数年前に実際に実験し、私のブログで紹介したものをシェアさせていただきます。(ちなみにこの実験自体は私のオリジナルということではなく、すでに色々な言語学者がやられていますが、私は自分でやらないと気がすまない性格というだけですw)
左:国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
右:The train came out of the long tunnel into the snow country.
左は私が描いた絵です。これを完全に隠した状態で、右を英語ネイティブに書いてもらいました。この際は11人のネイティブに試しましたが全員ほぼ同じような絵を描きました。
顕著な違いは、左(日本語)は明らかに電車の中からの視点で、右(英語)は電車の外からの視点ですね。
11人が描いた絵の中で絵が比較的上手なものを選びましたが、これは実は私の夫(イギリス人)です。この実験で私が一番驚いたのは、トンネルの向きが私の絵と全く同じであることです。長年一緒に住んでいると視点が似てくるのか?についても実験したくなりました(笑)
ただこれは、あくまでもエドワード・ジョージ・サイデンステッカーさんの英訳(一番有名)を基にした絵なので、日本語をうまく英語認知用にすり替えているとは思います。主語を“I”にするオプションもあったはずですが、サイデンステッカーさんは、The train の方が英語ネイティブは認知しやすいと考えたのだと思いますし、ご自身もこの原文を自然にそのように認知したのだと思います。
ここからは蛇足です。。。
では、「日本語を理解できる英語ネイティブはどう認知するのか」を知りたくなり、英語が母語だが、日本語も理解できる私の3人のこども(実験当時17歳、16歳、14歳)に、この日本語の原文を読んだものを絵に描いてもらった結果が大変興味深いものでした。その実験結果は後に私の英語指導理論構築に大きなヒントを与えてくれました。
①長女17歳(英語が母語、日本語はほぼ日本人並み、9歳まで日本に居住):上図左の絵とほぼ同じ(視点は電車の中)→日本語を日本語として認知した。
②長男16歳(英語が母語、日本語は聞いてほとんど理解できるが発話は簡単な単語のみ、8歳まで日本に居住):数回繰り返して日本語原文を聞かせた結果、日本語自体は理解できているにも関わらず絵は描けないという→最終的に「誰がトンネルを抜けたの?」と質問してきた。→日本語は理解できるが、自身の認知は英語優位なためイメージと直結できない→(仮説)ことば上の「理解」はできていても、それをどう認知するかでイメージ化できるかどうかが決まってくる。したがって、イメージ化できなければ自身はその言語を使いこなすことはできない。
③次男14歳(英語が母語、日本語は聞いて少しだけ理解できるが発話はほぼゼロ、5歳まで日本に居住):長男と同様、終始「??」という顔で「誰が?」と聞いてきた。やはり、日本語の文章としては理解しているが、「それだけの情報で絵に描けるわけがない」と協力破棄(笑)
(ちなみに、「古池や蛙飛びこむ水の音」で同じ実験をしたところ、日本人は全員(!)カエルを1匹しか描きませんが、日本語は理解できるが日本語ネイティブではない我が家の子供たちはカエルを何匹も描きました。しかしなぜ日本人はこの「蛙」が1匹だと思うのでしょうかwww)
原作とかなり違うというのは本当ですか?
本当ですね。言語は、ことば上(左脳)で理解できていると思われていても、実は右脳で描いている絵はだいぶ違うということだと思います。
日本人が英語を学ぶダイナミズムはここで、日本語で言えることを英語でも言えるようになるために英語を学ぶのではなく、日本語では言えないことを英語だといえるようになるから英語を学ぶのだと思います。
【追記】サイデンステッカーさんの英語訳はThe trainが主語になっていますので、この英文を読んだ英語ネイティブは上図の右のような絵を描くことはある意味当然なのですが、ポイントは、
・アメリカ人であり日本文学と日本人の認知を知り尽くしたサイデンステッカーさんがなぜ敢えてThe train を主語にしたのか。
・“I came out of the long tunnel on the train into the snow country. ” や
“The train which I was on came out of the long tunnel into the snow country. ”としなかったところにサイデンステッカーさんが伝えたい何かがあるはずではないか。
・同じ『雪国』という文学を読んでいるはずだが、言語が変わると伝わる風景は異なっている。
というところだと思います。私は言語学者ではないので、この辺の学術的な議論はできませんが、ここに思いをはせるだけで幸せになります(笑)
一文だけで比較するのはあまり好ましくないかなと思い、以下に川端康成の原文とサイデンステッカーさんの英語訳を記します。
(原文)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。 娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」
明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
(訳文)
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.
A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura. The snowy cold poured in. Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.