ヒップホップ (hip hop) は、1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化。
80年代の3大要素は、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、ということですので、音楽ジャンルというより文化的なムーブメントに近いのではないでしょうか。ヒップホップという名称は当時のヴィレッジボイスの記事が最初ではないかとのことです。
ハウス・ミュージック (house music) は、1977年にアメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの一つ。単にハウスと呼ばれることも多い。70年代のディスコやフィリー・ソウル、サルソウル・サウンドなどを起源としている。
ハウスの語源はシカゴのゲイディスコ「ウェアハウス」のことで、ニューヨークのパラダイスガレージから招かれたラリーレヴァンというDJのミックススタイルを指して地元のレコード店がハウス(ウェアハウス)ミュージックと称したのが始まりとされているそうです。ですので、こちらは明確に個人の音楽スタイルが拡大してジャンル化したものと言えるでしょう。
Chip E
ヒップホップ (hip hop) は、1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化。
80年代の3大要素は、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、ということですので、音楽ジャンルというより文化的なムーブメントに近いのではないでしょうか。ヒップホップという名称は当時のヴィレッジボイスの記事が最初ではないかとのことです。
ハウス・ミュージック (house music) は、1977年にアメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの一つ。単にハウスと呼ばれることも多い。70年代のディスコやフィリー・ソウル、サルソウル・サウンドなどを起源としている。
ハウスの語源はシカゴのゲイディスコ「ウェアハウス」のことで、ニューヨークのパラダイスガレージから招かれたラリーレヴァンというDJのミックススタイルを指して地元のレコード店がハウス(ウェアハウス)ミュージックと称したのが始まりとされているそうです。ですので、こちらは明確に個人の音楽スタイルが拡大してジャンル化したものと言えるでしょう。
Chip E - Time to Jack 1986年リリース
しかしその後ハウスミュージックとして認知されるような曲としてリリースされるのは80年代半ばであり、
808 State - Pacific State 1989年リリース
イギリスに渡るとレイブパーティと相まって、アシッドハウスやテクノとして楽しまれるようになりました。
Jungle Brothers - I'll House You 1988年リリース
ですので、このようにハウスっぽいトラックでラップする、というパターンですと、ラップもハウスDJも黒人由来とすると、どちらがどちらとも言えない感じかなと思いますが、成立から一般化した時期的にはヒップホップの方が早いので、せや!ハウスにラップ乗せたろ!(いやむしろ乗せない理由がない)といった感じだったのではないでしょうか。
そうしてこうしたパーティ用アッパーチューンとして。。。
もともとヒップホップというものは音楽のジャンルというよりはライフスタイル、生き方、考え方、文化そのものでした。
その起源自体がストリートパーティー、ブロックパーティーと呼ばれる街のお祭りなのです。
差別で抑圧された黒人たちが行き場のない思い(怒り)をお祭りの中で発散させていました。ストリートで思いの丈をビートに乗せたラップで表現し、それに合わせてダンスし、グラフィティーで表現したのです。
そしてそのパーティーでラップを担当するもの、DJとしてビートを担当するもの、それに合わせてダンスするものなどを合わせた集団に名前がつけられました。
なので昔はユニットとして複数メンバーがいるものが主体だったのです。
そこから音楽がヒップホップミュージックとして取り上げられ、音楽商業と融合して広がっていきます。
レコード会社がお金を出し、プロデューサーが企画し、流行りそうな歌い手を起用し、ソロアーティストとして売り出すようなことが行われるようになりました。
ヒップホップの文化など知らず、ヒップホップという音楽が好きでアーティストを目指すような人が出てきます。
こうして音楽としてのヒップホップというものがユニットである必要がなくなったので相対的に減っているわけです。
懐かしいですねえ。
音楽もファッションも後にアートと呼ばれるムーブメントの起源というものは街に根付いた文化だったんですよね。
行き場のない思いを表現し発散しよ
もともとヒップホップというものは音楽のジャンルというよりはライフスタイル、生き方、考え方、文化そのものでした。
その起源自体がストリートパーティー、ブロックパーティーと呼ばれる街のお祭りなのです。
差別で抑圧された黒人たちが行き場のない思い(怒り)をお祭りの中で発散させていました。ストリートで思いの丈をビートに乗せたラップで表現し、それに合わせてダンスし、グラフィティーで表現したのです。
そしてそのパーティーでラップを担当するもの、DJとしてビートを担当するもの、それに合わせてダンスするものなどを合わせた集団に名前がつけられました。
なので昔はユニットとして複数メンバーがいるものが主体だったのです。
そこから音楽がヒップホップミュージックとして取り上げられ、音楽商業と融合して広がっていきます。
レコード会社がお金を出し、プロデューサーが企画し、流行りそうな歌い手を起用し、ソロアーティストとして売り出すようなことが行われるようになりました。
ヒップホップの文化など知らず、ヒップホップという音楽が好きでアーティストを目指すような人が出てきます。
こうして音楽としてのヒップホップというものがユニットである必要がなくなったので相対的に減っているわけです。
懐かしいですねえ。
音楽もファッションも後にアートと呼ばれるムーブメントの起源というものは街に根付いた文化だったんですよね。
行き場のない思いを表現し発散しようと、ある店、ある街に仲間が集まり、祭、パーティーが起こり、そこで形成される音楽、集団の特徴、流行るファッション。
インターネットなどない時代には、特定の地域で特色を持った人同士が影響を与え合い文化を作り上げるパワーがあったのです。
西海岸、東海岸、デトロイトテクノ、ロッテルダムテクノ、渋谷系、原宿系。
それはもちろんレゲエ、ジャズ、ロック、パンク、、、など他のジャンルもそうです。
書きたいことはまだまだありますが話がそれ始めたのでこの辺で。
第一にヒップホップは快楽を追求する音楽だからですね。クールハークがDJをしながらフロアを観察し、レコードのどの部分で客が盛り上がるかを発見しました。じゃあその気持ちいい部分だけを流し続ければいいと彼が気がついたのがヒップホップの始まりです。その後もずっと既存の音楽から人が聞いて気持ちいいパーツをサンプリングしたり、電子音や生音でパーツを作ったりし続けて今に至るのですから、今では人をのせるという点でとんでもない進化を遂げています。そして人が音楽に求めるものは他の全てのことと同じように簡単に快楽を得ることに変わってきているからです。
第二に作り手が参加しやすいからです。ヒップホップポップは他のジャンルの音楽と違ってアーティストの心の声やオリジナルな才能にあんまり依拠しません。テクノロジーとアーカイブという個人の外側にあるもので成り立っています。テクノロジーの発展でサンプラーの録音時間が伸びればフレーズを丸ごとサンプリングすることを試したり、よくサンプリングされるビートや誰かがやって良かったやり方はコミュニティの共有財産としてアーカイブされ、そこにまた個人のアイデアが加わり、言わば集団芸のような形で全体的に発展していきます。つまりアイディアとセンスさえあれば誰でも参加できるわけです。
第三に社会に格差が広がっているからだと思います。ポップミュージックやロックは中産階級のティーンエイジャーの娯
第一にヒップホップは快楽を追求する音楽だからですね。クールハークがDJをしながらフロアを観察し、レコードのどの部分で客が盛り上がるかを発見しました。じゃあその気持ちいい部分だけを流し続ければいいと彼が気がついたのがヒップホップの始まりです。その後もずっと既存の音楽から人が聞いて気持ちいいパーツをサンプリングしたり、電子音や生音でパーツを作ったりし続けて今に至るのですから、今では人をのせるという点でとんでもない進化を遂げています。そして人が音楽に求めるものは他の全てのことと同じように簡単に快楽を得ることに変わってきているからです。
第二に作り手が参加しやすいからです。ヒップホップポップは他のジャンルの音楽と違ってアーティストの心の声やオリジナルな才能にあんまり依拠しません。テクノロジーとアーカイブという個人の外側にあるもので成り立っています。テクノロジーの発展でサンプラーの録音時間が伸びればフレーズを丸ごとサンプリングすることを試したり、よくサンプリングされるビートや誰かがやって良かったやり方はコミュニティの共有財産としてアーカイブされ、そこにまた個人のアイデアが加わり、言わば集団芸のような形で全体的に発展していきます。つまりアイディアとセンスさえあれば誰でも参加できるわけです。
第三に社会に格差が広がっているからだと思います。ポップミュージックやロックは中産階級のティーンエイジャーの娯楽でしたが、ヒップホップは中産階級からそもそもはみ出ている人たちが資本主義社会に参加するための手段でした。だからストレートに欲望を歌い、成功すればそれを見せびらかします。それゆえアーティストは売れる音楽を作るということに知力の限りを尽くすし、売れたことに内省的に悩んだりもしないわけです。そういう音楽はより売れて当然ですし、格差が広がればヒップホップを資本主義社会への参入の手段と考える人も増えるでしょう。
カルチャーとしてのヒップホップやラップについても思うところはあるのですが長くなるのでこのあたりで。
はっきりしたことは言えませんが、ヒップホップは、お金が無い人達が公園で踊るためにそれとはなくはじまったもの?でしたっけ。レゲエの影響もあり、ゆったりしたリズムですね。ハウスは、クラブハウスでヒップホップを踊り続ける目的で途切れなく早いリズムになっていった、のかなと思えばヒップホップのほうがハウスに影響をあたえているのかな?とも思うけどどうだろう?
