏閣、着物、盆踊り、和食といったところで「伝統文化」的な扱いとして残ったように感じます。ここに文化の断絶があるのです。
本来、日本にも若者文化があったはずなのですけど、挙げていこうとしても、和太鼓とかお祭りとかそういった類のものしか思いつかないですよね。落語とか歌舞伎とか、若い人ももちろん参画しているわけですが、欧米の若者文化のパワーが強すぎて霞んでしまっているように思うのと、「伝統を残す」という意識が強すぎて、若者向けになっていないというように思います。
では廃れていく一方なのか、というとそうでは無くて、最近の所謂「クールジャパン」と呼ばれるような、ある種のオタクムーブメントには、「欧米に染まった若者文化を取り返そうとする遺伝子の発露」のようなものを感じています。椎名林檎あたりから見られる日本語独特の響きであったり美しさであったり、また絵師と呼ばれるような方々の作品などは、欧米文化を取り入れつつも自分の中から湧き出る「和」の部分も素直に取り入れているように思います。以前の「あまちゃん」のようなお座敷列車であったりといったコミュニティであったりが地下アイドルといった形を取ったり、形を変えて「先祖返り」した若者文化なのだと考えています。
いわゆる威張りが効くブランドの商品を無理をしてでも欲しがる人は他国(と言っても北米と西ヨーロッパしか分かりませんが)よりも圧倒的に多い様に思います。
ただ最近はその傾向が下がって来ている様に感じ、個人的には好ましく思います。
私たちの生活も環境も、表面上は欧米の多大な影響を受けているからです。あなたは洋服を着て、欧米の技術で便利になった環境で生活しています。学校で教わる合理的な事柄もほとんどは欧米人の解き明かして来たことだと教わる。科学技術の論理を理解する言語も西洋型の数学です。日本には高度な和算という論理体系があったにも拘らずです。でもこれだけ西洋の圧倒的な影響下で暮らしているので、若いうちは西洋の世界観を学習することは大変重要なことなのです。
また、幼児から青年へと成長して行く過程で、家族から学校へ、町へ、、県へ、日本へ、世界へと視界が広がって行く。そうすると、自分が自分である前に自分は人間ではないかという普遍的な世界観が徐々に形成されてくる。そして世界の覇を握っている欧米の文化に説得力を感じるようになる。だから、当然若者は欧米志向でよろしい。
ところが社会に出て、人との出逢いの喜びや人間関係の軋轢などの人生の葛藤など、色々な経験を積んで行くうちに、欧米の影響って表面的な見方ではないのかと思えてくる。そしてまた、実は自分が欧米ではなくて日本の文化の中にどっぷりと浸かっていることに気がつくようになってくる。
若いうちは歴史の連続性に気が付かず、生まれてくる前から存在していた日本人特有な世界観があることにも気付かず、だから育ってくる過程で自分がその歴史的に連続している世界観に多大に影響されていたことにも気が付
私たちの生活も環境も、表面上は欧米の多大な影響を受けているからです。あなたは洋服を着て、欧米の技術で便利になった環境で生活しています。学校で教わる合理的な事柄もほとんどは欧米人の解き明かして来たことだと教わる。科学技術の論理を理解する言語も西洋型の数学です。日本には高度な和算という論理体系があったにも拘らずです。でもこれだけ西洋の圧倒的な影響下で暮らしているので、若いうちは西洋の世界観を学習することは大変重要なことなのです。
また、幼児から青年へと成長して行く過程で、家族から学校へ、町へ、、県へ、日本へ、世界へと視界が広がって行く。そうすると、自分が自分である前に自分は人間ではないかという普遍的な世界観が徐々に形成されてくる。そして世界の覇を握っている欧米の文化に説得力を感じるようになる。だから、当然若者は欧米志向でよろしい。
ところが社会に出て、人との出逢いの喜びや人間関係の軋轢などの人生の葛藤など、色々な経験を積んで行くうちに、欧米の影響って表面的な見方ではないのかと思えてくる。そしてまた、実は自分が欧米ではなくて日本の文化の中にどっぷりと浸かっていることに気がつくようになってくる。
若いうちは歴史の連続性に気が付かず、生まれてくる前から存在していた日本人特有な世界観があることにも気付かず、だから育ってくる過程で自分がその歴史的に連続している世界観に多大に影響されていたことにも気が付かなかった。ところが、そもそも自分は日本語で世界を見、日本語で考えていることに気が付くようになってくる。そして自分はどこから来てどこに行くのかを考えるようになってくる。だから、自分はそもそも人間である前に、日本人ではないのかということに気が付くようになってくる。
