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(注:ロシア政府プロパガンダ部局のボランティア工作員の回答が続きます。ご注意ください。)

2021年8月24日のウクライナ独立30周年記念日の前日です。この時点まではロシア侵攻の回避は可能でした。

以前にも述べましたが2014年に東部のドンブス州出身のヤヌコーヴィチ大統領が就任後にEUとの関税同盟の実施協定を撤廃しようとしたら首都のキエフを中心にEuromaidenのデモが起こって、デモ隊と警官が衝突。多数の死者が出る中で、大統領派の南部と東部の地域の議員の行動が暴力で締め出され、反大統領派の西部・北部側の地域の議員が議会で憲法に明記される手続きをふまずに罷免を宣言。西側ではこれを自由を求めるウクライナ人民による「尊厳の革命」なんて言っていますが、民主選挙で正式に選出された大統領を憲法に明記されている条文を明らかに違反して追い出したので、実際は西部・北部の連中が民主デモにかこつけて起こしたクーデターですね。

で、それで、ブチ切れたのが追い出された大統領の支持基盤のクレミア州と東部のドンブス州とルガンスク州が独立を宣言。ロシアは最近まではロシア領だったクレミアを住民投票の後で併合。しかし、ドンブスとルガンスクの独立承認は行わず非公式に武器や人員の援助をするに留めます。これがドンブス紛争の始まりです。

で、ユーロマイダンは細かく言うと第二次世界大戦でソ連からウクライナの独立を目指してナチス・ドイツと共闘してナチスの虐殺にも加担した文化的にもポーランドに近い民族主義派の連中と、首都キエフを中心にして西ヨーロッパとの融和を目指す都市部のリベラル派の連中の連合です。ウクライナ民族主義=ナチスは歴史を見ればまさにその通りなんです。西側ではあまり報道されていませんがマイダンのデモには下のような民族主義派もいっぱいいたわけです。最初のマイダンの写真もよく見ると黒と赤の旗がチラホラあるでしょう。あれって第二次世界大戦でナチスと共闘したウクライナ民族主義者の旗で、ユーロメイデンの右を担うという意味で結成された右派セクターの連中です。政府のデモ鎮圧隊と闘争したのもこの連中の戦闘隊でクーデター後にはウクライナの正規軍に編入されます。で、この連中が率いる部隊が後に南部や東部で起こる反乱独立運動の鎮圧切り込み部隊として大活躍します。ロシアがクーデター後のウクライナの政権をナチス、独立運動の鎮圧をジェノサイドと呼んでウクライナのキエフ政権の正当性を承認しない理由はこれです。

で、クーデター後の大統領選挙では、クレミアと東部が参加していないので、西部・中北部に支えられたポロシェンコ氏が勝利。この大統領は"軍隊・言語・信仰"の3スローガンの元にウクライナの国軍の強化とウクライナ語の国語化とウクライナ正教会のロシア正教会からの分離を実施するなど、ウクライナ民族主義を全面に出していました。それに、非共産化の名の下にソ連時代からあるレーニンの銅像や第二次世界大戦の人民闘争を称える記念碑などを各地で破壊。

で、ロシアは対抗して南部と東部のロシア系の住民の反乱・独立運動を煽ってウクライナ政府をなし崩し的に瓦解させようと武器や人員の支援をしますが、南部の住民はロシアの予想に反して介入になびかなかった。これは南部のロシア系の連中はウクライナ民族主義の連中はうっとおしいがEU編入には憧れも混じって賛成で、わざわざロシアに併合されてモスクワの専制政府の支配下にまでなりたいとまでは思っていないというのが一つ。もう一つはウクライナみたいな極貧国の地方ではヨーロッパ先進国みたいな市民意識はなく、現実には地元の親分連中が政治を牛耳っていて、この地元の親分連中がモスクワの支配下に入るのを良しとしなかった。そして最後に前述しましたが少数派ながら暴力を辞さない国粋・民族主義派の連中が強力な脅しとして機能したからです。

2014 Odessa clashes - Wikipedia

Ukraine's National Militia: 'We're not neo-Nazis, we just want to make our country better'

Commentary: Ukraine’s neo-Nazi problem

どちらにしても、さすがに民族派のポリシェンコ政権では自由とヨーロッパ化を求める市民の革命というイメージとは程遠いので、西側として全面的にサポートできない。ロシアはウクライナの政府をナチス•クーデター政権として正式に承認しない。東部ウクライナでも反乱が収まらないという中で、ドイツ・フランス・ロシア・ベラルーシがケツ持ちでウクライナ大統領と反乱軍指導者を引き合わせて手打ちにしようとしたのがミンスク協定です。