Supremeはスケーターブランドで「路上文化」つながりでスケーターたちがヒップホップを好んだことに由来しているのではないでしょうか。
ブランドの創立が1994年なのでちょうどストリートカルチャーという括りでファッションや音楽、アートなどが相乗して大きなムーブメントを起こした頃ですね。Supremeの拠点であるニューヨークはまだその当時はエリートと不良たちの差が激しくて創業時のSupremeの反骨精神を醸成するムードがあったのだと思います。
↑2017年にオープンしたニューヨーク・ブルックリンの店舗。店内にスケートボウルか設置されていました。商品を壁際に陳列しているのも特徴的です。恐らくお客さんがスケボーのまま店に入れるようにしているのでしょう。
↑スケートボードもディスプレイされています。
一方、Stussyは西海岸のサーフカルチャー発祥のブランドで、東海岸のSupremeとは似て非なるものがありますね。凄くざっくりと乱暴に言うとSupremeはポップアート寄りでStussyはライフスタイル寄りという違いでしょうか。日本人が好きなストリートカルチャーの世界観は、Stussyの方かもしれないです。どちらのブランドもヒップホップとの結び付きが強いですし、スケボーとサーフィンに完全に棲み分けされている訳でもないので、傍から見
Supremeはスケーターブランドで「路上文化」つながりでスケーターたちがヒップホップを好んだことに由来しているのではないでしょうか。
ブランドの創立が1994年なのでちょうどストリートカルチャーという括りでファッションや音楽、アートなどが相乗して大きなムーブメントを起こした頃ですね。Supremeの拠点であるニューヨークはまだその当時はエリートと不良たちの差が激しくて創業時のSupremeの反骨精神を醸成するムードがあったのだと思います。
↑2017年にオープンしたニューヨーク・ブルックリンの店舗。店内にスケートボウルか設置されていました。商品を壁際に陳列しているのも特徴的です。恐らくお客さんがスケボーのまま店に入れるようにしているのでしょう。
↑スケートボードもディスプレイされています。
一方、Stussyは西海岸のサーフカルチャー発祥のブランドで、東海岸のSupremeとは似て非なるものがありますね。凄くざっくりと乱暴に言うとSupremeはポップアート寄りでStussyはライフスタイル寄りという違いでしょうか。日本人が好きなストリートカルチャーの世界観は、Stussyの方かもしれないです。どちらのブランドもヒップホップとの結び付きが強いですし、スケボーとサーフィンに完全に棲み分けされている訳でもないので、傍から見たら近しい印象ですけどねー😁
↑Way Of Lifeをテーマに2011年から展開されていた生活用品を扱うセレクトショップ「Livin' General Store」。2018年に終了してしまいましたが、この世界観は今でも人気ありますね。
↑ファッションアイコンでもあるラッパーTravis Scottは、両方のブランドの服を愛用しているようです。(画像は、META FLEXINさんのツイートとWho Wore Bestのサイトより拝借)
アメリカと比べてって話ですよね。アンダーグラウンドでは今フリースタイルがめちゃくちゃ流行ってますし、メジャーでもDA/ケツメイシ/KREVA等の多数の人気アーティストが登場したので、全く流行ってないということはないですが、確かにアメリカみたいにガンガンチャートに入る状況ではないですね。
これは別にHIPHOPに限らず、ブラックミュージック(ソウル・ファンク・R&B・ジャズ)は一時代(宇多田ヒカル/MISIA/UAが登場した90年代末とか)を除いて国民的な人気を得たことがないんですね。
音楽の三大要素(メロディ/リズム/ハーモニー)のうち、ブラックミュージックの根幹はリズムですが、日本人は伝統的にエモいメロディアスな音楽が好きなんですよね。演歌が代表的ですね。
今の西洋ポップスの根幹であるリズム感ってDNAレベルで日本人に染み付いてないんですよ。それは雅楽とアフリカン音楽を比較すればよくわかりますが、後者には現在のブラックミュージックに通じるグルーヴがありますよね。アメリカはアフリカンが多数いるので、このリズムが文化やDNAに混ざりましたが、日本にはそのような機会はありませんでした。
さらに日本語という言語性も、西洋言語と異なり、ストレスに欠けており、リズムを生み出しにくい言語であるという点も見逃せません。
これはアメリカ人がスタバで経験した不快な出来事を語った動画に関して、第三者がトラックを
アメリカと比べてって話ですよね。アンダーグラウンドでは今フリースタイルがめちゃくちゃ流行ってますし、メジャーでもDA/ケツメイシ/KREVA等の多数の人気アーティストが登場したので、全く流行ってないということはないですが、確かにアメリカみたいにガンガンチャートに入る状況ではないですね。
これは別にHIPHOPに限らず、ブラックミュージック(ソウル・ファンク・R&B・ジャズ)は一時代(宇多田ヒカル/MISIA/UAが登場した90年代末とか)を除いて国民的な人気を得たことがないんですね。
音楽の三大要素(メロディ/リズム/ハーモニー)のうち、ブラックミュージックの根幹はリズムですが、日本人は伝統的にエモいメロディアスな音楽が好きなんですよね。演歌が代表的ですね。
今の西洋ポップスの根幹であるリズム感ってDNAレベルで日本人に染み付いてないんですよ。それは雅楽とアフリカン音楽を比較すればよくわかりますが、後者には現在のブラックミュージックに通じるグルーヴがありますよね。アメリカはアフリカンが多数いるので、このリズムが文化やDNAに混ざりましたが、日本にはそのような機会はありませんでした。
さらに日本語という言語性も、西洋言語と異なり、ストレスに欠けており、リズムを生み出しにくい言語であるという点も見逃せません。
これはアメリカ人がスタバで経験した不快な出来事を語った動画に関して、第三者がトラックを挿入したものですが、これだけで十分ラップになってますよね。これは本当に驚異的です。日本人が日本語で喋ってたら絶対こんなに上手くハマりません。
というわけで結論ですが、以下2点をあげます。
-民族性:DNAや文化に黒人リズムが染み付いていないこと
-言語性:日本語ののっぺりさがブラックミュージックの相性が悪いこと
芸の本質が違うからです。
ラップにはカバー、つまり他人が発表した歌を別の人が歌うということは原則的にありません。これは技術的に難しいとかとは関係ありません。そうでなくラップが文学的には私小説であるという暗黙の了解があるからです。
例えば日本ですと過去の死刑囚に永山則夫という人がいますね。彼は獄中で文筆に転じ『無知の涙』などの手記を発表しています。他のラッパーをカバーするのは、他人が永山則夫の手記をネタにして小説を書くようなものです。それはそれで面白いかもしれませんが、死刑囚のノンフィクションの「無知の涙」とそれをパクる作り話では訴えかけるものは別次元です。
別に、ラップに創作や誇張がまるで無いというわけではありません。ですが犯罪行為や麻薬を経験した事がないのにそれを語るというのはBaitingいって詐欺行為とみなされます。一昔前ですとラッパーといえばゲットー出身者でしたが、ラッパーのKanye Westは中産階級出身の大学中退。それが理由でどこのラベルからも彼はアーティストとしては契約を取れなかったんですね。それで代わりにプロデューサーとして経験を積んで発表した最初のアルバムがThe College Dropout。まさにそのまんまな題のアルバムです。で、彼は、そこで家族や自分の個人的な葛藤や思想を唄います。
ロックやポップスやテクノの世界で本人の出身が芸のハンデになることはありません。他