ほとんどの日本人は20代は自分の将来の夢を見ており、30代は夢どころではなくて我武者羅に働きあるいは子育てをしている。そして40代になると迷いがなくなる。中身は同じ人間なのにその人の世界観がすっかり変わってくるのです。これを物理学の専門用語では相転移と言います。同じ水の分子からできているのに、低温では氷という固体相にあり、温度を上げると全く形態の違う水という液体相に転移し、さらに温度を上げると気体相に転移するのと同類な現象だからです。この各相に転移しても、あなたの身体があなたであるように、水の分子は前と同じで、変わってはいません。
私の印象では、日本人はだいたい40歳ぐらいで相転移を起こし、もう西洋は良い、日本はどうなんだと言うようになるようです。そして、その頃になると、日本の先人たちの創り上げて来た文化の深みを楽しめるようになり、自分が日本人に生まれて来たことの幸運に感謝をできるようになって来ているようです。世界の多くの人々から羨望の眼差しで見られている独特の誇らしい文化を創り出してくれた先人たちを持った日本人も、そしてそれによって欧米一辺倒でない深みのある多様性を手に入れた人類も幸運だと思います。
このことに関して、私のブログ、
と
も参考にしてください。
私もわかりません。安くて質のいいのが好きです
一口にブランドと言っても、高級ブランドとは限らないですよ。
ブランドはその世界観が確立されています。
メーカーの商品管理や接客、アフターサービスなどによる質の管理です。
質を上げるほど、コストもかかっていますので、高級ブランドになります。
ブランドによっては、商品自体の価格と質が釣り合っていないものもありますが、広告など商品以外にコストがかかっています。
高級ブランドになるほど、価値は商品だけではないのです。
店員の教育が行き渡っていて、接客レベルが高く、客の要求に的確に応えてくれる。安いブランドほど、自社の商品をろくに理解していない店員が店頭に立っている、問い合わせ窓口の電話応対が洗練されていない、経費節約のために什器や接客備品がアップデートされておらず傷んだまま、などなど質がそこまででもないです。
お金があったら高級ブランドのほうが良いに決まっています。
お金がなく高級ブランドに手が届かない(高級ブランドを知らない)人に対しては、単純に見せつける為の印籠のような効果もあり、同様に憧れる人も多いです。よく知っていれば、必要以上に憧れることはないかもしれません。知らない人が多いのは事実です。
デザイナーも一流、職人も一流、素材も一級ですから、そうでないものと比べたら見た目も使い心地も良く、信頼できないわけがないです。自分の目に相当な自信がない限りは、一流揃いの商品を選んでおけば、失敗する確率は低くな
一口にブランドと言っても、高級ブランドとは限らないですよ。
ブランドはその世界観が確立されています。
メーカーの商品管理や接客、アフターサービスなどによる質の管理です。
質を上げるほど、コストもかかっていますので、高級ブランドになります。
ブランドによっては、商品自体の価格と質が釣り合っていないものもありますが、広告など商品以外にコストがかかっています。
高級ブランドになるほど、価値は商品だけではないのです。
店員の教育が行き渡っていて、接客レベルが高く、客の要求に的確に応えてくれる。安いブランドほど、自社の商品をろくに理解していない店員が店頭に立っている、問い合わせ窓口の電話応対が洗練されていない、経費節約のために什器や接客備品がアップデートされておらず傷んだまま、などなど質がそこまででもないです。
お金があったら高級ブランドのほうが良いに決まっています。
お金がなく高級ブランドに手が届かない(高級ブランドを知らない)人に対しては、単純に見せつける為の印籠のような効果もあり、同様に憧れる人も多いです。よく知っていれば、必要以上に憧れることはないかもしれません。知らない人が多いのは事実です。
デザイナーも一流、職人も一流、素材も一級ですから、そうでないものと比べたら見た目も使い心地も良く、信頼できないわけがないです。自分の目に相当な自信がない限りは、一流揃いの商品を選んでおけば、失敗する確率は低くなります。素人の代わりに良いもの(ある程度の水準を満たしたもの)を用意してくれるのがブランドです。