で、ミンスク協定を要略すると(1)両陣営の戦闘行為の停止(2)東部州の国政選挙への再参入(3)憲法にウクライナの連邦制を明記するの三本立てだったわけです。

で、当然、東部で戦争が終わらないと選挙は出来ません。ロシア側は東部州の住民が国政選挙に参加できない限り、キエフの政権の正当性を認めないと宣言。ただし、これは裏を返せば東部州がウクライナの一部であることをまだ認めているということですね。

で、最後が連邦制ですが、ウクライナはソ連の都合でロシア帝国の領土を組み合わせたツギハギの国です。これまでの大統領選挙でも北部が勝てばEUとの関税協定を結び、次の選挙で南部が勝てばその協定を破棄する、それが気に入らないと北部がクーデターを起こし、それに反発する東部の州が独立を宣言するなど中央集権では民主主義として機能していないわけですよ。そうなると国政を連邦制に移行する以外にありえないわけです。

で、MinskII協定では連邦制だけでなく東部の州は特別自治州として半独立国の地位を獲得すると書いてあるんですね。この内容ですとこれらの州は勝手にロシアと自由貿易協定を結んだり、ロシア軍を駐屯させることも可能かもしれないわけですよ。逆にウクライナがEUやNATOに参加するには全州と特にこの自治州の合意が無いと出来ないってことですね。ですので事実上これはウクライナの軍事的中立を保証するものです。見方によればこれはウクライナの主権国家としての立場を無視しているのはたしかですが、手打ちの落とし所はこれ以外に無いということでドイツとフランスとロシアのお墨付きでウクライナ政府も2015年に合意に達しているわけです。問題が解決する道のりはちゃんと存在したわけです。

でもこの協定は全然実施されなかったんですね。まず、ロシア側は東部州の独立派の武力的援助を止めなかったしウクライナ国軍も東部での内乱鎮圧の手を緩めなかった。で、憲法改正においてはウクライナのキエフ政権も支持基盤から連邦制移行の合意を得られなかった。2015年8月にポロシェンコ大統領が憲法改正の草稿を議会に提出するとキエフで右派を中心に大暴動が起こって警官四人が死亡しています。つまりMinsk協定の実施には「卵と鶏のどっちが先」の問題が起こったわけです。独立派とロシア側としては鎮圧軍の撤退と国政の連邦化が先で、ウクライナ中央政府側としては武装解除が先というわけです。でも、連邦制になれば事実上、ウクライナは一つの国家として機能しなくなるだけでなく東部州のくびきでロシアの衛星国家になる。でも武装解除すれば連邦制移行の約束が反故されるのは明らか。「Mexican Standoff」なわけです。

で、この硬直状態の時に、2019年の大統領選挙で彗星のごとく登場したのがゼレンスキー大統領です。ユダヤ人で南部出身のロシア語系。しかも名門大学出のエリート。キエフで俳優・プロデューサーとして活躍。つまりキエフの都会人口のリベラル派なわけです。下の画像は彼がプロデュースして主演を演じた番組ですね。偶然、ウクライナの大統領になってしまった高校教師の話でタイトルは「公共の僕」。政治とは全く関係ないがテレビで国民的人気のあった彼が、大統領選に参加を表明した時は本気とは思われなかった。しかしオリガルヒ所有の既存のテレビ局や新聞のインタビューには出ずにSNSをメインに選挙キャンペーンを展開。あれよあれよの間に候補者中で人気一位になってテレビのすじをなぞるように大統領選に勝利。彼の率いる政党の名前は公僕党(Слуга народу)。下の番組の原題をそのまま使っています。

彼はロシア語制限には声高く反対する一方で、ウクライナ国軍に多額の寄付をするなど、キエフを中心とする都市部のリベラル連中や、EU加入に心が惹かれるロシア系からも支持を獲得。ウクライナ大衆の大多数が賛成するEU加入の神輿を担ぐにはベストの候補者ということですね。実際に大統領選ではウクライナ最西部以外で全勝しています。