芸の本質が違うからです。
ラップにはカバー、つまり他人が発表した歌を別の人が歌うということは原則的にありません。これは技術的に難しいとかとは関係ありません。そうでなくラップが文学的には私小説であるという暗黙の了解があるからです。
例えば日本ですと過去の死刑囚に永山則夫という人がいますね。彼は獄中で文筆に転じ『無知の涙』などの手記を発表しています。他のラッパーをカバーするのは、他人が永山則夫の手記をネタにして小説を書くようなものです。それはそれで面白いかもしれませんが、死刑囚のノンフィクションの「無知の涙」とそれをパクる作り話では訴えかけるものは別次元です。
別に、ラップに創作や誇張がまるで無いというわけではありません。ですが犯罪行為や麻薬を経験した事がないのにそれを語るというのはBaitingいって詐欺行為とみなされます。一昔前ですとラッパーといえばゲットー出身者でしたが、ラッパーのKanye Westは中産階級出身の大学中退。それが理由でどこのラベルからも彼はアーティストとしては契約を取れなかったんですね。それで代わりにプロデューサーとして経験を積んで発表した最初のアルバムがThe College Dropout。まさにそのまんまな題のアルバムです。で、彼は、そこで家族や自分の個人的な葛藤や思想を唄います。
ロックやポップスやテクノの世界で本人の出身が芸のハンデになることはありません。他人の曲をカバーすることもあれば他人の書いた詩を歌うこともあります。不良のイメージのロッカーが中産階級育ちだったり、お嬢様キャラが貧困家庭出身であったりと歌謡は演技であり技能であると理解されているからです。ロックやポップの歌詞ですとそれをラップ変えたらヤラセっぽくなってダメになる事が多いです。アイドル系の歌は特にそうです。あの手の歌詞が本人の経験や本音であると思って聞いている人はいないと思います。
ラップ、そしてその広義のヒップホップはガチンコが前提の世界ですので自分を歌で偽るのはNGです。演技でなく自己の告白でないと芸として成立しません。非常に観念論になりますが魂にどれだけ響くかとなると技巧やジャンルと別次元の差があります。これがヒップホップが音楽分野で支配的な地位を占めるようになった理由だと思います。
今の特に若い世代が歌詞を聴きすぎているからだと思います。
[math]{}[/math]
「歌詞を聴きすぎ」というのはTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトが2020年にトーク番組で語ったことです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/458121dcbffc0652fff668c2af29464ff14a9e7cTHE BLUE HEARTSは小中学生のころによく聴いていましたが、どの曲の歌詞もメッセージ性が強く、子供ながら歌詞に考えさせられました。そんな歌詞を多く書く彼がこのように言ったのはとても印象的な出来事です。
他の回答者が言うように、英語を十分に理解することができないというのは確かに小さくないハンデだと思います。しかし、ここ数年でラップはロックよりも大きなジャンルになり、そして、ラップの主流は歌詞に重きを置かないものに変わりました。リリカルな面白さもありますが、それだけではラップを語ることができなくなりました。
今のhip-hopリスナーは英語ネイティブでも歌詞ではなくビートを聴いていると言っても過言ではないと思います。
現在、hip-hop業界ではMetro BoominやSouthsideなど、ラッパーではなく作曲サイドであるプロデューサーの名前が広く知られるようになり、Playboi Cartiなどビートで売れているとまで言われてしまうラッパーまでいます。
そのような時代の流れからも、hip-hopを聴くにはボーカルだけでなく、もしくはそれ以上
今の特に若い世代が歌詞を聴きすぎているからだと思います。
[math]{}[/math]
「歌詞を聴きすぎ」というのはTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトが2020年にトーク番組で語ったことです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/458121dcbffc0652fff668c2af29464ff14a9e7cTHE BLUE HEARTSは小中学生のころによく聴いていましたが、どの曲の歌詞もメッセージ性が強く、子供ながら歌詞に考えさせられました。そんな歌詞を多く書く彼がこのように言ったのはとても印象的な出来事です。
他の回答者が言うように、英語を十分に理解することができないというのは確かに小さくないハンデだと思います。しかし、ここ数年でラップはロックよりも大きなジャンルになり、そして、ラップの主流は歌詞に重きを置かないものに変わりました。リリカルな面白さもありますが、それだけではラップを語ることができなくなりました。
今のhip-hopリスナーは英語ネイティブでも歌詞ではなくビートを聴いていると言っても過言ではないと思います。
現在、hip-hop業界ではMetro BoominやSouthsideなど、ラッパーではなく作曲サイドであるプロデューサーの名前が広く知られるようになり、Playboi Cartiなどビートで売れているとまで言われてしまうラッパーまでいます。
そのような時代の流れからも、hip-hopを聴くにはボーカルだけでなく、もしくはそれ以上に、ビートに耳を傾ける必要があると感じています。
そして、普段からhip-hopの音を聴き慣れていない日本人にとって、hip-hopは受け入れ難いものに感じるのではないでしょうか。
以上のようにhip-hopが日本で流行らないのは、ボーカルで成り立っているJ-popを聴いている日本人にとってhip-hopは何言ってるかわからないし、なによりも、ビートを聴くということを理解できていないからだと思います。
[math]{}[/math]
しかし、その一方で私はこの先、日本でhip-hopが流行る可能性は十分にあると考えています。
それはここ数年で音楽業界に大きな影響を与えているTikTokの存在にあります。
TikTokではビデオが短いのもあってたくさんの、いろんなジャンルの音楽に触れることになりますが、たくさんラップに触れていく中で耳が慣れていき、抵抗感がなくなるといいなぁと願っています。
(でもそうやってバイラルになる曲てメロディックなのばっかなんだよなぁ)
これとか
24kGoldn - Mood ft. iann dior
ビートを効かせる系は時間かかりそう
21 Savage, Offset, Metro Boomin - Ric flare Drip
ヒップホップは元々はクール・ハークやグランド・マスター・フラッシュと言ったDJが作り上げたモノで、単純に「ブレイク部分を繋げる」と言うモノでした。グランド・マスター・フラッシュのインタビューにありましたが、「これで盛り上がるぞ!」と思ったら観客が自分の手元を観ていた。それでDJ(ディスクジョッキー)と言うか、観客を盛り上げたり、歌ったりする・・・まぁ、踊り手とかと同じだと思うのですが・・・のを考えついた。
しかし、グランド・マスター・フラッシュは声も良くなかったので友人で集めて・・・と言うか。
じゃあ、ラップってなんやねん?ってなると此れは実はヒップホップとは違う処で出現したようで、主に『ディスコ』でした。
ヒップホップはストリート・パーティーでしたがディスコは違う(ジャケット着てなきゃ駄目だったり、ブレイクダンス禁止だったり)。