家電を購入する時にも同様に私たちは目安にします。ノーブランドやどこのかよく知らないぽっと出のブランドの製品と、アップルやパナソニックのものではどっちが信頼できますか?品質管理が不安なブランドの製品では、使用中に発火しないか、万が一の場合補償してくれるのか?信頼できませんよね。有名ブランド家電でも中にはダメなものもありますが、確率としては低いので、総合的に「○○の製品だから間違いないだろう」という意見につながります。
中古になった時の値段のつき方でも各ブランドへの信頼度が反映されています。予算が足りないが中古でもいいので手に入れたい、と人に思わせるのです。
自分に自信があっても、服装で理解され方が変わります。
マナーが「一緒に過ごす人との時間を大切にする心遣い」であるのと同じように、服装も「一緒にいる人が気持ちよく過ごせるための気遣い」です。
ブランド名が見える服が好きな人もいますし、そういう人と一緒ならニーズにあってると思います。
ブランドのファッションは「デザイン性が一定以上のもの」です。材質や縫製も良いものが多い。だからブランドになる。質がいいから選ばれてるのであって、質が良くないなら選ぶ価値はない。
見る目がない人はブランドで保証されてることで選んでもおかしくありません。SONY信仰とか、アップル信者がいるようにね。外さないならそれでいいじゃん、程度のこだわり。
そこに別のもの「自意識」を持ち込む人もいるでしょうが、そんなには気にしてないと思いますよ。
えらく古い話ですが、子供の頃は「ブリヂストン」は海外ブランドだと思っていました。
ジーンズブランドの「EDOWIN」も。
靴の「リーガル」も学生の頃はなぜかずっとイギリスの会社だと思っていました。実際は120年もの歴史のある日本の会社で「リーガル」と言う商標だけ技術提携したアメリカの会社から借りていたそうです。(1990年に商標権も取得。)
ハム、加工肉メーカーのブランド「ローマイヤ」は大人になってもかなり長い間、輸入品だと思っていました。(ここのサラミが家族の大好物)
ブランド名(ネーミング)を考える立場にある人間ですが、今更ながら、ネーミングイメージの威力ってすごいなあと思います。
こんにちは ビール屋です。
ビール屋はTシャツ作りがちで、イベントやら何やらで買ったり貰ったりあげたりと、他社さんの(ビール)ブランドTシャツがたくさん手元にございます。寝巻きや作業着、お出かけに。着ますね。
宣伝上等、その会社の一員になったような気がして、個が消えておだやかな気分になります。もしかしたら偉くなったようにも感じているかもしれません。
自信が無いかどうかは分かりませんが、アイデンティティを他社に預けることは、自分へ向かう他者の興味を逸らし、個を没して自意識を薄めるのに役立ちます。個が溶けて薄まるのはなかなかに気持ちのいいものですよ。
日本製品が身の回りに多いからだと思います。
日本は工業大国なので国内の工業製品を国産のものにすることができます。なので国内には日本製のものが多くあります。
ですので、国産品は珍しくないためにブランドにならないのでは?
もちろん。高くて貴重なものになるとブランドになると思いますよ。
日本製品が身の回りに多いからだと思います。
日本は工業大国なので国内の工業製品を国産のものにすることができます。なので国内には日本製のものが多くあります。
ですので、国産品は珍しくないためにブランドにならないのでは?
もちろん。高くて貴重なものになるとブランドになると思いますよ。
なるほど。
確かに、そもそも「社会人」という呼称は「ブランド」だったのだ、という前提での整理は興味深いですね。
そして、その「社会人」のブランド価値が低下したのではないか?という仮説も妥当性が高いと思います。
経済産業省が2006に提言した「社会人基礎力」というキーワードがあります。
この提言から11年後に経済産業省なりにアップデートした「人生100年時代の社会人基礎力」という更新版キーワードもあります。
2006年に考えた時は👆こうだったんですって。
それを、10年経って👇こんな風に考え直したんだそうな。
ちょっと平明さに欠ける印象もあるんですが👇こういう理念なんだそうです。
要は「リスキリング」とかいう歯の浮くような名前の取り組みも、仕方ないから手掛けるけど、頼むから自分で自分のことを「リフレクション」して、自分の「アプリ」と「OS」を更新し続けてね、という話だそうです。
ということで、まぁ「社会人」って何よ?カイシャに勤めれば、それだけでイチニンマエ扱いしてくれるんじゃなかったの?その「イチニンマエ」のことを「社会人」って呼んでるんだと思ったら、何さ今更になって、おめーらDIYでアプデよろ、ってか?