外国の西側陣営でもロシア系の南部出身者、しかもナチスと程遠いユダヤ人が民族主義派を抑えてウクライナの大統領に選出されるなんて考えてもいなかったと思います。これで東部紛争解決の機運と期待が国内外で高まります。で、実際に東部の紛争の解決を公約としていたゼレンスキー大統領は憲法改正案を提出するんですが、これは地方分権案ぐらいのもので、以前に約束されていた連邦制や東部州の半独立化には程遠いものでした。でも、少しでもミンスク協定に歩み寄ろうというスタンスはあるわけですよ。それにタレントさんですからテレビ映えは抜群に良いわけです。

ところが、アメリカでトランプ大統領が敗北してバイデン政権が発足すると状況が急展開します。2021年頃のゼレンスキー大統領についていくつか引用してみますが

バイデン政権の就任祭典に合わせて行ったインタビューでゼレンスキー大統領は “Mr. President, why are we still not in NATO?”とバイデン大統領にメッセージ。

Zelenskyy’s Axios interview raises questions in Ukraine

“ ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、英紙「デイリー・テレグラフ」のインタビューで、安全保障のためにはウクライナの北大西洋条約機構(NATO)への加盟が必須であると明らかにした。”[*]

「ウクライナは、ロシアに厳しい立場を取るバイデン米政権の支援を期待して強気に出ているとみられる。ロシアは反発し、対決姿勢を強めている。」

「19年に就任したゼレンスキー氏は東部紛争の解決を優先してきたが、ウクライナとロシアにフランスとドイツを交えた4カ国の和平協議は停滞。状況に不満を抱いていたゼレンスキー氏は、米国など、より多くの国を巻き込みクリミア奪還を目指す戦略にシフトした。」

「ゼレンスキー氏はロシアに圧力をかけるための新たな国際枠組み「クリミア・プラットフォーム」を提唱。8月23日に首都キエフで首脳会議を計画し、バイデン米大統領も招待した。ゼレンスキー氏は今月16日、ツイッターに「ウクライナは(クリミアの)脱占領・再統合に向けた戦略を準備した」と書き込んだ。「クリミア・プラットフォームで世界を結束させる」と表明している。」

クリミアめぐり緊迫 ウクライナ、奪還へ強気

東部州の平定だけでなくロシアが直接支配するクリミアを奪還するとまでTwitterで宣言。ロシアの安全保障からすれば許されないNATO加入の意向を明言。しかも、決定的なのはウクライナはロシアのクリミア併合後にソ連時代から続くウクライナの軍需産業を基にアメリカの資金と技術移転でモスクワに届く射程距離500キロのミサイルの開発・整備に着手したんですね。でトドメが2019年のアメリカによる短中距離核弾道ミサイル禁止条約の一方的な破棄です。

Ukraine Expands Its Missile Capabilities - Jamestown

Why Intermediate-Range Missiles Are a Focal Point in the Ukraine Crisis - War on the Rocks