ただ、ヒップホップ側がディスコ側から影響を受けたことは間違いないく、ヒップホップが『ヒップホップ』となった時点で既にミクスチャーだったとも言えるかも知れません。
え〜、日本のヒップホップについての知識が乏しいのですが、
1987年に初来日したビースティー・ボーイズについての記事にこんなのがありました。
これを見る限り、少なくとも87年以前にはヒップホップが一般には全然浸透していなかったことがわかりますね〜。
え〜、日本のヒップホップについての知識が乏しいのですが、
1987年に初来日したビースティー・ボーイズについての記事にこんなのがありました。
これを見る限り、少なくとも87年以前にはヒップホップが一般には全然浸透していなかったことがわかりますね〜。
断言は出来ないのですがパンクって70年代の音楽なんですよね。ピストルズのアルバムが1977年なので、ワイト島ロックフェスから、たったの7年後。
その頃にはロックと言う音楽が既に飽和状態と言うか「これ以上、進化が出来ない」と言う状態だったのかと思われます。当時、既にシンセサイザーはありましたが高価だったし、出来る事も限られていましたから。
と言うか、後のニューロマンティックにせよ、NWにせよパンクの亜流ですし、HCやグラインドコアも全ては1977年のパンクから変化しただけです。
その点、ヒップホップはグランド・マスターフラッシュからパブリック・エネミーまで激しい進化をしましたが、此れは機材面の向上と言う所もポイントです。
パブリック・エネミーの頃のサンプラーなんて数秒〜数十秒でしたけども、今ではDAWがありますし。
だから、パンク(ロック)はレイドバック出来るほど既に完成され尽くした音楽(改善の余地がない)なんだけども、ヒップホップは未だ完成せず、色々なジャンルを組み込みながら進化している最中だからではないでしょうか。
最近だと(賛否両論あれども)lofo hiphopなんてジャンルも出来ましたし。
そんな気がします。
まぁ全ての日本人ラッパーにあてはまるわけではないでしょうが、日本発のヒップホップ・ミュージックが「父母や家族や友人に感謝しがち」な傾向はあるかもしれません。
父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました
干し柿、もちも美味しゅうございました
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました
……以下省略
©円谷幸吉
これは日本人ラッパーの歌詞ではなくて日本人マラソンランナーが1968年に書き遺した詩ですが、同じような精神性が日本発のヒップホップ・ミュージックにもみてとれる、そう言われてみればそんな気もします。
Q) それはなぜか?
A) やっぱねぇ~、ラッパーだって人間だからさ、嫌われたくネェんだよ。人様に面と向かって「俺はスゲェんだぁ~言うことをきけぇ!」なんて言ったってね、じゃあオメエは誰のおかげでそこ突っ立ってんだっつーの。そうに決まってんだろ。一人じゃなぁ~んも出来やしネェくせにさ、なんもかも俺の手柄だぁ~なんて言っちまったら、どうしようもネェさ。すぐに総スカン、ホントあっという間だよ。そんなんじゃなくてさ、まずはお父ちゃんとお母ちゃんが先にくるのっ!(←※なぜか怒りだす感じでガツンとやられる)いっちょまえに成ったんだったら、そこはきちんと襟を正してさ、「ありがとうございましたぁ~」って深々とやってから、それからでしょ。俺の考えはああだこうだなんて言うのはさぁ。
※レペゼン日本な感じで回答し
まぁ全ての日本人ラッパーにあてはまるわけではないでしょうが、日本発のヒップホップ・ミュージックが「父母や家族や友人に感謝しがち」な傾向はあるかもしれません。
父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました
干し柿、もちも美味しゅうございました
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました
……以下省略
©円谷幸吉
これは日本人ラッパーの歌詞ではなくて日本人マラソンランナーが1968年に書き遺した詩ですが、同じような精神性が日本発のヒップホップ・ミュージックにもみてとれる、そう言われてみればそんな気もします。
Q) それはなぜか?
A) やっぱねぇ~、ラッパーだって人間だからさ、嫌われたくネェんだよ。人様に面と向かって「俺はスゲェんだぁ~言うことをきけぇ!」なんて言ったってね、じゃあオメエは誰のおかげでそこ突っ立ってんだっつーの。そうに決まってんだろ。一人じゃなぁ~んも出来やしネェくせにさ、なんもかも俺の手柄だぁ~なんて言っちまったら、どうしようもネェさ。すぐに総スカン、ホントあっという間だよ。そんなんじゃなくてさ、まずはお父ちゃんとお母ちゃんが先にくるのっ!(←※なぜか怒りだす感じでガツンとやられる)いっちょまえに成ったんだったら、そこはきちんと襟を正してさ、「ありがとうございましたぁ~」って深々とやってから、それからでしょ。俺の考えはああだこうだなんて言うのはさぁ。
※レペゼン日本な感じで回答してみました。
「Rock It」に関しては「DJ」 Grandmixer D.STのスクラッチに注目が集まりましたね。日本においてはベスタ小僧が逆輸入のような形で国内向け初のディスコミキサー DSM-310を発売したので、これを契機に自宅でDJプレイを練習する人が一気に増えました(私自身もミックスに興味があったので購入した一人)
この国内初のコンシュマー向けディスクミキサーにテクニクスのSL-1200を2台足して針はスクラッチ耐性が高く針圧を上げられるShureのM44Gを装着するのが定番でした。
D.STがどういう風にやっていたかは映画「WildStyle」で観れますが、ま~当時は極端に情報が少なかったです。
ちなみに情報の少ない顕著な例としてこの動画で使ってるミキサーのモデル名を私が知ったのは映画の公開から30年以上経ってから。(この記事を書かれた方も有志の投稿で2014年頃に知ったようです)
当のHerbie Hancockさんの方は70年代のジャズ路線からファンク、ディスコっぽい曲をやったりしてからのRock Itでしたから色々模索してたんでしょうね。
第二次世界大戦後の大衆音楽は、アメリカ発の音楽一色と言っていい状況です。各国の大衆音楽の中で、ロックの影響を受けていないものはないでしょう。フレンチポップにせよ、グループサウンズにせよ、ロックの伝播によって誕生したジャンルです。
こうしたアメリカの大衆音楽は、黒人音楽の活力を白人音楽が取り込んだり真似たりすることで発展してきました。ジャズは結局、黒人たちの演奏の揺らぎを白人がパクったものですし、ロックは黒人のリズムアンドブルースに白人が影響されて作り上げたジャンルです。ヒップホップは、ジャズやロックが完全に白人に消費され陳腐化し状況が停滞したころになってから黒人スラム街から生まれた新しい風であり、まだ活力が残っているということでしょう。
これは、80sの日本のパンクにもあてはまるのですが、本来持っている「反抗」をベースにしても日本社会は適当にうまくいっていて「反抗」では支持が得られないからだと思います。
ハービーハンコックとヒップホップで語られるもので行けば名曲「ロックイット」以降のシーンがどうなのかを見る事で言えそうですが、「エレクトロ」の要素が流行しましたよね。
それはハービーハンコックに限らなかったと思います。例えばテクノで言えば「クラフトワーク」から「ツールドフランス」が映画「breakin'」の有名なロボットダンスシーンで使われましたし、これらは相互影響とも、リスペクトとも言えそうです。
