池尻 雅博さんのプロフィール写真

バイオリンの共鳴胴の中心には駒がありますが、その左右に空いている細長い穴を「f字孔」と呼んでいます。

名前の通り、その形はアルファベットの「f」から取っていて、イタリック体の「 f 」を見てもらうと良くわかると思います。

なぜこの形になったのか、誰が決めたのか、はバイオリンを誰が最初に作ったかわかっていないように、残念ながらはっきりしていません。しかし、バイオリンの持っている利便性や耐久性、音質から、擦弦楽器の歴史上でバイオリンが主流となり、f字孔が当たり前であり、妥当であると判断されるようになったのだと思います。

これはバイオリンの歴史を見ていかないとわからないので、少し長くなりますがお付き合いください。

・・・

現代のような形の明確な「バイオリン」は16世紀に北イタリア地方で作られ始めましたが、それ以前の似たような楽器の起源はアラブの擦弦楽器「レバーブ(ربابة)」からだと言われています。

(擦弦楽器(さつげんがっき)とは弓で弦をこすって演奏する楽器。指などで弦をはじく楽器は撥弦楽器(はつげんがっき)と呼びます。)

その「レバーブ」↑ は東西へそれぞれ伝播して様々な楽器へ発展していきました。アジアでは胡琴や、胡弓、モリンホール(馬頭琴)等に発展して行き、ヨーロッパではビオラ・ダ・ガンバやバイオリンへと発展しました。

ヨーロッパでは「レバーブ」は「レベック(Ribeca)」という洋ナシ型の楽器や「ビトゥーラ(vitula)」というギターのような形の楽器へ変わります。

(「ビトゥーラ(vitula)」は「Vitulatio」という古代ローマで7月に行われていた感謝祭が起源です。この祭りで良く使用された楽器だったので、いつともなく「弦楽器」という意味になりました。)

↑「レベック」はおそらく「ウード(عود)」と呼ばれるアラブ起源の撥弦楽器の形と混合したのではないかと思われます。

ちなみに「ウード」↑ はヨーロッパで「リュート」、アジアで「琵琶」などへと発展します。

「レベック」は駒の乗る部分が板になり、穴が開けられるようになります。この穴の形は「ウード」のような丸いものではなく、細長く駒の横に並ぶようにつくられ、形は「C」を伸ばしたような形です。これはおそらく弓で弾く場合横幅が広いと弓が本体に当たってしまうため狭くしないといけない→左右の小さな丸い穴を細長くしないといけなくなる

といった改良を行ったのでしょう。そのため、丸い穴を細長くした「C」のような形になったと思われます。

「ビトゥーラ」は「ビエッラ(viella)」↑(右端)に発展していきました。これらの擦弦楽器は駒が乗る部分を羊の皮から木の板にしたため、より振動させるために駒の横に穴を空けたとも考えられます。

そしてそれぞれ混合したり分離したりを繰り返し、16世紀のイタリア地方で「膨らんだ表板で、中心にくびれがあり、弦を巻く部分が箱になっている擦弦楽器」を「ビオラ(viola)」と総称して呼ぶようになります。

様々な「ビオラ」の一例です。

  • Viola da gamba 足のビオラ(足で挟んで演奏することから)
  • Viola d’amore 愛のビオラ(楽器の頭部に愛の神:キューピッドが彫刻されていたから?諸説あり)
  • Viola da spalla 肩のビオラ(肩に乗せて演奏することから)
  • Violino 小さなビオラ(「小さな」という接尾語「-ino」がついている、「viola soprano(ソプラノ音域のビオラ)」とも。「(英)violin」の語源)
  • Viola tenore テノール音域のビオラ(後の「ビオラ」)
  • Violone 大きなビオラ(「大きな」という接尾語「-one」がついている)
  • Violoncello 小さい大きいビオラ(「Violone」に「小さな部屋」という意味の「cella」がついている。「(英)Cello」の語源)

ここで、いわゆるビオール属とバイオリン属に別れます。

↑ビオール属

ビオール属は残念ながら衰退していきました。これには様々な理由があり、大きな理由としてフレットがあったことが挙げられます。リュートやビオール族のフレットはガット(羊の腸をよじって作った弦)を巻き付けて使用していたので、固定されていませんでした。16世紀にはリュートやビオール属には平均律を使用していたと考える説もありますが、固定されていないフレットから、おそらく純正律などで演奏されていたというのが主流です。なぜなら「調」によって音程が変わるため、それに合わせるにはフレットを動かさないといけないからです。そのため、演奏前には調弦の他にフレットの調律が必要になりますので、その面倒くささと言ったら大変なものでした。誇張表現ではありますが「リュート奏者は人生の半分を調律に費やしている」とまで言われたそうです。同様のフレットだったビオール属が衰退してしまうのもわかる気がします。

バイオリンはフレットが無かった事と、弦が4本だったため、演奏前の調弦に時間がかからず、音程の変更も押さえる位置を微妙に変えればよかったのです。

そして、もう一つの原因が穴の形だったのではと言われています。上図を見ていただくと、ビオール属の穴は右端を除いて「C」の形をしています。(C字孔といいます)「レベック」や「ビエッラ」の穴を逆にした感じですね。これが壊れやすく、楽器が廃棄される原因にもなりました。

どういう事かと言うと、上図のように「C」の内側部分が木目に沿って欠けて無くなってしまいやすかったのです。演奏に支障があるわけではありませんが、著しく美観を損ねるので、欠けてしまった楽器は大切にされにくかったようです。修理も可能ですが、壊れて無くなりやすいことには変わりありません。

バイオリン属は穴がf字孔ですから、たとえ穴周辺が割れたとしても無くなることがありません。

この写真の様に、古い楽器はf字孔の下の丸い穴部分の上側がよく割れていますが、大きく美観を損ねていませんし、修理が可能ですので、それだけで廃棄されることはまずありません。

また、C字孔とf字孔を見比べると、穴に挟まれた部分の面積比率がf字孔のほうが広いのがわかります。駒周辺が一番振動するわけですから、この部分が広いほうが音量も増加します。

以上のことを予見してf字孔にしたかどうかはわかりませんが、結果的にf字孔を使っているバイオリンが擦弦楽器では主流となった経緯があります。

ちなみにビオール属の絵で一番右のf字孔の楽器がコントラバス(ダブルベース)です。なぜコンバスだけがf字孔になったのかはわかりませんが、ビオール属なのにバイオリンと同様に西洋で主流となったのは、このf字孔のおかげかも知れません。フレットは取り外せばいいだけですからね。

・・・

現代ならもっと良い形を追求できるのではないでしょうか

という問いですが、以上の様に合理的な形のため、あえて変えてしまう必要性があまりありませんでした。それでも過去には様々な形の楽器があります。

f字孔だけでなく、本体も含めて様々な変わり種のバイオリンがありました。(もちろん上の写真の楽器だけではありません)その中でも最も認知されたのはシャノーというフランスの製作家が作った楽器でしょう。

ただし、それでもこの楽器を使う人は変わり者扱いされることが多いのです。

結局の所、数百年かけて淘汰、選択されて、大多数が使うこととなった楽器がスタンダードとなったわけですから、それから外れる楽器はその歴史を覆すほどの圧倒的な美しさや合理性、機能性などが必要で、それが無いものは認められることは無いのでしょう。

そして、そのようなことが今後無いのか?と言われたら、可能性はあるでしょうが、ほぼ無いでしょう。

私も全音楽家が認めるほどの新デザインを創り出す自信はありません。

質問を見る