中距離核戦力全廃条約 - Wikipedia
中距離核戦力全廃条約 (ちゅうきょりかくせんりょくぜんぱいじょうやく、Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty)は、 アメリカ合衆国 と ソビエト連邦 との間に結ばれた軍縮条約の一つで、中距離核戦力( I ntermediate-range N uclear F orces、 INF )として定義された中射程の 弾道ミサイル 、 巡航ミサイル を全て廃棄することを目的としている。 日本語 では中距離核戦力全廃条約と訳されているが、条約の正式名称は「中射程、及び短射程ミサイルを廃棄するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の間の条約」(The Treaty Between the United States of America and the Union of Soviet Socialist Republics on the Elimination of Their Intermediate-Range and Shorter-Range Missiles)であることから条約名の邦訳を「 中距離ミサイル全廃条約 」とする文章もある。短縮された呼び方としてはINF全廃条約、INF条約などが用いられる。 アメリカは 2019年 2月1日 に本条約の破棄をソ連の後継である ロシア連邦 に通告したことを明らかにしており、これを受けてロシア連邦も条約義務履行の停止を宣言した。破棄通告から6か月後の8月2日に失効した。 1988年6月1日、 クレムリン で行われた中距離核戦力全廃条約発効に関する議定書調印時の写真。レーガンとゴルバチョフ 中距離核戦力全廃条約は 1987年 12月8日 に当時の アメリカ合衆国大統領 ロナルド・レーガン と ソビエト連邦共産党書記長 ミハイル・ゴルバチョフ によって ワシントンD.C. において調印された。条約は 1988年 5月27日 に アメリカ合衆国上院 により批准されて、その年の 6月1日 に発効した。 この条約では射程が500 km (300 マイル )から5,500 km (3,400 マイル )までの範囲の 核弾頭 、及び通常弾頭を搭載した地上発射型の弾道ミサイルと巡航ミサイルの廃棄を求めている。条約が定める期限である 1991年 6月1日 までに合計で2,692基の兵器が破壊された。内訳はアメリカ合衆国が846基、ソビエト連邦が1,846基である。またこの条約の下では両方の国家は、互いの軍隊の装備を査察することを許された。 本条約はソビエト連邦が崩壊した後はロシア連邦に引き継がれた。アメリカは2019年2月1日、ロシア連邦に対し条約破棄を通告し、これを受けてロシア連邦も条約義務履行の停止を宣言した。半年後に失効。 協定は、 1975年 にソビエト連邦が SS-20ミサイル を 東ヨーロッパ に配備したことと、そのことによる米国の反応によって刺激された。SS-20は既存の SS-4 とSS-5ミサイルを更新した。SS-20ミサイルはそれまで配備されていた ミサイル に比べてより長い射程、より高い命中精度、高い機動性、および大威力を持っており、このミサイルの配備による 西ヨーロッパ の 安全保障 状況の変化は容易に理解された。議論の後に NATO は二つの部分的な戦略に同意した。第一にソビエト連邦とアメリカ合衆国のINF軍備を減らすための軍備制限協議をソビエト連邦に求めること、第二に 1983年 から最大464基までの地上発射型の巡航ミサイル(GLCM)および108基の パーシングII 弾道ミサイルを ヨーロッパ に配備することである。軍備制限を求めつつ軍備増強を行うこの戦略はいわゆる「 二重決定 」として知られている。 アメリカ合衆国の兵器のヨーロッパ配備への不満にもかかわらず、ソビエト連邦は協議を開くために合意し、予備的な議論は 1980年 に ジュネーヴ で始まった。正式な話し合いは 1981年 9月 にアメリカ合衆国からの「0-0提案」(zero-zero offer)、またはゼロ・オプションと呼ばれる提案、すなわち全てのパーシングII、GLCM、SS-20、SS-4、およびSS-5ミサイルの完全な撤去を求める提案から始まった。 イギリス および フランス の中距離核戦力を協議から除外することについての意見の相違から話し合いは 1983年 11月 にソビエト連邦の代表団により中断された。配備先の各国の公式な抗議にもかかわらず、アメリカ合衆国は 1984年 から、 西ドイツ (当時)、 イタリア 、およびイギリスにINFシステムを配備しはじめた。 1985年3月にアメリカ合衆国とソビエト連邦の間の協議が再開された。協議ではINF問題だけではなく戦略兵器の制限( START I )と SDI をはじめとする宇宙問題(NST)での別個の議論も扱われた。 1985年 の遅くには両国はヨーロッパと アジア におけるINFシステムの制限を協議していた。 1986年 1月15日 に、ゴルバチョフは 2000年 までにヨーロッパに配備されたINFミサイルを含むすべての核兵器を禁止するソビエト連邦の提案を発表した。この提案は米国により退けられ、 1989年 までにヨーロッパとアジアのINFランチャーを段階的に縮小する逆提案が行われた。これらの提案にはイギリスおよびフランスの核戦力の制限は含まれていなかった。 1986年 の 8月 から 9月 の間の一連の会議は、 1986年 10月11日 に アイスランド の レイキャビク で行われたレーガンとゴルバチョフの間のサミットにおいて最高点に達した。両者はINFシステムのヨーロッパからの撤去、およびINFミサイル弾頭数を100基に制限することの二点について原則として合意し、両者のアドバイザーに巨大な驚きを与えた。ゴルバチョフはまた戦略的関係をより深く、かつ根本的な変化をさせることも提案した。 より詳細な協議は、西ドイツに配備されたパーシングIAシステムを一方的に廃棄する当時の 西ドイツ首相 ヘルムート・コール の8月の決定を助けるために 1987年 にわたって延長された。条約条文は最終的に 1987年 9月に合意された。 米ソ両国は条約を履行し配備していたミサイルを退役させ、撤去した。撤去されたミサイルは解体、ないしは破壊されたが、15基に限り博物館への展示を目的に使用不能の状態で保有することが許された。この合意により退役したミサイルの一部は博物館に寄贈された。ワシントンD.C.の スミソニアン博物館 と モスクワ の航空博物館には米ソ双方の政府から退役したミサイルが寄贈され、両国の博物館ではパーシングIIとSS-20が並んで展示されている。 本条約は1991年に ソビエト連邦が崩壊 した後はロシア連邦に引き継がれた。 2010年代 、ロシアは 巡航ミサイル の開発を進めたが、アメリカはこれが条約違反に当たると指摘 [ 1 ] 。 2014年 の アメリカ連邦議会 向けの報告書では、ロシアが条約違反をしていることが記載された [ 2 ] 。このように条約違反を巡ってたびたび米ロ