「ポールハードキャッスル」 「アートオブノイズ」なんかもピアノサウンドや打ち込み音源を取り込んだ楽曲を作ってHIPHOPへ影響を与えた事でしょう。ダフトパンクなんかは聴いている側からすれば正統継承のようにも感じられます。
ヒップホップが他音楽の切り取りをそのトラックにしていた事を考えると、それまでのあらゆる音楽がヒップホップへ影響を与えていたと言えるので、ご質問の正しい回答になっていない事には今気が付きました。すまんかった。
HIPHOPの大きな特徴に「サンプリング」と言って、とある音楽の部分を切り取って、使いまわす技法があります。
皆さんの良く知る「マツコの知らない世界」はリンダスコットのリトルスターがサンプリングネタですが、こういう事をあらゆる音源でちぎりまくっていたのが80~90年代です。説明するより聞いた方が早いでしょう。ご興味あれば文末にリンクを貼ります。
結論としてハービー・ハンコック
ハービーハンコックとヒップホップで語られるもので行けば名曲「ロックイット」以降のシーンがどうなのかを見る事で言えそうですが、「エレクトロ」の要素が流行しましたよね。
それはハービーハンコックに限らなかったと思います。例えばテクノで言えば「クラフトワーク」から「ツールドフランス」が映画「breakin'」の有名なロボットダンスシーンで使われましたし、これらは相互影響とも、リスペクトとも言えそうです。
「ポールハードキャッスル」 「アートオブノイズ」なんかもピアノサウンドや打ち込み音源を取り込んだ楽曲を作ってHIPHOPへ影響を与えた事でしょう。ダフトパンクなんかは聴いている側からすれば正統継承のようにも感じられます。
ヒップホップが他音楽の切り取りをそのトラックにしていた事を考えると、それまでのあらゆる音楽がヒップホップへ影響を与えていたと言えるので、ご質問の正しい回答になっていない事には今気が付きました。すまんかった。
HIPHOPの大きな特徴に「サンプリング」と言って、とある音楽の部分を切り取って、使いまわす技法があります。
皆さんの良く知る「マツコの知らない世界」はリンダスコットのリトルスターがサンプリングネタですが、こういう事をあらゆる音源でちぎりまくっていたのが80~90年代です。説明するより聞いた方が早いでしょう。ご興味あれば文末にリンクを貼ります。
結論としてハービー・ハンコックは「エレクトロ」要素で影響を与えたと言えるのではないでしょうか?「サイボトロン」などを聞けばエレクトロサウンドがヒップホップと融合した要素にはなったと思いますが、ハービーハンコック以前以後と言えるほど過大な影響を与えたかと言われるとどうでしょうね?
ピタリ世代じゃないのでその辺りは他の方に譲りますよ。
最後に1976年のradiotronでflattopが踊る映像を紹介しましょう。
この曲はポールハードキャッスルのレインフォレストですが、丁度この頃がエレクトロとストリートダンスの最盛期では無いでしょうか。これは超がつく激レア映像ですが、今では簡単に見れるんですもんね~。
全くダンスに興味が無くても面白いと思いますよ。ストリートパフォーマンスのみで生きてきた、ロボットダンスの生きる伝説です。
皆さんが今まで見てきたロボットダンスとは一段階違うレベルをご覧頂けますよ。
Linda Scott - I've told Every little Star (1961)
Herbie Hancock - Rockit (Official Music Video), Full HD (Digitally Remastered and Upscaled)
インディーシーンのことは分かりませんが、一般人が耳にするくらいメジャーなヒップホップの曲は、やたら感謝しがちな気がします。
以下、多少の偏見入っているかもしれませんが…
特に20世紀のヒップホップの人は、見るからに若い頃ヤンチャしてそうな人が多かったように思います。
そんな人たちが、ギャングスタ気取りのワル自慢な歌詞を歌っても、同じ属性の人しか反応しないでしょう。
元ヤンな人たちが感謝の言葉を口にしているのを聴くと、「ああ、彼彼女らは、悪そうに見えて、ちゃんと他人に感謝できるんだ」と、一般層にも好まれやすいかと。
結果、感謝しがちな曲がヒットしがち、というカラクリではないでしょうか。
英語ラップの内容を理解できる人が少なく、本場のHIPHOPから直に影響を受ける人が少ないことが理由ではないでしょうか。洋HIPHOPは英語が理解できないと、アメリカ人と同じように娯楽として楽しむことが難しいです。
そして、日本のHIPHOPファンのほとんどが「英語ラップを音として楽しめる」変人たちであり、そういった嗜好の方々はどうしてもマニアックでアングラ志向になりがちで、それはアーティストにも多くみられる傾向と思います。
メジャー路線に行くと”リアルじゃない””セルアウトした”だのと叩かれ、行ったところで上記の理由により日本人の殆どにHIPHOPを楽しむ下地がないので、相当J-POPに寄せた路線でしか成功する事は難しいという現実があるのでは。。
と私は推測します。
80年代から書くとキリがないので、90年代のイースト・コーストに絞ります。
90年代初頭、誕生から約10年を経た音楽ジャンルとしてのヒップホップは、商業的な成功だけを狙った売れ線の楽曲が増え始めていた。いわば、メジャーレーベルの下僕となることを選んだ者たち。
いや、ヒップホップの可能性はそんなもんじゃないだろう、他ジャンルの追随を許さない圧倒的な独創性を備えたサウンドと地に足のついた本気のメッセージ、それらを組み合わせ最先端の表現形式を獲得すれば、黒人の地位向上にもつながるはずだ。そのような思いを内に秘めた、あるいはあからさまにそう主張するアーティストがヒップホップというジャンルに現れ始めた。
このようなヒップホップの潮流が、リアル・ヒップホップです。
▼1988
🎧 Eric B. & Rakim
- Microphone Fiend- Eric B. & Rakim の2ndアルバムに収録されている曲。これといったサビもなしに、ラップだけで一気に聴かせる。エンターテインメント性として一般的に考えられている要素を排除しても、多くの聴衆を獲得可能と証明した。その意味でヒップホップの歴史において重要な曲。後にロックバンド Rage Against th
脚注
80年代から書くとキリがないので、90年代のイースト・コーストに絞ります。
90年代初頭、誕生から約10年を経た音楽ジャンルとしてのヒップホップは、商業的な成功だけを狙った売れ線の楽曲が増え始めていた。いわば、メジャーレーベルの下僕となることを選んだ者たち。
いや、ヒップホップの可能性はそんなもんじゃないだろう、他ジャンルの追随を許さない圧倒的な独創性を備えたサウンドと地に足のついた本気のメッセージ、それらを組み合わせ最先端の表現形式を獲得すれば、黒人の地位向上にもつながるはずだ。そのような思いを内に秘めた、あるいはあからさまにそう主張するアーティストがヒップホップというジャンルに現れ始めた。
このようなヒップホップの潮流が、リアル・ヒップホップです。
▼1988
🎧 Eric B. & Rakim
- Microphone Fiend- Eric B. & Rakim の2ndアルバムに収録されている曲。これといったサビもなしに、ラップだけで一気に聴かせる。エンターテインメント性として一般的に考えられている要素を排除しても、多くの聴衆を獲得可能と証明した。その意味でヒップホップの歴史において重要な曲。後にロックバンド Rage Against the Machine がカバーした。Rage Against the Machine - Microphone Fiend
▼1991
🎧 Pete Rock & C.L. Smooth
