三川屋幾朗さんのプロフィール写真

リクエストにお応えします。

皆さんは「稼ぐ」カネに見立てていますね。そこが既に欲望にまみれています。

「稼ぐ」の頭に「幸せを」を付けてみてはいかがでしょう。

ほら、「幸せを稼ぐ」となり、質問にこれを付けてみれば、

「幸せを稼ぐ人間に価値はないのですか?」

となりますね。ゆえに答えは簡単です、価値があるのです!

人が幸せを最も感じるのは、自分以外の人を喜ばせた時と言われます。

僕は人を喜ばせるために生まれて来たのですが、誰を喜ばせていいのかわからないので知りたいです。どうすればいいですか?に対する三川屋幾朗 (Ikuro. Ikuko)さんの回答

その文脈で日々を生きる時、「幸せの稼ぎ方」は無限にあります。たとえ難病で眼しか動かせないとしても、その生き様を示すことで勇気をもらえる人もいます。それこそ人に幸せをもたらしている。故にその眼しか動かせない人も幸せを「稼いでいる」のです。

この質問は、実は「価値とはなにか」を問うています。誰もがすぐに「稼ぐ」に目を向けてしまいがちですが、判断が伴う質問ですからそのクライテリア、つまり判断基準が最も重要です。

「価値はないのですか?」と問うているのですから、その価値とは何か?を理解することが質問の真の意味を理解することに繋がり、役に立つ回答にも繋がるのです。

価値をカネに置き換えて、道具を得ることばかり考える狭い固定観念に縛られている限り、価値ある人生を見出すことは難しいでしょう。

「価値ある人生」=「幸せな人生」という価値を、豊かな寛容に溢れ、人を思いやり人間味の有る人生を、気に入った人たちの中で送ること、というふうに定義するなら「稼ぐ」という言葉の意味が違って見えてくるでしょう。

幸せとは、カタチのないものに有るのです。

そのように価値を考える時、質問に戻れば、

「幸せを稼ぐ人にこそ価値はある」のです。

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