で、このクリミア・プラットフォーム が正式に発足したのが一番最初に述べたウクライナ独立三十周記念日の前日の2021年8月23日。下の写真ですね。この国を挙げての独立の祝祭の一環としてNATO全メンバーを含める西側陣営46ヵ国と一緒にクリミア奪還の意向を正式表明。ちなみに日本も参加国の一つです。ミンスク協定IIを破棄しドンバス再平定の意図を実質宣言したこの日にロシア侵攻がほぼ不可逆になったと思います。23日ですからロシアの軍事侵攻のちょうど6カ月前ですね。

当然、ゼレンスキー大統領もロシアからなんらかの反応があることは予想していたはずです。ただし、彼は問題の本質を国内の民族問題と認識していたと思います。で、これまでのロシアの介入はグルジアにしてもモロドバにしてもロシア系住民の独立運動の保護に限定されていました。で、ウクライナではその独立運動が最東の州のしかもその州の半分も満たない地域だけの話。でも国内に反乱地区があったり、隣国と国境問題があるとEUとNATOの加入規定を満たせないので西側との融合が先に進まない訳ですよ。それに彼は選挙公約で東部紛争解決を公約に掲げていたので、その問題解決に進歩が見られないと進退問題になるわけです。

ですが彼、本人もロシア語が母語だし出身も南部。なんと大統領に就任時はウクライナ語はうまく話せなかったんですね。で、彼がタレントとして活躍するキエフ中心の北部とロシア系多数の南部の両方からの支持も受けて民族派を制して大統領に当選しています。言ってしまえば東部州の独立運動の大義名分を本人の存在で否定しているわけです。たとえロシアが兵や武器を独立運動に援助しても、自分のカリスマとアメリカのバイデン政権の後ろ盾があればロシアの介入を封じ込んでミンスク協定なしに東部問題を解決できると判断したと思います。

で、東部問題解決後は暫定的に西側に近づいてEUとNATOにゴールインすればアガリなわけです。クリミアの問題は残りますが、トルコによる占領地区が残るキプロスもEU加入を特例で認められていまし、キプロス北部を不法占拠するトルコはNATOの一員。それにもちろんMinsk協定のケツ持ちのフランスとドイツとロシアを無視するなんてアメリカのバイデン政権のケツ持ちがなければあり得ません。NATOの全メンバーを含める西側陣営の46ヵ国を参加させたのがゼレンスキー大統領なわけはありません。当然、バイデン政権のお膳立てです。

で、そんな余裕をこいていたら、ロシアの国軍が2021年10月にウクライナの国境に集結しだしたわけです。東欧の一国のしかもその国内の端角ほどの小地域の揉め事でロシア国軍の全面侵攻というこれまで考えれ得なかった可能性の具現は世界を驚愕させます。プーチンのブラフだとの予想は侵攻直前まで続きます。でも、実際の武器や補給の移動は2021年の3月に始まったようです。ゼレンスキー大統領がクレミア・プラットフォームをTwitterでぶち上げたのも3月16日ですね。

で、ロシアにとっての問題はウクライナの一地域の民族問題ではなくロシアの安全保障、つまりウクライナのNATO参入なわけです。それにウクライナ社会には無視できない割合で暴力を辞さない反ロシアの民族主義者がいて実際に民族派が何度も大統領選で勝利している。それにウクライナはソ連から独立するに際してソ連の核兵器を破棄していますがその際にロシアと交わした覚え書きでロシアはウクライナの独立を保障するとあります。逆に解釈すればロシアがウクライナの独立を脅かすなら、覚え書きの核兵器廃止は反故ということですのでウクライナの核装備もありえるわけです。ですのでロシアにとってはウクライナ問題は地方の民族問題でなくキューバ危機なわけです。ロシアの真横でモスクワに直接ミサイル攻撃できるNATOの核国家の出現。ゼレンスキー大統領はリベラルでユダヤ人でロシア語系でありウクライナ全体を一国としてまとめ上げる事が出来るかもしれない理想の大統領だからこそ最悪なわけです。ウクライナ民族派にとって彼は西側向けに体裁の良い看板で、言ってみれば民族派の隠れ蓑みたいなものです。十年、二十年後に手遅れになる前にキエフの「ナチス」政権そのものを粉砕してウクライナを「解体」しないと問題は解決しないと判断したと思います。