– Mecca & The Soul Brother- Pete Rock は80年代中盤から活躍するプロデューサー Marley Marl の弟子にあたる世代。このデビューシングルは、ヒップホップが新たなフェーズに入ったことを象徴する曲となった。幾重にも折り重なった音塊が想起させる未来のイメージ。
▼1992
🎧 Gang Starr
– The Place Where We Dwell- 80年代後半にデビューした Gang Starr の3rdアルバムにおいて、衝撃の冒頭を飾る曲。当時、新陳代謝の早いシーンにおいて、通常のヒップホップ・グループは2枚アルバムを出せばそれで終わりって感じだった。なので、Gang Starr からこんなに斬新なサウンドが届けられるとは個人的に全く予想外。いわゆるジャジーな雰囲気とは違う、初期ビバップ・ジャズにあった暴走する遊び心がここにはある。これ以降、プロデューサーの DJ Premier(NYではなくヒューストン生まれで大卒という意外な経歴の持ち主)は、ヒップホップ最先端サウンドを自己更新し続ける。
🎧 A Tribe Called Quest
- Hot Sex- エディ・マーフィー主演の映画「ブーメラン」OSTに提供した曲なので、アルバムには未収録となっている名曲。ATCQは De La Soul などと一緒にまとめて Native Tongues 派と呼ばれた。身の回りの文化やルーツに敬意を払う、アート表現に関心が高いユーモア感覚に溢れる黒人たち、そんな感じの呼び名。
🎧 Black Moon
- Who Got Da Props- Nervous Records というNYで設立されたばかりのごった煮系ダンスミュージックレーベル(ハウス系のリリースも多い)から突然発売された、文句なしのヒップホップ・クラシック。やや早めのBPMでガシガシ突き進む酩酊感の高いサウンドデザインは当時JEEP系と呼ばれ(確かそうだった?)、似たような楽曲が90年代中盤まで大量にリリースされた。それらはカスタムカー文化とも親和性が高い。
▼1993
🎧 Wu-Tang Clan
- Wu-Tang Clan Ain't Nuthin' Ta Fuck Wit- 突き抜けた不良性と集団性を武器にリアル・ヒップホップのド底辺を体現した結果、時代の天下をとったヒップホップ・グループ。リーダーでプロデューサーの RZA は音楽理論完全無視の歪んだ音作りを得意とし、メンバーのラッパーを次々とソロデビューさせてチャートの上位に送り込んだ。特に、メンバーである Method Man のソロデビュー作 Tical は、頻出する不協和音と難解な美学に貫かれているにも関わらず、全米アルバムチャートの4位にまで到達。Wu-Tang Clan の活躍は社会現象に近いものとなった。また、SWV の “Anything [Feat. Wu-Tang Clan]” や Method Man ft. Mary J. Blige “All I Need (Razor Sharp Remix)” はリアル・ヒップホップとR&Bの融合というブームの先駆けである。
▼1994
🎧 Big Daddy Kane
ft. Scoob, Sauce Money, Shyheim , Jay-Z ., Ol' Dirty Bastard - Show & Prove- この年、DJ Premier の勢いは止まらない。想定を軽く乗り越える楽曲の数々を、多くの人がジャズの進化系と呼び始めた。Big Daddy Kane は80年代後半から活躍するベテランのラッパー。彼を慕うように、Wu-Tang Clan からは狂犬 Ol' Dirty Bastard が参加。さらには子供とは思えないスキルを披露する Shyheim 、そして、世間的にはまだ無名だった Jay-Z が、野心に満ちた目つきで後に大物となる片鱗を存分に見せつけるパフォーマンスを披露している。つまり、ラップの教科書。見ればわかるが、Ol' Dirty Bastard は誰か止めないとホントにヤバいと公に噂されつつ、2004年に天分を全うして死んだ。合掌。
🎧 Group Home
- Supa Star- DJ Premier のたぶん最高傑作。センスのよいサンプラーの使いこなし、タイトなビート、病んだ情感に溢れるラップ、都市のカオスを完全に描き切る。Lil' Dap のラップが個性的でカッコいいのだが、彼は素行が非常に悪く DJ Premier も距離を置いて付き合っていたと言われ、そのためかリリースされた参加作品が少なく残念である。
▼1995
🎧 Das EFX
Feat. Mobb Deep – Microphone Master- 92年にデビューした2人組ラッパー Das EFX は当初から変則的な韻の踏み方で注目を浴びていたが、世間的な知名度が一気に高まったのはこの年だった。絶妙なタイミングで関節外しのような脱力技をキメまくる高度なラップのスキル、それがこの曲でも冴えわたっている。
▼1996
🎧 De La Soul
- Stakes is High- 80年代後半にデビューした当初のコミカルなキャラ設定が時代にそぐわなくなり、人気に陰りの見えていた De La Soul がアッと驚く新曲を発表。どう聞いても新しいとしか言いようのない絶妙なビートとハーモニーの絡まりを料理したのは、新人プロデューサーの Jay Dee。一貫して「普通の黒人」であることを主張し、拝金主義的なギャングスタ・ラップの虚構性を否定し続けた彼らは、リアル・ヒップホップを知的ゲームとして一段高く持ち上げることで、ベテラン・ヒップホップ・グループとしての矜持を示した。
🎧 Fugees
ft. A Tribe Called Quest & Busta Rhymes - Rumble In The Jungle- 映画「When We Were Kings (モハメド・アリ かけがえのない日々)」のエンディング・テーマ曲。Fugees はハイチ出身の Wyclef Jean がリーダーで、歌手 Lauryn Hill を擁するヒップホップR&Bグループ。少し変わった出自でリアル・ヒップホップ・シーンに新風を吹き込んだ。ラッパーとして ATQC の面々と Busta Rhymes が参加している。映画も必見で、現存するジェームス・ブラウンの映像中で最高のライブ・パフォーマンス(1974年キンシャサでのライブ)も挿入されている。
▼1997
🎧 Brand New Heavies Feat. Q-Tip - Sometimes [Ummah
Remix]- Stakes is High の成功で一躍注目を浴びた Jay Dee は、ATQC の Q-Tip などと共にヒップホップ・プロダクション・チーム The Ummah を設立。画期的な楽曲を次々とプロデュースする。Q-Tip はこの年、ジョニ・ミッチェルの楽曲をサンプリングして Janet Jackson と共演した楽曲 "Got 'til It's Gone" も大ヒットし、オシャレの王様としてユース・カルチャーに君臨。一方でこの頃から、ヒットチャート上位に大量のラップ楽曲あるいはその影響下にあるR&Bが食い込むようになり、音楽市場はいわばヒップホップ供給過多の状態になりつつあった。それにともなって、リアル・ヒップホップの存在意義は薄れてゆく。
▼1998
🎧 Pete Rock - Take Your Time