っていう流れで「社会人」っていう「ブランド」の価値は毀損しちゃったのかもしれませんね。もしかすると。
なるほど。
確かに、そもそも「社会人」という呼称は「ブランド」だったのだ、という前提での整理は興味深いですね。
そして、その「社会人」のブランド価値が低下したのではないか?という仮説も妥当性が高いと思います。
経済産業省が2006に提言した「社会人基礎力」というキーワードがあります。
この提言から11年後に経済産業省なりにアップデートした「人生100年時代の社会人基礎力」という更新版キーワードもあります。
2006年に考えた時は👆こうだったんですって。
それを、10年経って👇こんな風に考え直したんだそうな。
ちょっと平明さに欠ける印象もあるんですが👇こういう理念なんだそうです。
要は「リスキリング」とかいう歯の浮くような名前の取り組みも、仕方ないから手掛けるけど、頼むから自分で自分のことを「リフレクション」して、自分の「アプリ」と「OS」を更新し続けてね、という話だそうです。
ということで、まぁ「社会人」って何よ?カイシャに勤めれば、それだけでイチニンマエ扱いしてくれるんじゃなかったの?その「イチニンマエ」のことを「社会人」って呼んでるんだと思ったら、何さ今更になって、おめーらDIYでアプデよろ、ってか?
っていう流れで「社会人」っていう「ブランド」の価値は毀損しちゃったのかもしれませんね。もしかすると。
的外れな回答かもしれませんが・・・。
ユニクロを展開している株式会社ファーストリテイリングの企業努力によるものではないかと考えます。
ユニクロは、「安く買える服」を「安くて上質。シンプルで誰もが着こなせる服」というブランディングに成功した企業だと言えます。
15年以上前は、ユニクロを着るのは恥ずかしいと思う人も一定数いたと思います。そのイメージを拭う為、ブランディングの強化やユーザーインサイトに注目し、シンプルなデザイン性以外にも、ヒートテックのような機能性も兼ね備えたラインナップを展開してきました。
さらに、ユニクロを使用した誰もが真似しやすいコーディネートがファッションメディアやSNSでも取り上げられるようになりました。このことより、お金を多く持たない若者にも広く浸透していったと考えます。
日本は経済的に豊かな国ではありますが、ブランドの服を一着買うのは結構な出費になると思います。
私個人の意見としては
(1)三波春夫
(2)欧州との距離
(3)技術開発部
もちろん根底は、丁寧でミスのない仕事。手先が器用に妥協のない製品チェックってのがあるのですが、丁寧で器用な国民性って別に日本だけでなく、アジアでいくつかの国はそういう特性があります。
なぜ、来日中国人が「日本製」と入っていない家電を間違えて買うと激高するくらい日本製に価値を置かれてしまったのか?
(1)お客様は神様です。ダンボールの角が潰れただけでもお売りできません。賞味期限スレスレの品なんて神様にお供えできません。すべてギフトラッピング並にってことで、「使えりゃいいよ」なんてのはメルカリとかフリマとか中古屋の小さいマーケットになってしまった。
(2)と(3)中東くらいの地理条件なら、暮らしの中にデザインがある人々(欧州人)に売るために、デザイン部などが発達した可能性はある。
ただ、幸か不幸か、極端にでかくてボリューム満点だけど大味で深みのない製品をつくる超大国と、ひたすら厚顔無恥にパクって、極端に雑な製品を安値で大量に送り込んできた超大国の間に挟まれていた。
自国民も含め、生きる上でデザインが必要なんて人らは少なかったし、マーケティングも、粗悪品大量販売とか、大量農産品とか、ソフトウェア会社の独占世界戦略とか、極端な奴らの間にいたので、ボタンを沢山つけて「技術の日本」とか「壊れない日本製」とか「なんちゃら搭載!性能の日本
私個人の意見としては
(1)三波春夫
(2)欧州との距離
(3)技術開発部
もちろん根底は、丁寧でミスのない仕事。手先が器用に妥協のない製品チェックってのがあるのですが、丁寧で器用な国民性って別に日本だけでなく、アジアでいくつかの国はそういう特性があります。
なぜ、来日中国人が「日本製」と入っていない家電を間違えて買うと激高するくらい日本製に価値を置かれてしまったのか?
