スタニスラフ・ペトロフ
どうしてもアイザックニュートンやジンギスカン、もしくはモハメッドやキリストなどの宗教的な人物の名を挙げてしまいたくなりますね。
確かに彼らは人類の歴史に大きな影響を与えましたが、人類が絶滅しかけるのを直接防ぐほどの重大な役割は果たしてはいません。
スタニスラフ・ペトロフの功績
それは1983年9月26日の夜中過ぎのことでした。ペトロフはソビエト陸軍の中佐で、あるひとつの衛星を担当していました。
ペトロフの任務は、ソビエト連邦に対して迫ってくる核攻撃を探知して、直ちに上司に報告することでした。相互確証破壊戦略に基づいて核による反撃をするのです。
核の脅威がまさにリアルだった冷戦中のことですから、ペトロフは自分の目を疑ったでしょう。コンピュータの1つが点灯し1発のICBM(大陸間弾道ミサイル)がアメリカから発射され、今まさにソビエト連邦に向かっていることを示していました。
ペトロフはこれを誤った警報として処理しました。単発のミサイルだったので、技術的なエラーかもしれなかったのです。
しかし、コンピューターが次の4発のミサイルを感知するのに時間はかかりませんでした。またアメリカから発射され、ソビエト連邦に向かっていました。ペトロフはさらなるチェックと報告を求めました。それぞれの担当者が差し迫っている脅威を確認しました。
ペトロフの部下たちはみな、自分の席から飛び上がり、彼の決断を不安げに待ちました。
私たちが核による大惨事を免れたのは、ほんのわずかな幸運とペトロフの人柄のおかげです。
ペトロフは、アメリカが(もし核攻撃を実行するなら)数発のミサイル発射から始めるのではなく、全面攻撃に出るはずだと考えていました。何より彼は、衛星がまだ新しく、技術的な問題を抱えていることも知っていました。
そのため、ペトロフは再び全ての警報を誤報として却下し、上司に報告することを控えたのです。
そして、ペトロフが正しかったことが判明しました。ミサイルは発射されていませんでした。検出システムの技術的問題だったのです。
これは人類史における最も勇敢な決断であり、明らかに潜在的に大きな影響力を持っていた出来事です。
ペトロフは当初は讃えられましたが、のちに降格され退役を選びました。何の報酬を受けることもなく、彼のこの物語は1997年になってようやく知られるようになりました。昨年、ペトロフは77歳でその生涯を終えました。
ペトロフの物語は、私たち人類がどれだけ自滅に近づいていたかの一例ですが、私たちの中に生きているヒーローでもあり、人類がなぜ続いていく価値があるかという例でもあるのです。