- ロンドンで80年代中盤から活躍し、NYのヒップホップ系プロデューサーのあいだで人気の高かった未来派R&Bグループ Loose Ends。 リアル・ヒップホップの時代が終焉しつつあるなか、Pete Rock がそのメンバーと共同で楽曲を制作した。作曲は90年代に入りハウス系の楽曲などでも素晴らしい手腕をみせていた Loose Ends のリーダー Carl McIntosh。ボーカルも Loose Ends の Jane Eugene。凄まじい歌唱力を炸裂させる。Pete Rock はアレンジとミックスを担当。リアル・ヒップホップの成果がロンドンのR&Bと融合し、息をのむような美しい楽曲に仕上がった。
今から思えば、ナップスターの時代がすぐそこまで来ていた。このあたりでリアル・ヒップホップを成立させていた様々な前提条件が消失。一つの文化が終わる。
↓↓↓ 紹介した楽曲の YouTube プレイリストをつくりました。
いろいろと紹介しましたが、やっぱりヒップホップの魅力がわからないという人もいるかもしれません。
🎧 Miles DAVIS "Max is Making Wax" (1950)
これはマイルス・デイビスがチャーリー・パーカー1947年の作品 "Max is making Wax" に挑戦したときの記録なのですが、もとの曲名からして意味がないし、通常考え得る音楽的魅力(メロディや情緒の味わい)などともほぼ無関係な雰囲気です。
※ "Max is making Wax" には Oscar Pettiford が作曲した "Something for You" という原曲があります。元ネタにアドリブを加えて異質なものに作り変える、こういうのもヒップホップと同じ発想。
幾何学的な遊戯。リアル・ヒップホップの初期5年間にも同じような、情緒的に乾いたゲームという側面があったと思います。
お前にこの意味がわかるか?意味なんてないんだぞw っていう感覚で、受け入れられ難さを積極的に肯定して楽しむ、そんな感じです。いわば、突き放したユーモア。ゲームの参加者以外には理解しがたい。
かなりのジャズ好きでも、40年代後半のチャーリー・パーカーが暴力的に殴り描いて見せた模様を楽しむ人は少ない。"April In Paris" の演奏を気に入る人は多くても。同じようにリアル・ヒップホップも、後の世代から共感を得ることは少ないのかもしれない。
しかしどちらも、イノベーティブな試みとして後世の社会に多大な影響を与えていることは確かだと思います。その扉を開いた人物たちの生き様がどんなものだったのか、それは忘れ去られてしまいがちだが。
そんな風に想像しています。
脚注
COMPLICATION SHAKEDOWNを意識されたご質問だと思いますが、あまり語られることはないですね。
おそらく、この曲を聴いてラップを始めたという人をあまり生まなかったのではないでしょうか。
日本のヒップホップの本は色々読んでいますが、佐野元春さんについてのエピソードは記憶にないです。
近田春夫さんやいとうせいこうさんはRHYMESTERなど後の世代に影響を与えているので、元祖として位置付けられているのですが。
現代まで続く音楽だと思いますが、ヒップホップの影響を受けた新しい音楽スタイルが現代の音楽になっていると、小林克也さんの音楽番組「ベストヒットUSA」のチャートを見て聞いて思います。
1979年、ディスコで踊った Sugarhill Gang - Rapper's Delight からですね。
『商業的に初めて発売されたヒップホップ曲』と言われるアノ曲です。
終電の時刻が迫り、お子様達が帰った1時過ぎに CHIC - Good Times との繋ぎでかかった時、最初はバージョン違いかDJが急に喋り始めた?と思いました。
DJブースを覗くとレコードがプレイされたので、初めてこれがレコードで出てる事を知ったんですけど、当時は情報が皆無でしたから色々苦労しましたね。
川上音二郎ですね。
【川上音二郎 ヒップホップ】で検索すれば、ガンガン『世界最古のヒップホップ』で出てきます。
アメリカ興行に続いて、パリ万博(1900)で日本最古の商業レコーディングもやっています。
19世紀に本場アメリカでヒップホップしてたんですから、
日本のルーツどころか世界のルーツですね。
日本のヒップホップは、逆輸入です。
90年代初頭の日本のヒップホップ黎明期にあっては、m.c.A・T.、スチャダラパー、RHYMESTERなどなど、様々なアーティストが活躍しました。
しかし、日本のヒップホップシーンに一番影響を与えたという観点からいえば、EAST END X YURIこそがが最もふさわしいアーティストだと思います。
その理由は、1994年発売の代表曲「DA.YO.NE」が世に与えたインパクトに他なりません。
DA. YO. NEがヒットした理由はたくさんあると考えられます。
まずは、歌詞のとっつきやすさです。ともすると、それまでのヒップホップの歌詞は、歌詞の内容というよりも韻や目新しさを強調する曲が目立っていました。しかし、DA. YO. NEの歌詞には、男女の掛け合いという、誰にとってもわかりやすいストーリーがありました。ヒップホップになじみのないリスナーにも口ずさみやすく、カラオケでも歌いやすいテンポでした。
次に、ファッションです。90年代中頃は漫画「スラムダンク」などのヒットにより、ストリート文化が花開いた時代。エア・マックス、エア・ジョーダンなどのスニーカーに、ダボダボのストリートファッションはヒップホップと相性がよく、若者のトレンドにマッチしていました。
画像:定点観測ACROSS(1995/3, 1995/10, 1996/4)
90年代初頭の日本のヒップホップ黎明期にあっては、m.c.A・T.、スチャダラパー、RHYMESTERなどなど、様々なアーティストが活躍しました。
しかし、日本のヒップホップシーンに一番影響を与えたという観点からいえば、EAST END X YURIこそがが最もふさわしいアーティストだと思います。
その理由は、1994年発売の代表曲「DA.YO.NE」が世に与えたインパクトに他なりません。
DA. YO. NEがヒットした理由はたくさんあると考えられます。
まずは、歌詞のとっつきやすさです。ともすると、それまでのヒップホップの歌詞は、歌詞の内容というよりも韻や目新しさを強調する曲が目立っていました。しかし、DA. YO. NEの歌詞には、男女の掛け合いという、誰にとってもわかりやすいストーリーがありました。ヒップホップになじみのないリスナーにも口ずさみやすく、カラオケでも歌いやすいテンポでした。
次に、ファッションです。90年代中頃は漫画「スラムダンク」などのヒットにより、ストリート文化が花開いた時代。エア・マックス、エア・ジョーダンなどのスニーカーに、ダボダボのストリートファッションはヒップホップと相性がよく、若者のトレンドにマッチしていました。
画像:定点観測ACROSS(1995/3, 1995/10, 1996/4)
そして、個人的には、やはり女性ボーカルYURIの存在が大きかったのではないかと考えています。イカつい男性ばかりのグループの中にあって、清涼感のあるボーカルのYURIは、ティセラなどの女性向けシャンプーのCMにも出演し、男女ともから人気を博しました。
画像:YouTube
このような様々な時代の後押しもあり、DA.YO.NEは、それまでの日本のヒップホップの中での金字塔的曲となりました。
- 日本のヒップホップ曲として、初のミリオンヒットを達成
- ヒップホップ曲で初めて紅白歌合戦出場
- これまでに類を見ない、豪華メンバーによる方言バージョンが6曲リリースされた(ある意味、地方展開型ビジネスモデルの先駆的存在)
- SO.YA.NA:関西弁 ver. 若かりし頃のWコージ
- DA.BE.SA:北海道弁 ver. 右は「水曜どうでしょう」のミスターこと、若かりし頃の鈴井貴之
- DA.CHA.NE:東北弁 ver.
- DA.GA.NE:名古屋弁 ver.
- HO.JA.NE:広島弁 ver.
