北原 俊史さんのプロフィール写真

駆け出しのテレビディレクターだった頃、失恋の痛手で大事なロケをすっぽかしたことがありました。

「もうダメだ」と泣きながら家で布団かぶって縮こまっていると現場のカメラマンから電話がかかってきました。

「とにかく今すぐ飛んでこい!四の五の言っているとぶち殺すぞ!このやろう!」

定年間近の普段温厚な人で、何故か私にはとても優しくしてくれました。その人の聞いたこともないような剣幕にビックリして、おそらくそれでスイッチが入ったのでしょう、私は現場に向かいました。

ロケ現場に到着すると、カメラマンは口に指を当てて「シーッ」というと、私を物陰に連れていきました。 「他のスタッフにはアンタが別件で遅れていると伝えてある。風景を中心に撮れそうなところは取り敢えず撮っといたから、この後は人物絡みのところを撮ろう。居ない間に撮ったカットが気に入らなかったら後日内緒で撮り直してやるから」 お礼を言いながら、謝ろうとすると「分かってんだよ。あの娘だろ?お前さんにゃいい薬だ。とりあえず今日はそのことは忘れてロケに集中しな。」

涙が出そうになりましたが、泣いてる暇はありません。せっかくの彼の好意を台無しにしないために、スタッフに遅れたわびを言った後、現場作業に入りました。撮影現場というのは予期せぬことが次々と起こります。それに対応しているうちに、不思議なもので気付いてみると彼女のことは完全に忘れていました。そして、撮影終わって、思い出したときには、信じられないことに、何故自分があんなに落ち込んでいたのか分からなくなっていました。

出来上がった番組はカメラマンが気合を入れて撮ってくれた素晴らしい映像もあって賞をいただくほどの出来栄えとなりました。授賞式の後カメラマンと二人で朝まで飲み明かしました。ロケ初日の件で、改めてお詫びとお礼を言うと「よく覚えてないなぁ」と最後までとぼけてくれました。

翌年、定年退職直前に彼は亡くなりました。脳卒中でした。「人を愛し酒を愛していたから仕方がない」と奥さんが言っていました。その前日も後輩カメラマンを集めて豪快に飲んだのだそうです。

私は、今でも時々思い返します。あのときの、あのロケのカメラマンが彼でなかったら、どうなっていたんだろうと。おそらく、首になって全く違う人生を歩んだかも知れません。くよくよと、負け犬のように生きたかも知れません。

その後、テレビマンとして紆余曲折を経験しました。いろいろな状況に直面しましたが、上手くいかない時や腐ったときには、いつもあの声を思い出して、乗り切ってきました。あの朝の彼の怒鳴り声。電話機が壊れるんじゃないかと思うほどの愛情に満ちた、あの声を。

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