(1)お客様は神様です。ダンボールの角が潰れただけでもお売りできません。賞味期限スレスレの品なんて神様にお供えできません。すべてギフトラッピング並にってことで、「使えりゃいいよ」なんてのはメルカリとかフリマとか中古屋の小さいマーケットになってしまった。
(2)と(3)中東くらいの地理条件なら、暮らしの中にデザインがある人々(欧州人)に売るために、デザイン部などが発達した可能性はある。
ただ、幸か不幸か、極端にでかくてボリューム満点だけど大味で深みのない製品をつくる超大国と、ひたすら厚顔無恥にパクって、極端に雑な製品を安値で大量に送り込んできた超大国の間に挟まれていた。
自国民も含め、生きる上でデザインが必要なんて人らは少なかったし、マーケティングも、粗悪品大量販売とか、大量農産品とか、ソフトウェア会社の独占世界戦略とか、極端な奴らの間にいたので、ボタンを沢山つけて「技術の日本」とか「壊れない日本製」とか「なんちゃら搭載!性能の日本」とか、そんな感じになったのかもしれませんね。
しかし欧州の農産品の基準のほうが厳しかったりするし、日本の基準ってぬるい事も多いですけど、品質のイメージで成功したのでしょうね?
それもこれも妥協知らずに文句は一丁前のモンスターお客様のおかげで、型崩れとか、型番落ちとか、訳ありとか、正規値段で出せない市場だから、勝手に品質が高いと思うのかもですね。
まあ個人感想です。
気のせいです。
マクドナルドが日本上陸したのが1971年、その時20歳だった人は今70歳近いです。(ケンタッキーフライドチキンやミスタードーナツもステーキのあさくまも同時期です)
そのへんよりも年上の人、飯は和食、ハンバーガーなんか食えるか、食った気がしない、っていう方は街なかから姿を消しつつあると思います。
20歳のときにバーガーやチキンやドーナツを喜んで食べていた人も、加齢で脂っこいものを受け付けなくなり和食党が増えるのは否定しませんが。
私の父はこの辺よりもう少し年上、和食大好き、パンは食べた気がしない、というあたりです。第二次大戦中に子供だった昭和二桁先頭です。もうあの世に行きましたけどね。
私が子供の頃、そばうどん屋や寿司屋には連れて行ってくれても、ハンバーガー屋やステーキ屋にはなかなか連れて行ってもらえず、恨めしく思ったものです。
ハイブランド=いいもの、と思考停止するのではなく、健全な批判的精神から生まれる質問だと思ったので回答したくなりますね。
これは自分の中では一択なんですが、ブランド名のタイポがデザインの主体になってる服です。
こういうのです。
服のデザイン以前に、ただのブランド名じゃんとなります。
三次元による表現方法が服だと思うんですが、これは二次元のデザインですよね。PCやスマホで見る画像と変わりません。
いくらハイブランドで素材がいいものでも、ブランド名ドン!という服は個人的に避けてます。
ハイブランド=いいもの、と思考停止するのではなく、健全な批判的精神から生まれる質問だと思ったので回答したくなりますね。
これは自分の中では一択なんですが、ブランド名のタイポがデザインの主体になってる服です。
こういうのです。
服のデザイン以前に、ただのブランド名じゃんとなります。
三次元による表現方法が服だと思うんですが、これは二次元のデザインですよね。PCやスマホで見る画像と変わりません。
いくらハイブランドで素材がいいものでも、ブランド名ドン!という服は個人的に避けてます。
慣れの問題だと思います。自分の顔写真って最初はなんか直視できなくないですか? なんとなく欠点の方に目が行きますよね。
モデルもこれと同じです。最初日本人のモデルを使うとなんとなく日常のスナップ写真みたいで生々しさがあったと思うんですよ。だから最初はハーフや外国人のタレントを使ってました。
ですが普段から鏡を見ている女性の雑誌は早くから日本人化が進みました。
男性ファッション雑誌だとMen's Non-noは2000年代は外国人を使ってました。ですが、SNSが普及して自撮りが一般化した頃からだんだん日本人を使うようになって行きます。現在のモデルはほとんどが日本人です。中から俳優も出てくるようになりました。
一方でおそらく自撮りに慣れていない世代が読む雑誌(SAFARIとLEON)は未だに外国人を使ってますよね。あの辺りが一番遅れているんじゃないでしょうか。
リクエストありがとうございます。
改めて「ブランド」という言葉について調べてみました。
語源は昔々、家畜などを他の人の物と区別するために行った焼き印 (Burned) から来ているとのことです。
つまり、自分は他のものでもなく「これ」を買っているというのが分かる為に「ブランド」というのがあるのかなと考えました。