- SO.TA.I:博多弁 ver. 中央は若かりし頃の板谷由夏
DA.YO.NEの大ヒットを皮切りに、「MAICCA」、「いい感じ やな感じ」、などスマッシュヒットを飛ばしたEAST END X YURIでしたが、その後は後続グループも続かず、ヒップホップは全体として一時下火になります。
というのも、1995年以降は、安室奈美恵をはじめとした小室ファミリー、ビーイング、ミスチルやスピッツ、SMAPやKinki Kids等のジャニーズ勢など、多様な音楽がJ-POPシーンを彩ったため、まだ、メジャーなジャンルとはいい難かったヒップホップは、十分なシェアを取り切れなかったのです。
本格的にヒップホップがポピュラーになってきたと言えるのは、J-POPの黄金期がピークアウトした1999年に発売された、Dragon Ashのご存じ「俺は東京生まれHIP HOP育ち 悪そうな奴は大体友達」で有名な「Greatful Days」からでしょう。
Dragon Ashを筆頭に、2000年代初頭にかけて、日本のヒップホップをけん引する、ケツメイシ、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、SEAMO、Def Techなどの後続グループが多く台頭してきた結果、一気にメジャーな音楽カテゴリの1つとなったといえると思います。
ケツメイシ ファミリア(2001)
Def Tech My Way(2005)
このように振り返ってみると、瞬発的ではあったものの、日本で初めてヒップホップの存在を広く知らしめるに至ったEAST END X YURIは、日本のヒップホップ界に、いちばん影響を与えたアーティストであると言っても過言ではなかろうと思った次第です。
さて、ここからは蛇足ですが、かくも魅力的で面白い、そして、近いようで遠くなってしまった、90年代に、もし、ご興味がありましたら、以下のスペースへも一度足を運んでみていただければと思います。90年代の記憶を呼び起こす質問をご用意して、お待ちしております。
画像引用
リクエストありがとうございます。
低評価ではなく、評価するほど興味がない、無関心な人がまだ多いのが現状でしょう。
個人的には、かつての一和製ヒップホップのイメージが悪すぎたと思います。
ふた昔前の、「悪そうな奴は大体友達」なヤンキー文化や、米国産ギャングスタラップのモノマネに恥ずかしさを感じました。その頃と比べると、かなりマシになったと思います。
最近はCreepy Nutsみたいに、タレントとしても活躍できそうなタイプが出てきたり、アイドルにもラップ担当がいたり、ラップがテーマのアニメも人気らしいので、日本のヒップホップの評価は更に高まっていくと思います。
正統派のラップ好きの皆さんからボコボコにされるのを覚悟しつつも、邪道な箸休め的選曲でお届けします。
ーーーーーーーーーーーーーーー
全世界を脱力のどん底に叩き落した問題作「フラミンゴ」。KeroKero Bonitoはロンドンのナイスな3人組。歌っているsarah bonitoの日本語ラップのユルユル感は「なごむ」というレベルを既に超えてます。ロンドンでも話題になり、ステラ・マッカートニーのランウェイミュージックに使われたみたい。(最近は歌が少し上手くなって、ラップはやってないかな)
Kero Kero Bonito - Flamingo
ミドルティーンのモデル系キュートラッパーMANON。彼女のラップの特徴は、、、ともかく「かわいいは正義」を具現化するとこうなるということでしょうか。Sarah Bonitoともデュエット曲もリリースしてます。
MANON - POPCORN CRISIS
これらのキュート系ラップというジャンルを切り開いた神曲「恋愛サーキュレーション」。ネット上でも多くのリミックスや「歌ってみた」がアップロートされてきました。この曲の登場以降、活舌はいいけど、歌がいまいちの声優さんにラッパーという職業選択が可能になりました。(豆知識:作曲
正統派のラップ好きの皆さんからボコボコにされるのを覚悟しつつも、邪道な箸休め的選曲でお届けします。
ーーーーーーーーーーーーーーー
全世界を脱力のどん底に叩き落した問題作「フラミンゴ」。KeroKero Bonitoはロンドンのナイスな3人組。歌っているsarah bonitoの日本語ラップのユルユル感は「なごむ」というレベルを既に超えてます。ロンドンでも話題になり、ステラ・マッカートニーのランウェイミュージックに使われたみたい。(最近は歌が少し上手くなって、ラップはやってないかな)
Kero Kero Bonito - Flamingo
ミドルティーンのモデル系キュートラッパーMANON。彼女のラップの特徴は、、、ともかく「かわいいは正義」を具現化するとこうなるということでしょうか。Sarah Bonitoともデュエット曲もリリースしてます。
MANON - POPCORN CRISIS
これらのキュート系ラップというジャンルを切り開いた神曲「恋愛サーキュレーション」。ネット上でも多くのリミックスや「歌ってみた」がアップロートされてきました。この曲の登場以降、活舌はいいけど、歌がいまいちの声優さんにラッパーという職業選択が可能になりました。(豆知識:作曲者の神前暁さんのおじい様は、「白い巨塔」の財前五郎のモデルになった元日本外科学会会長の神前五郎氏)
化物語 ED - 恋愛サーキュレーション
カワイイ系ではないけど、ユルさでは伝説的なスチャダラパー。日本語ラップに「オモシロ」という俳諧の趣を取り入れた現代の連歌。こちらは、だらだらした夏の日を、あるあるな情景描写で歌い上げた一曲。あー、今週も暑くなるっていってますよー。
SDP (Scha Dara Parr) - Summer Jam 95
これに関しては、他の全てのヒップホップ関連のイベントで同様のことが起きていたらそうなるのかもしれませんが、実は、他のイベントは開催が中止されているか、開催されていてもこのようなことにはなっていないようなのですね。
やはり、金を取ってイベントを開催するということになると、どんな人でも注意しますし警戒もします。また、ヒップホップファンも同様です。今回ネット上で色々漁ってみると、ミュージシャン側からもファンからも、波物語は他のイベントとちょっと色彩が異なる……みたいな話も出ているようです。
ですから、これひとつを以てヒップホップ関係全体を総括することはできない、と私は思いますし、そういう意味では、この一件でヒップホップの評判が落ちたとは言えないでしょう。ヒップホップでなくても、そうだな……アイドルや声優や、あるいは新宗教関連のイベントだって構造は一緒ですからね。
MUTE BEAT feat.江戸アケミ(from じゃがたら) / Organ's Melody 1987年
MUTE BEATはダブ、じゃがたらはファンク? みんな畑違いの人だったけれど、これが金字塔ってことでいいと思う。
反論お待ちしています。
ヒップホップは文化全体で、ラップはその中の一つと言われます。
ストリートでDJがレコードをかけてそこに曲に合わせて喋るようにリスナーを盛り上げていたのが起源なようです。
歴史的に言えばHIPHOPとハウスは当初は全く無関係だったと思います。
HIPHOPは黒人コミニティで生まれたモノですが、ハウスはゲイ、LGBTの中から生まれたモノでして、HIPHOPは当初は「ゲイなんてクソ」と言うスタイルでしたから。
然しながら『アフリカン・バンバータ』のプラネット・ロックはTR-8080を使ったりサンプラーを導入したり、音はその後のハウスに近いモノがありました。
だからと言ってHIPHOP側がハウスを意識した、と言うワケではなく「双方、同じような音楽を聴いていた」からだと思います。
クラフトワークやジャーマン・サイケ、YMOなどをHIPHOP側も聴いていたし、ハウス側も聴いていた。
ただ、そのアウトプットが違った、と言うか。
歴史的に言えばハウスとHIPHOPが近づくのは90年代中頃ではないでしょうか。
でみると、ヒップホップが先、そのあとにエレクトロからのハウスじゃないですかね。