緊張が高まる中でゼレンスキー大統領はロシアとの対話を求めますがロシア側はこれを無視。ケツ持ちのアメリカに向けてだけ直接に要求を掲示します。で、ここでバイデン政権が返答を遅らせてウクライナのNATO加入とミサイル配置に関しては譲歩を匂わせればプーチンも少しは踏みとどまったかもしれません。キューバ危機でもソ連がキューバからミサイルを引き下げ、アメリカもトルコからミサイルを引き下げることで平和解決しています。でもバイデン大統領はロシア側の要求を即答で一蹴して、さらにご丁寧に米軍による直接の軍事介入はしないと公言。つまりこれはバイデンのプーチンに対する完全なGoサインですね。

で、この期間のゼレンスキー大統領の西側のメディアに対する対応は立派ですが、Twitterとテレビで人権と自由を叫んで西側の軍事介入を要請するなんてもう頼る手がない証拠です。寝返った先のアメリカに見捨てられたんですからミンスク協定を反故にされたフランスとドイツなんて助ける気はさらさらありません。四面楚歌とはまさにこのことです。

フランスもドイツも表面上は非難声明を出していますが、あれはあくまでスタンスです。侵攻前にフランス大統領がロシア大統領と面会できたのもMinsk協定でフランスとロシアは合意に達していたからです。ドイツが「制裁」としてNordStreamのガス・パイプラインの承認を取りやめましたが、あれってウクライナを迂回するために作ったバイプラインですからロシアがウクライナを征服しちゃったら最初からいりません。国際銀行間支払いシステムのSwiftからのロシアを追放するのにドイツが反対しているのも当然です。本気で制裁するなら今使ってるパイプを閉めればいいんですよ。でも国内の原子力発電を廃止して脱石炭を国策としているドイツにガスの7割を供給するロシアと事を構えるなんて何の得もありません。

で、プーチン大統領は再三これまで「なぜアメリカはロシアを軽んじロシアの安全保障に関する懸念を無視するのか」と言い続けていましたが、ロシアを含まないフォーラムで「打倒ロシア」を掲げて問題を解決しようとするバイデン政権の行動はまさにそのお手本ですね。バイデン大統領の息子がウクライナで怪しいコンサル活動で何億円も稼いていることを考えると、もともとバイデン政権はウクライナのキエフ政権の連中とねんごろで、この界隈の連中の都合の良い言い分を鵜呑みにしてロシア側の視点とか言い分を全く理解していなかったと思います。

それにテレビ番組で大統領を演じるセレブに熱狂してそのご本人に国の運命を任せたウクライナも悲劇ですね。純粋に人気だけで当選した選挙基盤のない方ですから政策が大衆迎合なんですよ。だから無理筋の東部紛争解決を選挙公約して、でも民族派からの反発が予想される連邦化には踏み込めず、かと言って何もしないわけにはいかない。で、これまでトランプ政権には肩透かしをくらっていたのに、都合の良いタイミングでバイデン政権が成立したので、ミンスク協定を捨てて、ロシアとも民族派とも妥協する必要のないイージーなクリミア•プラットフォームに飛び乗ったわけです。地獄の道は善意なんたらみたいな感じです

これからウクライナ西部とキエフの住民の多くはロシアの「非ナチス化」の粛正が始まる前に西側に亡命するでしょう。南部のロシア系がロシア占領軍の抵抗戦にどれだけの割合で参加するかは微妙ですね。ナチスとかリベラルなんて連中は国民のごく一部です。大多数は国家主権とかとは関係ない生活をしています。ウクライナの一人あたりのGDPは4000ドル以下で、タイとかフィリピンとかベトナム辺りのレベルです。日本ですと、白人で特に美人がテレビにでると進歩とか自由を想像しますが、これはウクライナの大多数の国民の現実を反映していません。ロシアがウクライナを制圧するにおいては地元の親分連中を締めれば抵抗運動なんて簡単に収束するかもしれません。(あ、これは希望的観測だから多分はずれます)

スイスやフィンランドのように軍事的中立を維持し、連邦化を実施して民族主義を破棄していれば将来的にはEU加入はあったかもしれません。ゼレンスキー大統領は代わりにウクライナ全国民のビザなしEU亡命の権利をゲットしたので、国民の願望の一部を達成したことになります。

ハイタッチですね。

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