それを質問に置き換えると、ブランドとは信頼という言葉に近いと私も思います。
ブランドと聞くと高級ブランドを思い浮かべる人もいますが、例えばUNIQLOもブランドですし、ドンキホーテで売っているパーカーにもブランドがあります。
「それってどこの服?」
「これ?いや、ノーブランドだよ」
なんて言っても、よーく見るとブランドがあったりします。
なので結局みんな何かしらのブランドを選ばなくてはいけない状況にあるわけです。
ですがいちいち何のブランドかも見ずに買っている方からすると、「いや私はブランドを見て買っていないのでブランドにこだわりはない」という事になりますが、
ここで質問の中に「信頼できる店で」とありました。
それは洋服のブランドではなく「お店」をブランドとして買っているという事になるかと思いますので、結局のところ何かの安心を信頼として選んでいる、という事に変わりはないのかと思います。
余談ですがブランド好きな方で「ロゴ」があるものが好きな方がいますが、「自尊心がない人ほどロゴが大きな服を選ぶ」とい
リクエストありがとうございます。
改めて「ブランド」という言葉について調べてみました。
語源は昔々、家畜などを他の人の物と区別するために行った焼き印 (Burned) から来ているとのことです。
つまり、自分は他のものでもなく「これ」を買っているというのが分かる為に「ブランド」というのがあるのかなと考えました。
それを質問に置き換えると、ブランドとは信頼という言葉に近いと私も思います。
ブランドと聞くと高級ブランドを思い浮かべる人もいますが、例えばUNIQLOもブランドですし、ドンキホーテで売っているパーカーにもブランドがあります。
「それってどこの服?」
「これ?いや、ノーブランドだよ」
なんて言っても、よーく見るとブランドがあったりします。
なので結局みんな何かしらのブランドを選ばなくてはいけない状況にあるわけです。
ですがいちいち何のブランドかも見ずに買っている方からすると、「いや私はブランドを見て買っていないのでブランドにこだわりはない」という事になりますが、
ここで質問の中に「信頼できる店で」とありました。
それは洋服のブランドではなく「お店」をブランドとして買っているという事になるかと思いますので、結局のところ何かの安心を信頼として選んでいる、という事に変わりはないのかと思います。
余談ですがブランド好きな方で「ロゴ」があるものが好きな方がいますが、「自尊心がない人ほどロゴが大きな服を選ぶ」という事が論文に出ていたりもします。
焼き印の跡も人それぞれという事なのかもしれません。
善悪の基準がかんたんに揺らいでしまうのと、他人のために行う善は結局は自己を満足させるためのもので、なかなか誠意が伝わらないからではないでしょうか?スタートは純粋な人助けの気持ちで始めた活動が途中から実績を伴うことが困難になっていき、結果として偽善的になることはよくある話だと思います。
ブランドというより、保証書みたいなもので物に対する知識と選択眼が無いために、求めるものの品質保証としてのブランドという意味合いと、皆が持っているから。という横並び意識がブランドを求める理由なのでしょう。
いつの間にか、日本人はLVの低価格帯の物なら買えるくらいの経済力を持ちました。今、そこのレベルに到達しているのがインド辺りの中間層ですので、インド人バイヤーが日本の家庭に寝ている過去の資産。ブランド品の中古を仕入れに来ています。
ヨーロッパの有名高級ブランドに限らず、日常の様々な物もブランド化という見えない波に否応なく対応せざるを得なくなっています。
食品でも、〇✖の鯖。とか、△□の牛肉。というように、味覚という主観的な評価ですら、ブランド化した品物に頼っています。
また、他者の批判や疑問を封じ込めるのも、〇✖のお肉だから。という呪文は有効性を発揮します。〇✖という事に、何も根拠は無いにも関わらず、それだけで信用していますから、流通サイドとしては大変便利なものになっています。
消費者はこの様な環境に置かれていますから、ノーブランドでお手頃なPBとしてスタートした無印良品すら、ブランドと化してしまう。というおかしな現象が起きてしまいます。
一億総ムックマガジン読者化した結果、物を見る目を失わせ、ブランドへの妄信という状態になっているのではないでしょうか?

日本人の場合は、ハッキリしてると思います。
「いいモノ云々」「クオリティ云々」よりもまずは、
『他人を見下すためのアイテム』かと・・
よく言えば、
『自分がブランド品を所有するカテゴリーに属することを誇示するため』
のモノです。